大ブームを巻き起こした漫画『鬼滅の刃』を杉田俊介さんが読み解く。2回目は鬼について考えます。
*「『鬼滅の刃』を読む~この残酷な世界の中で誰もが鬼にならずにすむように」はこちら。
インターネットで『鬼滅の刃』についての感想を見ていると、「自分には小学生くらいの子どもがいるのだけれども、その子どもが炭治郎〈たんじろう〉や善逸〈ぜんいつ〉ら、鬼殺隊の人間だけではなく、鬼たちに共感し、深く同情している」というようなコメントにしばしば出合います。
たとえば小説家の仙田学さんは、8歳の長女と次のような会話を交わしたそうです(『鬼滅の刃』に学ぶ子育ての極意?!「俺は俺の責務を全うする!」)。
――累(るい)と妓夫太郎(ぎゅうたろう)と猗窩座(あかざ)の話が好き。
――なんで好きなん?
――みんな家族やきょうだい思いで、強い絆があるところが、読んでてすごくいいなと思った。
確かに、鬼たちの存在のあり方が『鬼滅の刃』の重要な魅力になっています。それは「鬼たちにも人間だったときには悲しい過去があった」というだけの話ではありません。そこには、なにか人間の本質に関わる問いがあるのではないでしょうか。きっと仙田さんの長女も、そのような本質的な問いに鋭敏に反応したのでしょう。
つまり、自分もいつか鬼になるかもしれない。ちょっとした不運や偶然によって。そして自分の中にも何らかの鬼がいるかもしれない。そうした感覚が、読者である子どもたちにも自然に伝わっているのではないでしょうか。
『鬼滅の刃』の世界では、鬼舞辻無惨〈きぶつじ むざん:「つじ」の字は1点しんにょう〉の血を摂取した人間が鬼になります。とはいえ、人間を喰う鬼たちにも、さまざまなメンタリティがあり、鬼になる経緯にもそれぞれの事情があります。
たとえば、人間だったころに、自分にとって一番大事な家族を殺してしまった。あるいは、大切な人を守れずに死なせてしまった。それがつらい。耐えられない。だから、記憶を消して、人間だったときの悲しみを忘れて、鬼として生きる。人間たちを殺し、喰らい続ける。こうしたパターンをたどった鬼たちが、『鬼滅の刃』にはしばしば登場します。
◆◆◆
そもそも、『鬼滅の刃』において、人間と鬼の違いとは何でしょうか。
もちろん、鬼たちは人間を喰い殺す存在であり、鬼殺隊の隊員は鬼たちに抗って、命がけで戦います。その点では、人間と鬼は絶対に相いれない存在であり、戦い続けることを宿命づけられています。殺し合いの螺旋からどちらも逃れることはできないのです(鬼舞辻無惨を倒す日までは)。多くの鬼殺隊の隊員たちも、そのように考えているでしょう。
しかし、主人公の炭治郎は、那田蜘蛛山での蜘蛛鬼・累〈るい〉たちとの戦いのあと、冨岡義勇〈とみおか ぎゆう〉が「人を喰った鬼に情けをかけるな/子供の姿をしていても関係ない/何十年何百年生きている醜い化け物だ」と切り捨てたことに対し、次のように反論します。長いセリフになりますが、そのまま引用しましょう。
「殺された人たちの無念を晴らすため/これ以上被害者を出さないため…/勿論俺は容赦なく鬼の頸に刃を振るいます/だけど鬼であることに苦しみ/自らの行いを悔いている者を踏みつけにはしない/鬼は人間だったんだから/俺と同じ人間だったんだから/【義勇が蜘蛛鬼・累の着物を踏みつけにしたことに対し】足をどけてください/醜い化け物なんかじゃない/鬼は虚しい生き物だ/悲しい生き物だ」(第43話)
炭治郎のこの言葉に、義勇は衝撃を受けたような顔をします。おそらく、自分の思い込みを壊されたからでしょう。いや、それだけではないかもしれません。義勇もまた、炭治郎が口にした「醜い化け物なんかじゃない/鬼は虚しい生き物だ/悲しい生き物だ」という真実に、かねてから、無意識的に気づいていたのかもしれません。だからこのとき、衝撃を受けたのかもしれない。いずれにせよここで語られた炭治郎の言葉は、『鬼滅の刃』の基本的な世界観を示すものである、と私は考えます。
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この他者を「踏みつけ」にする、しないという問題は重要なものであり、『鬼滅の刃』の中では繰り返し出てきます。他者の命の尊厳を「踏みつけ」にしてはならない、ということ。たとえ相手が「鬼」であっても。多くの「鬼」たちは、悲しく虚しい生き物ではあるけれど、決して「醜い化け物」ではない、ということ。このぎりぎりの感覚が重要なのです。
炭治郎は「鬼は人間だったんだから/俺と同じ人間だったんだから」と言いますけれども、これは、よくある「善悪の相対化」(悪には悪の事情があるし、この世には人の数だけ正義がある、というタイプの相対主義)ではないでしょう。あるいは炭治郎は「人間の原罪」(人間の存在こそがじつはこの世の悪であり、諸悪の根源である、という『デビルマン』タイプの世界観)について語っているのでもないでしょう。
実際に炭治郎は鬼を「踏みつけ」にはしないけれども、「容赦なく」殺す、とも述べているからです。これはどういうことでしょうか。
そもそも、鬼の生の悲しさ、虚しさとは何を意味するのでしょうか。
重要なのは、鬼たちの存在は悲しく虚しいものであっても、決してそのまま「悪」(醜い化け物)ではない、と見なされていることです。ここには微妙で繊細な感覚があります。
『鬼滅の刃』
吾峠 呼世晴(ごとうげ こよはる)作。『週刊少年ジャンプ』(集英社)に2016年11号から2020年24号まで連載されたマンガ。2019年からテレビアニメ化。2020年10月には劇場アニメ『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が公開された。
下弦
人喰い鬼の首領・鬼舞辻無惨によって選ばれた鬼たちの最精鋭の「十二鬼月」の階級。「上弦」と「下弦」に分かれ、それぞれに、壱、弐、参、肆(し)、伍、陸(ろく)という順番になっている。
上弦
人喰い鬼の首領・鬼舞辻無惨によって選ばれた鬼たちの最精鋭の「十二鬼月」の階級。「上弦」と「下弦」に分かれ、それぞれに、壱、弐、参、肆(し)、伍、陸(ろく)という順番になっている。