増加するクロスボーダーM&A
日本企業による外国企業の買収、いわゆるクロスボーダーM&A(国境を越えた企業の合併・買収)が、過去数年再び増加している。2008年は案件総額が過去2番目に多く、約7.5兆円に達した。今、なぜクロスボーダーM&Aが日本企業の間で活発になっているのか。日本企業によるクロスボーダーM&A自体は目新しい話ではなく、最初のブームは今から約20年前、1980年代後半のバブル絶頂期であった。日本企業は株高と好調な業績を背景に、欧米企業やその資産を買いあさった。ブリヂストンによるファイアストン(アメリカ)の買収、ソニーによるコロンビア・ピクチャーズ・エンターテインメント(アメリカ)の買収、松下電器産業によるMCA(アメリカ)の買収などが代表的な事例である。だが、この時期のクロスボーダーM&Aは、バブル崩壊後、失敗が明るみになり、売却を迫られたりしたケースも少なくない。第二のブームは、2000年のいわゆるITバブル時で、NTTドコモやNTTが積極的に欧米やアジアの通信会社に出資・買収攻勢をかけたのが目立った。そして、近年が第三のブームである。06年以降の主な案件を見ると、日本の業界最大手企業が買い手に名を連ねている。過去2回のブームとの違いは、ターゲット企業が欧米の企業ばかりではなく、アジアやオセアニア地域の会社にまで広がっている点である。では、近年どのようなタイプのクロスボーダーM&Aが増えているのか。以下、二つのタイプに分けて説明する。
国内頭打ちで海外需要を開拓
一つ目は、海外市場の需要を開拓するためのクロスボーダーM&Aである。少子高齢化問題や景気低迷による国内市場の需要は頭打ちで、小売り、食品、医薬品、通信といった内需関連の業界では、売上高成長率が伸び悩んでいる。そのために各企業では、成長率の高い新興国市場や市場規模の大きい欧米市場を開拓する必要に迫られている。その中で、食品、医薬品メーカーなどでは、現地の販売網を迅速に整備したり、海外の売上高を拡大したりするために、外国企業を買収するケースが近年増加している。例えば、キリン・ホールディングスは、15年の海外売上高比率30%の実現に向けて、過去数年、アジアやオセアニアでのM&Aを活発化させている。07年にはオーストラリア第1位の乳製品・果汁飲料メーカーのナショナルフーズ、08年にはオーストラリア第2位の乳事業会社デアリー・ファーマーズを買収した。それから、09年にはフィリピン最大のビールメーカーであるサンミゲルビールへの資本参加や、子会社でオーストラリア第2位のビールメーカーであるライオン・ネイサンの完全子会社化の計画などを発表し、アジア・オセアニア地域のリーディングカンパニーを目指して、着々と地歩を固めつつある。一方、ライバルのアサヒビールやサントリーも、キリンに対抗して、オセアニアでのM&Aを近年相次いで実施した。
円高でかつ世界的に株価が低迷している昨今のような局面において、国内市場が飽和状態に陥っているような内需型産業では、クロスボーダーM&Aを活用した海外市場への拡大が成長低迷の打開策となり得るため、今後もこのタイプのクロスボーダーM&Aの件数は伸びていくであろう。
グローバル競争で規模の利益追求
二つ目は、グローバル競争においてマーケットシェアを上げ、規模の利益を獲得するためのクロスボーダーM&Aである。日本では、従来、業界内の合従連衡を通してシェアを拡大していくという戦略が一般的ではなかったため、一つの業界に多くの企業が乱立するケースが多かった。過去10年間では、銀行、生保、損保などの金融業界、デパート、ドラッグストア、家電量販店などの小売業界、医薬品業界などで合従連衡が進み、国内での寡占化が進行したが、再編余地のある業界はいまだに多い。そうしている間に、欧米企業を中心とするグローバル・トップ・プレーヤーの巨大化と寡占化が進行し、日本のトップ・プレーヤーがグローバルでもトップに君臨するような業界の数は減っていった。例えば、医薬品業界では、1990年代終わりから2000年代前半の相次ぐ大規模なM&Aによって、ファイザー(アメリカ)、グラクソ・スミスクライン(イギリス)、サノフィ・アベンティス(フランス)、アストラゼネカ(イギリス)といった巨大製薬会社が誕生している。世界の製薬会社の売上高ランキングを見ると、国内首位の武田薬品工業でさえ17位に過ぎない。だが一方で、近年、国内のリーディング・カンパニーが、規模の拡大を目指して海外の同業他社を買収するケースも徐々に増えてきている。例えば、06年の日本板硝子によるピルキントン(イギリス)の買収やJTによるガラハー(イギリス)の買収、07、08年の東京海上日動火災によるキルン(イギリス)およびフィラデルフィア(アメリカ)の買収などがそれに当てはまる。グローバル競争において、規模を追求することだけが必ずしも有効な戦略というわけではないが、ある程度以上の規模がないと、価格交渉力、コスト競争力、新製品開発力、販売力などの面で、世界のトップ企業と渡り合っていけないことも確かである。また、規模が小さいと、逆にグローバル・トップ・プレーヤーの買収ターゲットにもなり得る。したがって、今後もこのタイプのM&Aを検討する日本のトップ企業は増えるだろう。
中長期戦略に立つM&Aが必須に
近年の日本企業によるクロスボーダーM&Aブームの背景には、国内市場の成熟化とグローバル競争の激化という重たい現実があり、日本企業はクロスボーダーM&Aの積極化を半ば迫られている。一方で、クロスボーダーM&Aの場合は、習慣や文化の違いなどもあり、国内企業同士のM&A以上に買収後の統合プロセスに困難が予想される。今後クロスボーダーM&Aで海外に打って出る日本企業においては、過去の欧米企業や日本企業による成功・失敗事例の分析を十分にした上で、自社の中長期的な成長戦略の一部として位置付ける必要がある。