テーマパーク・バッシング
2007年5月、日本のメディアにおいて、中国のあるテーマパークがたたかれた。北京郊外の石景山遊楽園である。ディズニーランドのパクリだ、知的財産権の保護が不十分だとしてさんざん批判された。日本で生まれた「ドラえもん」や「キティちゃん」などのキャラクターもコピーの対象になっていた。だが、それほど重要な報道だろうか。「だから中国はダメなんだ」と、まるでオリンピックと万博の開催を嫉妬しているかのような激しいバッシング。しかし、ちょっと前の日本だって、著作権なんて考えない、あやしげな遊具はデパートの屋上とかにいっぱいあっただろうに、と思う。もちろん、国営のテーマパークだったことはよろしくない。でも、ディズニーランドだって、完全なオリジナルではなく、あちこちの童話や伝説を加工したキャラクターである。「ライオンキング」にしても、手塚治虫の「ジャングル大帝レオ」との類似が指摘されている。シンボルのシンデレラ城も、ドイツ、バイエルンのノイシュヴァンシュタイン城のコピーだし、そもそも19世紀につくられたノイシュヴァンシュタイン城は、中世の城の模倣だった。ディズニーが著作権を強化していることを疑う発想だってあっていい。
外国人建築家の起用
先日、あるラジオを聞いていたところ、2008年北京オリンピックのメインスタジアムの設計を、ヘルツォーク&ド・ムーロンに依頼したことに触れて、自国にすぐれた建築家がいないから、外国の建築家を安易にもってきたと、揶揄(やゆ)していた。ヘルツォーク&ド・ムーロンは、東京のプラダ・ブティック青山店(03年)を手がけた気鋭の建築家である。北京のメインスタジアムでも、鉄を編んだバスケットのような驚異的な構造物を提案し、その工事が着々と進んでいる。完成すれば、おそらくオリンピックのスタジアムとしては、丹下健三による代々木の国立屋内総合競技場(1964年)以来の傑作となるだろう。海外の才能ある建築家に依頼することは、恥ずかしいことでもなんでもない。例えば、フランスのミッテラン大統領が推進した、パリのグラン・プロジェでは、ルーヴル美術館のガラスのピラミッドやオルセー美術館など、その多くが外国人建築家によって設計されている。ゆえに、海外のすぐれた建築家を日本で起用しないだけではなく、国内においてすぐれた日本人の建築家にチャンスを与えていないことを、もったいないと思うべきだ。再開発のラッシュにもかかわらず、国内に仕事のない日本人建築家は、海外に流失している。中国では、日本とは反対に、若い施主が野心的、かつ実験的なプロジェクトを積極的に採用している。2004年、北京を訪れ、42歳の女性社長が率いるディベロッパー、SOHOチャイナが企画した、北京建外SOHO
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山本理顕は、東京で東雲キャナルコートCODANを手がけているが、そこで不完全燃焼だったテーマを、北京において徹底させることができた。またCommune by the Great Wallには、日本から隈研吾、坂茂、古谷誠章
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若い世代の中国進出
山本理顕の北京建外SOHOのプロジェクトでは、足元の商業施設を小嶋一浩+赤松佳珠子/CAtやみかんぐみなど、次世代の建築家に任せている
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筆者が北京建外SOHO内にある彼らの事務所を訪れたとき、そこで働いていた横浜国立大学と東京藝術大学の教え子と再会した。彼らは大学院を卒業し、ホームページの応募を見て、そのまま北京で就職したという。一昔前では考えられなかった働き方のパターンである。北京では、伊東豊雄事務所から独立した松原弘典も設計活動を展開しているが、慶應義塾大学で教鞭をとるために、中国から通う。また迫慶一郎の事務所からは、中村誠宏が独立し、上海を拠点にA-ASTERISKの活動を開始した。ここはオフィスビルのリノベーションやインテリアなどをすでに手がけている。