コミュニティーサイトでもオンラインゲームでもない
話題の「セカンドライフ」。直訳すると第二の人生である。さて、それはいったいどんなものかと調べると、たいていの解説記事には、インターネット上の仮想世界と書かれている。そして「セカンドライフ」の解説には必ずといってよいほど、仮想通貨を現実の米ドルと交換できる、という経済の話もセンセーショナルな特徴としてつけ加えられる。人生、世界、経済。確かにそのとおりなのだが、例えのスケールが大きすぎはしないか。これから「セカンドライフ」を始めようとする純粋なるユーザー、あるいは本書の読者に多いであろう、「セカンドライフ」をきちんと理解しておきたいと願う教養人にとって、人生、世界、経済と突然言われてしまっては、そのイメージはかえって漠然とし、混乱するのではないかと心配する。
筆者は「セカンドライフ」の常套句(じょうとうく)である、人生、世界、経済につきまとう抽象性を排し、その本質を「自治体」ととらえており、また、そう解説することにしている。
「セカンドライフ」は単なるコミュニティーサイトでも、オンラインゲームでもない。そこには、ヘタな政府も顔負けするような自治が働いている点に、その本質がある。その「自治」が正常に作動したがゆえに、全人口(登録者数)約974万人(07年9月末現在)が参加するような、インターネット社会で起きた、2007年最大のトピックスになりえたのである。
ヘタな政府も顔負けの自治
「自治」とはこういう意味だ。「セカンドライフ」の住人には、他のインターネットサービスとは比べものにならないほどの自由が認められている。その象徴的な行為として、お金を稼ぐ行為が存在する。他のサイトでは、ユーザーが利益目的で参加することを歓迎しない。たとえばオンラインゲームでは、貴重な物品(アイテム)をオークションサイトで売買することを、ほとんどの主催者が禁じている。ハッキングなどの不正行為、ユーザー間のトラブルの温床になることを恐れるからだ。しかし、「セカンドライフ」では、それをむしろ奨励している。住人たちは、好きな施設を作り、好きな製品やサービスを売ることができる。従来の通販サイトのようにフォーマットどおりの店を開くのではなく、立体的なコンピューターグラフィックス(3DCG)を駆使して、独創的なアイデアを盛り込むこともできるのである。
有名な例を挙げれば、日産自動車(NISSAN AMERICA)は、自動車の自動販売機という巨大オブジェをつくり、その設置場所は、いまや「セカンドライフ」の名所になっている。
「セカンドライフ」の本質
そのような経済活動の「自由」を保証するために、強固なネットワーク・セキュリティーの構築は欠かせない。国家には法と警察があってはじめて、住人の安全が守られ、欲望を満たす経済行為が成立するのと同じ構造を持つ。「セカンドライフ」は、まるで国家の仕事のような「自治」が存在するから繁栄するのである。さらに言うならば、主催者であるリンデンラボ社は、日本で言えば日本銀行、つまり国家の中央銀行のような役目も果たしている。「セカンドライフ」内で流通する通貨、リンデンドルが人口に比して少ないと判断したならば、マネーサプライ(通貨供給量)を増やす方針をとる。例えば、「ベンチに座るだけ」で住人はお金がもらえるなどの施策が打たれる。逆に通貨供給量が多く、インフレ懸念があれば、安易にリンデンドルを稼げないような金融引き締め策をとることもある。
そもそも「セカンドライフ」の主催者であるリンデンラボ社は、土地を売ることを最大の収入源としている。土地といっても、それは仮想空間の土地なので、言い換えると「サーバー内の空白のデータ」を60エーカー単位にして住人たちに売っているのである。さらにその土地には固定資産税ならぬ、維持費がかかる仕組みになっている。
ネット時代の新国家!?
「セカンドライフ」とは何か。自由度の高い遊び場、企業PRの最もホットな場、Web2.0的サービスの象徴の場、2次元のホームページから3次元ウェブへの転換の場……さまざまな解釈があり、解説がされている。繰り返すが筆者は「自治体」、もう少し突っ込んで言えば、地理的国境の意味が薄れた「インターネット時代の新しい国家の出現」ととらえている。そこでは住民登録が行われ、国土が開拓され、リンデンラボ社は国家と同じであるかのような通貨発行権を持ち、租税権に近い権力も行使でき、緻密(ちみつ)な金融政策までもが行われている。
「セカンドライフ」は生まれるべくして生まれた仮想国家だ。しかし、既存の国家から見れば生まれてはいけない存在であるのも確かである。今はもてはやされている。しかし、いつか既成権力との衝突が起きることは容易に想像ができる。