韓国から始まったコンテンツ輸出
1990年代半ばにハリウッド映画が世界を席巻するようになると、ヨーロッパでは固有の文化を守るために対抗策として、さらにはユーロが誕生して共通の通貨を持ったことなどから、映画の国際共同製作が進んだ。そして、そのトレンドは21世紀に入ると東アジアへと波及した。アジアでのコンテンツの越境は韓国から始まった。韓国映画の「シュリ」「JSA」、またテレビ・シリーズ「冬のソナタ」「チャングムの誓い」といった韓国のコンテンツは全アジアで大人気となり、それは“韓流”と呼ばれ、広く受け入れられるようになった。韓国のテレビ、映画がアジアを席巻したことに、日本と中国のコンテンツ関係者は強い衝撃を受けた。韓国が国を挙げてコンテンツ産業と人材を育成したことが大きな成果となったからだ。そうして韓国の文化を広報すると同時に、知的財産の輸出に大きな貢献を果たした。それはまさに日本の小泉内閣が目指した政策でもあった。韓国の成功で、アジアの国々ではコンテンツ産業の育成と交流を強く意識するようになった。
香港をめぐる映画界事情
一方、中国に返還された香港では、主要な映画会社が国外に去ったことから、生き残りに躍起となっていた。そこで香港は、2004年に中国との間でCEPA(Closer Economic Partnership Agreement/経済貿易緊密化協定)を結んだ。この協定によって、香港映画は中国の外国映画輸入枠にしばられずに大陸に進出できるようになった。さらに、どの国の作品も香港と共同製作することで中国市場にも参入することができるため、香港と他国の国際共同製作が増えることになった。急成長が期待される中国市場
ここ数年間、毎年10%以上の経済成長を続ける中国では、映画市場も同じように急拡大していた。しかし、急拡大してはいるものの、まだまだ中国の映画市場は未発達で、今後さらなる拡大が期待される。それは、中国が13億人の市場と言われながら、映画館があり映画を見ることのできる環境にある人口は5億人に満たず、さらに、その5億人の多くも映画になじんでいないからだ。そこで、中国政府は、国民への娯楽の提供と共通の意識や文化を根付かせるために、積極的にコンテンツ産業の育成に向かっている。北京、上海、天津などで最新鋭の撮影所が建設され、大型映画の企画が進められている。中国を中心とした大型アジア映画の時代
その中国の新たな動きに、日本への輸出が激減した韓国映画産業、香港、そして台湾といった、自国の市場が小さい国々の映画会社やプロデューサーたちは敏感に反応し、中国との大型企画に取り組むようになった。そうした流れから、「ラスト、コーション」「レッドクリフ」「戦場のレクイエム」「ウォーロード」などの共同製作作品が作られた。また、2009年3月に開催された香港国際映画祭でも、香港と中国の間で作られた共同製作企画会社シネマ・ポピュラーが、「ウォーロード」の監督でもあるピーター・チャンによって設立され、その第1回作品であるオールスター・キャストによる大作「十月圍城(Bodyguards and Assassins)」が発表された。また、北京においても中国最大の映画会社の中国電影集団による建国60周年企画、チェン・カイコー監督、主演ジェット・リー、アンディ・ラウ、レオン・ライによる「建国大業」が製作される。08年の日本の映画産業の興行収入は1948億円であるが、一方、中国は43億人民元(約645億円/1元=15円で換算)とまだまだ日本に比べて小さい。しかし、ここに韓国、香港、台湾、シンガポール、マレーシア、タイ、そして日本が加われば巨大な市場となり、これが拡大すれば近い将来、日本市場を超えるであろう。
流れに消極的な日本映画界
つい最近まで、アニメも含めて、日本は海外への輸出に対して積極的ではなかった。特に劇映画に関しては、海外からバイヤーが買いに来れば売るが、積極的に海外に売り出すことは少なかった。その理由として、まず日本の国内市場が大きいということが挙げられる。日本の映画市場は高い入場料金によることもあるが、世界でアメリカに続き第2番目の規模である。だから日本の大手映画会社は、あえて海外まで売りに出る必要はなかった。海外に売っても金額は高くなく、売りに出るコストと見合わなかった。そこで、日本の文化を発信するということでは、映画祭に出品することにとどまってきた。それも、映画祭には、世界的に知られる監督たちの、独立プロダクションによる作品が多くを占めた。また、映画祭などで高い評価を受けた日本映画の多くも、海外では、熱心なファンを除けば、広く大衆には受け入れられなかった。ローカル・コンテンツ国となる危険性
国際共同製作についても、映画の輸出と同様、日本の映画産業は消極的だった。そこには二つの理由が挙げられる。一つは製作費の回収を国内市場を前提とすることから、あえて海外と組む必要がなかった。二つ目の理由は海外と組むことに不慣れなことだ。日本には映画製作での長い歴史と伝統があり、資金調達から回収までの情報開示に至るビジネス部分から、撮影の段取りから俳優のスケジュールまでの製作面まで、極めて細密なジグソーパズルのように組み合わされて作られる。周到に計画された撮影スケジュールは、熟練したスタッフたちの“あうんの呼吸”で遂行される。しかし、そのシステムは、国際共同製作に舞台が移されると十分に機能しなくなる。国際間のスタッフ同士では、そんな精密な計画は実行不可能だからだ。その結果起きる突発事態に臨機応変な対応ができないのだ。しかし、日本はこのまま自国市場にとどまっていては、いつかローカル・コンテンツ国となってしまう。国際展開に対応する人材の育成が急務になってきている。