スプリンターを量産するカリブの小国
2009年8月にベルリンで開かれた世界陸上選手権で、ウサイン・ボルトが前年の北京オリンピックで樹立した驚異の世界記録をさらに更新する“異次元の記録”で圧勝した。ジャマイカ勢は計13個のメダル(金メダル7)を獲得、長らく王座を保ってきたアメリカを圧倒した。人口わずか280万人、秋田県ほどのカリブの小国がスプリント王国にのし上がった秘密は何なのか。スペイン領になった16世紀以降、先住民は感染症とサトウキビ栽培で酷使されて絶滅したという。代わって西アフリカから労働力として移入された黒人奴隷の末裔が、現在も国民の90%を超える。細身で持久性に富むケニア、エチオピアなど東アフリカの民族とは対照的に、西アフリカ諸部族はもともと筋力、スピードに恵まれた屈強なスプリンター体質。これまで世界を牛耳ってきたアメリカ黒人選手とルーツは同じだった。
ジャマイカ育ちが移民後に活躍
その素質が初めてオリンピックで脚光を浴びたのは、当時の宗主国イギリスで開かれた1948年ロンドン大会。いきなり400mの金、銀メダルを獲得し、次回ヘルシンキ大会でも連続1、2位を占めた。ヘルシンキでは100mでも接戦の末に銀メダル、4×400mリレーでは世界記録を大幅更新して世界をあっといわせた。しかし、62年に独立してからも国内に満足な練習環境はなく、金の卵は高校卒業後に海外留学するものの欧米流になじめず伸び悩んだ。わずかに、76年モントリオール大会でドン・クオーリーが男子200mで念願の金メダル(100mは銀)に輝いただけ。「銅メダル・コレクター」といわれたマーリーン・オッティが象徴するように頂点は遠かった。その半面、移民先の欧米で才能を磨かれた選手も多い。オリンピックの男子100mでは、88年ソウル大会でベン・ジョンソン(カナダ)、92年バルセロナ大会でリンフォード・クリスティー(イギリス)、96年アトランタ大会でドノバン・ベーリー(カナダ)が優勝。ベン・ジョンソンは薬物違反が判明してメダルをはく奪されたが、実はいずれも同国出身者であり、3大会連続ジャマイカ育ちが1着でゴールしたことになる。女子400mのサンヤ・リチャーズも才能を生かすため12歳でアメリカへ移住し、09年の世界陸上ベルリンでついに女王の座に就いた。
あまりに素朴な練習環境
国内で選手育成をという機運が高まったのは90年代になってから。プロを対象にしたMVPトラッククラブが10年前に設立され、前100m世界記録保持者アサファ・パウエルら約100人が世界を目指して練習を続ける。近年はボルトが所属する小規模なレーサーズ・トラッククラブも誕生して互いに競い合う。優秀なコーチは多いが施設は貧弱で、全天候型トラックは全国に4カ所しかない。首都キングストンの走路も老朽化して芝生も雑草だらけ。最先端研究と設備を駆使するタイソン・ゲイらアメリカ勢と比べれば、素朴きわまりない環境だ。いまでも優秀な素材はアメリカへ留学するが、国内に受け皿ができたことは画期的だった。旧宗主国の影響でサッカー、クリケットと並んで陸上人気は高く、学校の授業でも「駆けっこ」は必須科目。起伏に富んだ地形の島内にはいたるところに坂道がある。「坂道ダッシュ」は子供たちにとっては日常の、しかも真剣な遊び。元サッカー選手だったパウエルも兄たちと日が暮れるまでダッシュを繰り返したという。地域、ブロック予選を経て全国の俊足ランナーが集う年齢別大会「チャンプス」は100年の歴史があり、才能は漏れなく発掘される。国民所得が世界100位にも届かない貧国だけに、国際的アスリートはあこがれの存在だ。国内残留組のハングリー精神は半端ではなく、両クラブとも暑さを避けて早朝は6時前後からと夕刻の2回、激しいトレーニングに明け暮れる。
“坂道ダッシュ”が育んだ人類最速
そんな地道な育成システムから誕生したジャマイカ勢の強さはどこにあるのか。191cmのパウエルと196cmのボルトは、ともにスプリンターとしては規格外の長身だ。両選手とも大型選手はスタートが苦手という従来の常識を破るスタートの巧者だ。80年代から長く活躍した188cmのカール・ルイス(アメリカ)は「スタートは出遅れなければいい」というスタイル。91年世界選手権東京大会では後半追い上げる得意のレースで9秒86の世界新を樹立した。99年に9秒79をマークしたモーリス・グリーン(アメリカ)は175cmで脚も短かったが、低い姿勢を保って加速し、後半の減速も抑えて時代をリードした。15歳で世界ジュニア選手権を制した天才児ボルトは当時から200mが専門で、2007年まで100mの自己最高は10秒03だった。それが本格参戦した08年7月に9秒72の世界新を樹立。課題だったスタート技術も短期間で身に着け、北京ではゴール前で力を抜いたが9秒69まで記録を短縮した。今季は筋力アップが目覚ましく、動き出しの際に大きな体を素速く動かす原動力になっていた。トップスピードになってからの脚の動きは、かかとの巻き込みが大きいのが特徴。日本陸上競技連盟の阿江通良科学委員長は「長い脚を効率的に前に引き出す動き。それにより足の接地が遅れ、ブレーキも減ってハイスピードを維持している」と分析する。9秒58で走ったベルリンでは史上最速の秒速12.5m(時速45km)、1歩の最大ストライドは285cmに達した。
「超大型選手が誰よりもスムーズに加速して最大スピードに達し、ゴールまで減速しない」のがいまのボルト。これでは誰も勝てない。08年に来日したパウエルをナショナルトレーニングセンターで測定したところ、脚の高速回転の原動力、腰の深部にある大腰筋が非常に発達していることが明らかになっている。恐らくは子ども時代からの「坂道ダッシュ」の成果で、ボルトらジャマイカ勢の強さの秘密とみていい。
人類はどこまで速くなれるのか
では、ボルトは、あるいは人類はどこまで記録を伸ばせるのか。ベルリンでの記録を様々な切り口から分析してみよう。ベルリンは追い風0.9mだったが、公認ギリギリの2.0mの風が吹いていれば記録は0秒08向上する計算なので9秒50となる。号砲への反応時間は0秒146だったが、ルール上の限界0秒100でスタートすれば9秒46に。電気計時で初の9秒台が生まれた海抜2300mのメキシコシティーで走れば、空気抵抗が少ないのでさらに0秒11は短縮でき、9秒34という数字になる。ベルリンのトラックは表面が柔らかめだったが、北京のような「高速トラック」ならさらに100分の数秒は速くなるから、9秒20台の記録を見込めることになる。ニュージーランドの統計学者モートンの未来予測では、2010年の100mは9秒68となっており、9秒58は2030年の記録。2100年の予測値は9秒37なので、上記条件をすべてクリアすれば22世紀の記録誕生ということになる。平地に限っても決して夢物語の記録ではない。ボルトが異次元のスプリンターと称される理由が納得してもらえるだろう。