女性が女性を好きになること
高校2年生のころ、私には仲の良い同級生がいました。頭が良くてスポーツも得意、誰に対しても優しい彼女はクラスの人気者でした。私たちは石川県の中高一貫の女子校に通っていて、テスト前には学校帰りにカフェで一緒に勉強するのが習慣でした。ある時、いつものようにカフェの片隅で教科書を広げていると、何だか彼女の様子がおかしい。そわそわと落ち着かず、勉強が手に着いていないんです。「どこか具合でも悪いの?」と心配して尋ねると、彼女は突然ぽろぽろと涙をこぼし始め、「実は」と口を開きました。「道ならぬ恋をしているの」と。「えっ、どういうこと!? もしかして、既婚の男性と恋愛しているの?」おろおろする私に、彼女はこう告白してくれました。「私、女の子と付き合っているの」私にとって、それはとても衝撃的な出来事でした。「女の子が女の子と恋愛をする」ということが、現実にあり得ることだとその時初めて気づかされたのです。世間には同性愛というものがあることも、ゲイの人たちがいることも、レズビアンという言葉も知ってはいました。しかし16歳の私にとっては、それはテレビや書籍などメディアの世界の話に感じられ、どこか遠い存在でした。少なくとも自分の身近には、同性愛者であることをカミングアウトして暮らしている男性も女性もいなかったからです。
彼女の涙を見てハッとした私は、二つのことに気づきました。一つは、「女の子が女の子を好きになることは、本当にあるんだ」ということ。もう一つは、私自身の初恋についてです。
クラスで同級生たちが好きな男の子の話をして盛り上がっているのを聞いても、私はなぜかぴんとこなかった。「オクテなだけで、もう少し大人になったら私も男の人を好きになる日が来るのかなあ?」と考えることもありました。でも、その日彼女の告白を受けて、私は自分の気持ちがわかったんです。「あ、私も女の子が好きなんだ」と。
親友の彼女への思いは、友情というよりも恋愛感情だったのです。もっと近づきたいな、一緒にいたいなという気持ち。メールの返事が来ないとやたら心配になったり、近づくとドキドキしたり。でも相手が女の子だから、それを「恋愛」と名づけることができなかったのです。しかし、この日を境に理解できるようになりました。私の初恋の相手はつまり、目の前で泣いている彼女でした。悲しいことに、私はその恋に気づいた瞬間に失恋しているのですが(笑)。というのも、彼女は私ではなく他の女の子と恋に落ちていたわけですから。失恋と同時に私は自分のセクシュアリティーに気づき、また、同じセクシュアリティーを持つ仲間を得ることになったのです。
セクシュアリティーを自覚した私がまず思ったのは「どうしよう! 結婚できない。子どもも産めない!」ということでした。親不孝だと感じたし、これからどうやって生きていけばいいのだろう、と途方に暮れたのを覚えています。私たちは、男性と女性が恋愛するのが当たり前とされる社会に生きています。男女は恋愛し、結婚し、家庭を持って子どもを授かり育てるのが一般的なこととされています。そのジェンダー規範があまりにも強固過ぎて、私自身もその価値観を内面化していました。きっと私の初恋の彼女も同じだったのでしょう。だから、女の子に恋をしてしまったことを「道ならぬ」と表現し、泣いてしまったのです。
私が自分自身のセクシュアリティーをカミングアウトし、元タカラジェンヌであるという経歴を公表したのは、2010年、25歳の時です。それまでは、自分自身がレズビアンであると公にできないこと自体が大きなストレスでした。別に悪いことをしているわけではないのに、言ってはいけない気がするのはどうしてだろう?と感じていました。
カミングアウトをしないで生活するのは、実はけっこう大変です。たとえば、会社で働いているとしましょう。デスクの脇に家族の写真を置いたり、雑談で恋人の話をしたりするのは、一般的な光景ですよね。でも、カミングアウトをしていない同性愛者は、気楽にそんな話に入っていけない。休日にどこへ誰と行ったよ、という何げない会話にも詰まってしまう。プライベートの話を一切出さないでいると、とっつきにくい人と思われて人間関係もスムーズにいかない。秘密を抱えたままでいるというのは、不便なものなんです。
LGBTだけじゃない多様な性を考えてみる
18歳で宝塚音楽学校に入学し、それからはレッスン一色の日々でした。小さいころからバレエを習い、舞台女優を目指していた私にとって、宝塚はまさに憧れの場所。とにかくレッスンに打ち込む日々だったので、このころは自分自身のセクシュアリティーの問題や、友情や恋愛などはすべて棚上げしていました。宝塚では下級生が上級生に疑似恋愛的に憧れることはあっても、本気で恋をすることなど考えられませんでした。舞台の上では、女性同士で恋愛物語を演じているのに、女性同士の現実の恋はタブーなのです。ちょっと不思議ですね。2005年に花組で初舞台を踏みました。しかし、体調を崩してそのまま復帰できなくなり、06年に退団することになりました。
2010年に「元タカラジェンヌでレズビアン」とカミングアウトしてからは、LGBTアクティビストとして活動を始めました。LGBTとは、L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシュアル、T=トランスジェンダーの頭文字を並べたもので、セクシュアル・マイノリティーの総称として使われています。レズビアンとは女性の同性愛者、ゲイは男性の同性愛者、バイセクシュアルは両性愛者であり、この三つの言葉は性的指向の違いを示しています。トランスジェンダーは生まれた時に割り当てられた性別と異なる性別として生きる人々をいい、性同一性障害者を含む場合もあります。12年に電通総研が約7万人を対象に行った調査によると、日本におけるLGBTの割合は5.2%となっています。およそ20人に一人ですから、学校でいえばクラスに一人か二人はLGBTの人がいることになります。
私が自分自身のセクシュアリティーを自覚したのは16歳の時でしたが、気づきがいつあるかは人それぞれです。幼稚園の時からわかっていたという人もいれば、私のように思春期で気づきを迎える人、異性と結婚した後で実は自分が同性愛者であったことを認識する人、妊娠・出産を経てから違和感に気づく人、中高年になってから変化する人……と本当に多様です。自分の恋愛対象が女性なのか男性なのかを定められないで揺れ動いている人もいますし、これまでずっと異性愛者だと思っていたのに、ある時、同性を好きになる人もいます。
セクシュアル・マイノリティーと呼ばれる人々は、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーだけではありません。他にも様々な人々がいます。
生まれ持った性別にとらわれず、男性でも女性でもなく中性、無性、あるいは両性の自認を持つ人々を「Xジェンダー」といいます。体は女性でも、性自認は「中性」というケースもあれば、見かけは男性でも性自認は「両性」ということもあります。
また、「他者に対して恋愛感情も性的欲求も抱かない」という人もいて、そういった方々を「Aセクシュアル」といいます。恋愛感情は抱くが性的欲求はない人たちは「ノンセクシュアル」。異性愛者でも同性愛者でも、ノンセクシュアルの人はいます。