容疑者は父が日本人、母がペルー人の日系2世で、2005年に来日したというからすでに10年あまり在留していることになる。しかし、ほとんど日本語が話せず、職を転々としていた、親族に「ペルーに帰りたい」と話していた、という情報もある。
もともとの非社交的な性格もあるだろうが、日本語がわからず日本文化にもなじめなかったのかもしれない。強い「異文化ストレス」を抱えていた可能性もある。
かつて夢を追いかけて海外に出た日本人の「異文化ストレス」が大きな問題になった時期があった。たとえば「フランスに行って芸術家になりたい」と出かけたはよいが、フランス語が理解できず孤独な生活を送るうちに抑うつ的となったり、ときには被害妄想を抱いたりする症例をまとめ、在仏の精神科医である太田博昭氏が『パリ症候群』(1991年、トラベルジャーナル)と名づけた。同様にニューヨークやサンフランシスコなどでも勇んで向かったはよいが、言葉の壁にぶち当たり、現地の人たちとのコミュニケーションもできないうちに孤立する邦人が精神疾患になるケースが少なくなかったという。
しかし、いまの日本人には、かつてのようにパリやニューヨークに幻想を抱いてそこに移り住む人はそれほど多くないと思われる。アートでもビジネスでも「東京でも十分」「日本にいてもネットがあれば問題なく活動できる」となったことも大きい。情報が簡単に手に入るため、異文化ストレスに苦しむことも少なくなったはずだ。ただ、現在はたとえば「沖縄に引っ越して心の不調に陥る」というケースなどが増えている、とも聞いた。いわゆる“内地”での仕事や学校に適応できなくなった人が「ここに行きさえすれば救われる」と目的もなく移り住み、なかなか地元の生活にもなじめずに心のバランスを崩すのだそうだ。
日本で暮らし、働く外国人たちはどうだろう。中には「なんとか日本で成功したい」と大きな夢を抱いたり、「もう国には帰れない」と追い詰められた気持ちになったりしてやって来る人もいるだろう。しかし、日本語もできないまま来日した場合、買い物も電車やバスでの移動にも苦労することになる。まだアジア出身なら食べものや暮らしなど文化面での共通点もあるが、南米などから来た人は戸惑うことばかりに違いない。
日本国内にも、海外から来て在留する中で文化不適応状態に陥った人のために、「外国語外来」をもうけるメンタルクリニックが増えてきた。しかし、そのほとんどは「英語の外来診療」で、「スペイン語」「中国語」などがOKというクリニックもあるにはあるがほんのわずかだ。
今後、日本で働く外国人はますます増えることが予想される。中には日本について何も知らず、日本語もできないまま来日する人もいるだろう。そういう人たちのために「母国語で相談、カウンセリング可能な場所」を急いで作る必要がある。もしそういった機関が近くにあれば、今回のナカダ容疑者もここまで追い詰められることはなかったかもしれない。
こう言うと、どこかから「どうして外国人のためにそこまでしなくてはならないの?」といった声も聞こえてきそうだが、いまヨーロッパで起きている難民の問題もしかり、いわゆる「多文化共生」は21世紀を貫く大きなテーマである。日本だけ「ウチは知りません」と横を向いているわけにはいかないのだ。