消えちゃいたくなる男たち
海原 今回の対談のために田中先生の著書を何冊か読ませていただいて、びっくりしたんです。私が調べていることと、ぴったりリンクしているから。田中 「男性学」は、日本ではあまり浸透していませんからね。女性が抱える社会的な問題は、たとえば男性よりも低賃金だとか、職場で不当な扱いがあるとか、明白で理解されやすいのですが、男性学が課題とする「男性だから抱える苦悩や葛藤」というのは、なかなか理解してもらえなくて。
海原 本当にそうですよね。男性の問題は本人が自覚していないし、周囲にも伝わらない。
田中 男性学は1990年代からあったんですけど、「男の働き方を見直そう」と提案したとき、バカだと一蹴されて(笑)。でも、「働きすぎ」は典型的な男性問題で、仕事が「逃げ」になっているから、さまざまな問題を抱えてしまうんです。
海原 日本では、男性は毎日会社に行って仕事をしていれば、それでよしとされてますからね。85年に男女雇用機会均等法が制定され、80年代から女性たちは自分の生き方を模索し始めたのに、男性たちは大学へ行って就職すればエスカレーター的に一生が決まるものだと、考えようとしなかった。女性の意識より30年遅れているんですよ。
田中 海原先生は、なぜ男性問題に興味を持たれたんですか?
海原 私はもともと、女性の健康問題に取り組んでいたのですが、産業医の現場や外来で男性たちのとんでもない状況に出くわして、「このままでは男の人たちはみんな死んじゃう!」って(笑)。日本の男性って本当にかわいそうだと思うんですね。職場でつらい目にあったり、上司は変な人だったり。高度成長期は仕事をしていればなんとかなったけど、リストラだなんだと状況が変わってきた。つらくなって消えちゃいたくなる気持ち、わかりますよ。
田中 男性は学校を卒業したら定年まで、「働く以外の選択肢がない」ところに問題があると思うんです。
海原 お父さんが仕事を辞めたら、家族が食べていけなくなりますからね。だから、定年直後にうつになる人が多い。
田中 定年退職した人にインタビューすると、喪失感や虚無感がすごくて。当たり前ですよね。1日10時間近く、40年間もやってきたことが、いきなり「ない」って言われちゃうんだから。
海原 名刺もなくなりますしね。定年した患者さんから「以前はここにいたんです」って、現役時代の名刺を渡されたことがあって。それはもういいんだけど、みたいな。
田中 自分が抱えている問題を、認識できないんですよね。
海原 特に、日本の男性がそうでしょ? 日本と韓国って特殊ですよね。
田中 おっしゃる通りで、日本も韓国も基本的に「男は仕事、女は家庭」という性別分業で長時間労働、そして男性の自殺率が非常に高いんです。そもそも、40年間も仕事だけで人生を費やすって、かなり特殊なことですよね。だから問題を抱えるのに、当事者がその問題と向き合おうとしない。その理由を考えると、高度成長期以降の日本は、「男は仕事」という評価を疑わないことで社会が回ってきたからだと思うんです。
弱音を吐けない男たち
海原 かつては男性も女性も性別分業が楽だったけど、今の日本の経済状態では、その社会構造は成り立ちませんよね。社会が変わったのに、男性の意識も女性の意識も、その変化に追いついていない。社会が変化し始めたとき、男性はもっと生き方の多様性を探るべきだったのに、「男は仕事」という評価がそのまま続いているところに問題があるんでしょうね。田中 社会の変化よりも、当然、人の意識の変化のほうが遅いですからね。そこに発生した男性の問題は「過渡期だから」という言葉で済まされがちですが、変化に適応できない人は過渡期で困っているわけです。定年退職者のフォローが必要だと言われ続けているのに、「楽しくやってるんじゃないの」みたいなイメージが先行して、どうケアするかという議論はほとんどない。そうこうしているうちに、うつになったり。行くところがなくて近所を散歩すれば、「あのおじさん、いつもうろうろしてるのよ」って怪しまれたり(笑)。
海原 問題を抱えている男性は、定年退職者だけではありませんよね。
田中 そうなんです。たとえば、「平日昼間問題」と呼ばれているのですが、平日の昼間にぶらぶらしていると好奇の目で見られるのも、定年退職者に限ったことではなくて。働き方は多様化しているのに、「普通の男性」は、昼間は仕事に行っているという画一的なイメージが根強くあるんですよ。
海原 社会全体が変わるって難しいですからね。でも、そういった男性たちの問題は、今、きちんと根本から対処していかないと、社会は大変なことになってしまいます。
田中 「仕事中心の生き方はダメだ」という意見は90年代に出てきましたが、「フリーター」や「ニート」の出現で、その流れが止まったんです。フリーターは、最初は「自由でいいよね」と持ち上げられていたし、ニートも本来は、仕事がなく、学校にも通っていない若者を統計的に割り出して、助けるための言葉だった。ところが景気が悪くなったので、彼らを否定することで「正社員こそが正しい生き方」「働くのが普通」というルールを延命させてしまったんですよ。だから、いつまでたっても根本的な問題が解決されない。
海原 誰もが根本的なことはやりたくないんですよ、大変だから。病気も同じで、根本の原因を探ろうとせず、「とりあえず、この薬飲んで」と応急処置で済ませる。特に男性の医師はそうですね(笑)。
田中 働く以外の選択肢がないことから発生する男性の問題はいろいろあって、「つながりがない」「友だちがいない」というのもそうです。お父さんが会社に行っていれば、友だちがいなくても誰もおかしいとは思わない。自他ともに認識がないんです。
海原 「つながり」や「友だち」ってすごく大事なんですよ。仕事がうまくいかなくても、「大変だよね」って言ってくれる仲間がいるだけで救われるのに、今の会社はそういうコミュニケーションがまったくなくなっちゃってる。そういうところも、男性の生きづらさの背景にある気がしますね。
田中 コミュニケーションといえば、海原先生の著書『男はなぜこんなに苦しいのか』(朝日新書、2016年)には、男性の「合理思考」も問題だと書かれていますよね。弱音を吐いても意味がない、という考え方。
海原 そう。話したからといって、相手が自分の会社をどうこうしてくれるってわけじゃない、問題は解決されない、と。