ベタぼめされて運動技能が上達
近年、教育現場で「ほめて伸ばす」ということがさかんにいわれている。臨床心理学の世界でも、ポジティブ・フィードバックといって、相手にとって望ましい評価を与えることで学習効果が高まることが知られており、臨床の現場でも導入されてきた。ところが、なぜほめると学習効果が高まるのかということの科学的な証明は、意外にもこれまでされてこなかった。一般的に考えられているのが、ほめられることでやる気が出て、一生懸命に勉強や練習をするようになるので、その結果、成績が伸びるというものだ。しかしこれはあくまでも推測にすぎない。
そこで私たちの研究グループ(自然科学研究機構生理学研究所・定藤規弘教授、名古屋工業大学・田中悟志准教授ら)は、東京大学先端科学技術研究センターの渡邊克巳准教授の協力の下、「ほめること」と「運動技能の取得」の成果についての検証実験を行った。
私たちが実施したのは、被験者に、パソコン画面に表示される1~4の4つの数字に合わせて、手元の4つのキーをピアノの鍵盤のような要領でたたいてもらうという簡単な実験だ。具体的には、左手を使って連続的にできるだけ速く、30秒間たたき続けるというトレーニングを、1回ごとに30秒間の休憩をはさみつつ、12回行った。
被験者は、私たち評価者とは一切面識のない大学生で、48人の成人男女。トレーニング終了後、その48人を「自分が評価者からベタほめされる」グループ、「他人が評価者からほめられるのを見る」グループ、そして、「自分の成績だけをグラフで見る」グループの3つにほぼ均等に分け、それぞれの過程を追った。「他人が評価者からほめられるのを見る」グループを設定したのは、ほめるという行為が自分に向かっているか、他人に向かっているかに着目し、そこで違いが出るかを確認することが大きな目的だったからだ。一方、「自分の成績だけをグラフで見る」ということは、評価自体をしていないということを意味している。
ほめる際の重要なポイントは、まずポジティブな内容であること、次に評価者がその分野のエキスパートである、社会的に認められているなど、妥当な基準をもっている信用するに足る人物であることだ。
また、ほめ方やタイミングも重要だ。今回の実験では、パフォーマンスそのもの、トレーニング中の態度、そして、性格の3点についてほめた。たとえば、パフォーマンスに関しては「指の動きがとても速かった」、トレーニング中の態度に関しては「とても集中していた」、性格に関しては「忍耐強い」などで、どれもより具体的にほめることがポイントとなる。ただし、被験者によってほめる内容を変えてしまうと、効果を測定できなくなるため、実験ではほめる内容は被験者に関係なくすべて統一した。
そして、翌日に再度、同じトレーニングを実施し、その成績を前日の成績と比べてみた。その結果、「自分が評価者からベタほめされる」グループの成績が20%伸びたのに対し、「他人が評価者からほめられるのを見る」グループと「自分の成績だけをグラフで見る」グループの伸びはいずれも14%程度だった。
この6%の数値の差は、統計学的に明らかに有意性があることを立証するものであり、ほめることで運動技能の習得性が高まったことの科学的な証明となった。この結果を2012年11月7日付、アメリカの科学誌「プロスワン」(電子版)に発表したところ、多くの問い合わせをいただき、反響の大きさに正直驚いている。
お金をもらうのもほめられるのも脳の同じ部分が喜ぶ
この実験の背景には、08年に定藤教授らが世界で初めて明らかにした、ある研究成果があった。それは、fMRI(機能的核磁気共鳴)を使って脳の反応を調べた研究で、「報酬」として金銭をもらったときに反応する脳の部位と、ほめられたときに反応する脳の部位が、同じ腹側線条体という部分であることを突き止めたものだ。
一概に報酬といっても階層があり、「一次報酬」と「二次報酬」に分けられる。一次報酬とは、食欲や性欲など原始的な「一次欲求」を満たす報酬であり、二次報酬とは、金銭や「ほめられること」など、人が社会生活を送るなかで報酬としての価値を見いだすものが該当する。さらに「ほめられること」は「社会的報酬」と呼ばれ、金銭報酬とはまた区別される。金銭が物理的な量が明確に定まっていて客観的なのに対し、社会的報酬は自分自身で報酬の度合いを感じる主観的なものだからだ。
人からほめられたからといって、必ずしも給料が上がるわけではない。しかしながら、ほめられてうれしいのは、自信がついたり、自尊心や自分はここまでできるという自己効力感が高まったり、自分が社会の一員として受け入れられているのだ、ということを感じることができるからだ。加えて、同じ金銭でも、宝くじで100万円当選するのと、一生懸命働いた対価として100万円もらうのとでは報酬の意味合いが異なる。後者の場合、仕事に対する評価の対価という点で、より社会的報酬に近いものといえるだろう。
この実験結果は、「ほめられること」が脳においては「喜び」となり、金銭同様に報酬として受け止められていることを示しており、「ほめると伸びる」といわれてきたことの解明の手がかりとなる。しかし、これだけでは、ほめられるという報酬が、脳の中でどのようなメカニズムで学習を促したり、学習効果の向上をもたらしたりしているのかはわからない。そこで実施したのが、今回の運動技能に関する実験だったのだ。
ほめられて気分がいいのはドーパミンの効果
脳科学の分野では、報酬を受け取ることによって腹側線条体が反応した際に、同時にドーパミンという脳内物質が分泌されることが知られている。これは、いわゆる快楽物質と呼ばれる神経伝達物質の一種で、ドーパミンが記憶の定着化と運動技能の制御の両方にも深く関与していることがわかっている。これらの事実から推測されることは、ほめられることによってドーパミンが分泌され、運動技能に関する記憶がより強固に定着され、その結果、学習効果が高まるというシナリオだ。これが、「ほめられると伸びる」の正体ではないかと思われる。
さらにここで、もう1つ重要なポイントが、記憶を定着させるには、眠ることが重要だということだ。人は眠っている間に、日中に習得した運動技能などが脳の中で整理されて定着し、さらに長期的に固定化されるのだ。
「ほめて伸ばす」が成り立つ日本という事情
これら一連の研究成果を世界に先駆けて発表できた背景には、「ほめて伸ばす」というスローガンが成り立つのは日本ならでは、という事情がある。欧米諸国ではほめて育てるのは当たり前で、これまでの日本のしつけのように叱ることはもちろん、体罰など論外であり、「ほめることの効用」についての関心はさほど高くないのである。今回の実験では、運動技能に限りほめることの効果が科学的に証明されたわけが、これが単語や歴史の暗記など勉強に有効であるかどうかについては、現時点では明らかではない。また、今回は20代前半の大学生を被験者としたが、下は何歳から上は何歳まで有効なのか、性別や性格によって違いが出てくるのかといった点に関しても不明であり、今後の課題だ。さらに、一次報酬や金銭報酬に限っていえば、人の欲望は果てしなく、際限がないようにも思えるが、同様のことが社会的報酬に関してもいえるのかなど、研究の余地はまだまだ大きい。
ほめることは薬と一緒。副作用への配慮も必要
このような研究段階のなか、特に留意していただきたいことがある。