深刻な日本の高い自殺の実態
日本では1998年以来、年間自殺者数が3万人を超え、世界でも高い自殺率を示す国となってしまった。自殺率は人口10万人あたりの年間自殺者数で示されるが、2007年の自殺率は25.9である。自殺者数は交通事故死者数の5倍をはるかに超えている。なお、自殺未遂者は既遂者数の少なく見積もっても、10倍は存在すると推定される。そして、強いきずなのあった人を自殺で喪った多くの人々も、深い心の傷を負う。このような深刻な現状を直視して、06年には自殺対策基本法が成立し、自殺予防は社会全体で取り組むべき課題とされている。
さて、フィンランドというと、最近では高い教育水準がしばしば話題になるのだが、日本にとって自殺予防対策の手本とすべき国でもある。
自殺率の高かったフィンランドの試み
フィンランドの面積は34万km2と日本よりやや小さく、人口は約500万人である。フィンランドの自殺率は、1990年には人口10万人当たり30を超えていたのだ。そして、地道な自殺予防対策を実施することによって、10年以上かけて、自殺率を約3割低下させることに成功した。自殺予防は短期間で効果が上がるものではなく、各機関が緊密な連携を進め、長期的視点に立った対策が必要であることをフィンランドの経験が示している。フィンランドでは70年代からさまざまな対策が立てられてはいたものの、十分な効果が現れず、自殺率は高い水準にとまっていた。80年代になって、自殺予防対策を本格的に実施する機運が高まってきた。
フィンランドの専門家によると、その背景に外圧と内圧があったという。外圧としては、1960年代からWHO(世界保健機関)が一貫してフィンランドに自殺予防対策の実施を求めてきた。
内圧としては、厚生福祉大臣のエーヴァ・クースコスキが自殺予防に強い関心を持ち、指導性を発揮した。夫が30代半ばで自殺していたという経験から、大臣自身が自殺予防に強い関心を抱いていたのだ。大臣は、ヘルシンキ大学精神科教授J.レンクビスト博士を国立公衆衛生院の精神保健部長に任命し、自殺予防プロジェクトの総責任者とした。
フィンランドでの実態調査から明らかになったこと
レンクビスト博士が中心になり、1987年4月から88年3月にかけて全国調査が実施された。地域で自殺が生じると、専門家が出向き、調査の目的を説明し、同意を得たうえで、故人をよく知る人に面接し、自殺が生じた背景を調べた。調査に同意が得られた率は、なんと96%もの高さにのぼった。この結果、1年間に生じた自殺のほぼ全例に近い背景情報が得られ、次のような点が明らかになった。
(1)自殺者の大多数(93%)は最後の行動に及ぶ前に何らかの精神疾患の診断に該当する状態にあった。
(2)うつ病、アルコール依存症、あるいはその両者の合併で、全体の約8割を占めていた。
(3)ただし、適切な治療を受けていた人はごく少数であった。
(4)男性が自殺者全体の4分の3を占めていた。
メディカルモデルとコミュニティーモデルの連携
フィンランドの自殺対策として、「メディカルモデル」と「コミュニティーモデル」の連携が強調されている。実態調査から明らかになったように、自殺が生じる背景にしばしば精神疾患が存在しているものの、それに気づかず、治療も受けられないままに自殺が生じている。
自殺につながりかねない精神疾患(とくにうつ病とアルコール依存症)を早期に発見して、適切な治療をすることによって、自殺を予防しようとするのがメディカルモデルである。これはいわば水際作戦とも言える。ただし、メディカルモデルだけではけっして十分ではない。
コミュニティーモデルも同様に重要である。これは現時点では病気にかかってはいない、健康な人を対象とした働きかけである。21世紀の今でも精神疾患や自殺に対して強い偏見が残っている。問題を抱えても助けを求めるのは恥ずかしいことだと考える人も少なくない。そこで、困ったときに助けを求めるのは適切な対応である点を強調し、どこに助けを求めたらよいかといった情報を提供する。また、精神疾患に対する偏見を取り除く努力も進めていく。
フィンランドの自殺予防対策の基本方針は、メディカルモデルとコミュニティーモデルを緊密に連携させることであった。さらに、関係者が異口同音に指摘するのは、自殺予防は短期間で効果が上がるものではなく、少なくとも10年単位の息の長い取り組みが必要であるという点である。
自殺予防には息の長い取り組みが必要
フィンランドと日本の自殺率の比較を示した。当初、この種の活動に対して、専門家の一般的な態度はきわめて懐疑的で、自殺予防の効果が上がらないのではないかと考える人が多かったという。目標は自殺率を20%低下させることだったが、実際には30%低下させている。自殺率は1990年には人口10万人あたり30.4であり、現在の日本の率よりも高かった。粘り強い対策を実施した結果、2002年には自殺率が人口10万人あたり21.1となったのだ。このような息の長い取り組みを、日本も重要な教訓とすべきだろう。
自殺対策基本法
近年、日本では自殺件数が高い水準で推移していることから、自殺を個人的な問題としてとらえるのではなく、社会的な要因であることをふまえて、社会的な取り組みとして自殺対策を総合的に推進し、自殺の防止を図り、自殺者の親族等に対する支援も行うことを定めた法律(2006年6月施行)。