選択肢は、社会保障を維持するかどうか
まず、初めに押さえておきたいのは日本の人口構成の推移だ。日本は現時点でも高齢者(65歳以上)の割合が世界で一番多い国となっていて、しかも高齢化率(人口に占める高齢者の割合)のスピードも、かつてどの先進国も経験したことのない速さで進んでいる。そのため、医療や介護や年金といった社会保障の分野において、国の負担は増え続けることになる。そこで、政府の「社会保障国民会議」がさまざまなシミュレーションを行い、医療と介護と年金において現在の社会保障の水準を維持するには、2025年度までには消費税を10%にする必要があることを08年11月の「最終報告」で公表した。内訳は、基礎年金で1%弱(現在の社会保険方式が前提)、医療と介護で4%弱、少子化対策で0.4~0.6%程度で、合計5%程度。現在の消費税が5%なので合計で10%になる。これが10%という数字の根拠である。つまり、いま私たちには、大きく次の2つの選択肢がある。「社会保障は維持できなくても、このまま消費税を上げないでほしい」か「少なくとも現在くらいの社会保障は維持してほしい」か、である。
消費税アップで景気は悪化する?
日本では「消費税が上がると景気が悪くなる」と考える風潮があるが、これは次の要素を踏まえて整理しておく必要がある。まず、「消費税が高いと(消費が弱くなって)景気が悪くなる」というのは、本当なのだろうか? もしこれが本当なら、スウェーデンなどの消費税が20%を超えている国の経済は壊滅的になっているはずだ。しかし、実際にはそうなってはいない。それどころか、消費税25%のスウェーデンやデンマークが「IMD国際競争力ランキング」では日本より上位に位置するなど、むしろ好調だ。ちなみに、WEFの2010年ランキングでは、日本は6位、スウェーデン2位、デンマークは9位である。
要は、この「消費税が上がると景気が悪くなる」という論は、増税を「負担」という側面からしか判断しないために出てくる誤解なのだ。北欧の国々は「高負担・高福祉」と言われるように、「高い負担」は同時に「多くの安心」をもたらしている。つまり、いくら消費税の負担が高くても、そのぶん国からのサービスも得られているため、国民は将来に備えて過剰にお金を貯め続ける必要性が少なくなっているのだ。そのため、社会保障の充実によって「お金を使いやすい環境」が生まれ、高い消費税のもとでも経済は堅調を維持できているのだ。
消費税は景気の影響を受けにくい
また、日本で「消費税が上がると景気が悪くなる」という論が信じ込まれてしまったのは、消費税が3%から5%に上がった1997年の世界経済の動きも大きく関係している。実は、消費税のアップが行われた97年に、たまたま「アジア通貨危機」に端を発した世界経済の危機的な状況が重なってしまったのだ。そして、日本では「消費税のアップで消費が落ちて経済悪化をまねいた」とされ、それが定着してしまっている。ただ、実際は消費税で得られる税金は景気にかかわらず、所得税や法人税に比べてあまり変化はなく、消費税は景気の影響を受けにくいのだ。消費税のさらなるアップも「選択次第」
それでは、なぜこれまで消費税のアップがタブーになっていたのだろうか。日本では「負担」と「給付」の関係が明快ではなく、「増税」というと多くの国民が「負担」しか頭に思い浮かばなかった面が大きくある。そこで、日本では「負担」と「給付」の関係を明確にするため、2008年末に「政策転換」が行われている。具体的には、これから日本の社会保障費は少子高齢化の影響によって自然に毎年1兆円の規模(11年度は1.3兆円)で増え続けることになるのだが、政府はこの社会保障費については削減しないことを決定した。そして、「これから消費税がアップした分はすべて医療、介護、年金、子育てといった国民の社会保障だけに充てる」ということが08年12月24日に「中期プログラム」で閣議決定され、09年3月に成立した「改正所得税法」(附則104条)にも法律として書き込まれているのだ。以上をまとめると、これから私たちが「少なくとも現在くらいの社会保障は維持してほしい」と選択し、消費税を10%にした段階で、社会保障はようやく「スタート地点」に立てるのである。そして、今後「もっと安心できる社会にしてほしい」と考えるならば、さらなる消費税のアップを選択していくことになる。例えば、「医療費をもっと下げてほしい」と考える場合、消費税を0.3%上げると「65歳以上の高齢者の医療費の自己負担はすべて1割でいい」という社会を作ることができる(厚生労働省「高齢者医療制度に関する検討会」より)。つまり「国にどのくらいの安心を求めるのか」は、まさに国民の(選挙による)選択次第なのである。
最後に、社会保障の話とは別に「消費税が高くなると、普段の生活が厳しくなってしまうのではないか」という心配が出てくることも忘れてはならない。実際に消費税が10%を超える国がヨーロッパを中心にして多く存在するが、こうした国々では、主に低所得者への配慮として消費税の「複数税率」の導入が行われている。この複数税率というのは、食料品などの生活必需品に対する消費税は低く抑えようとするもので、例えばオランダでは通常の消費税は19%だが、食料品や医薬品、書籍といった生活必需品についての消費税は6%に抑えられている。これから日本でも消費税アップの議論が活発に行われてくることになるだろうが、税率が高くなるほど複数税率の議論も重要になる。社会保障の充実の話と合わせて、複数税率についても頭に入れておきたい。
社会保障国民会議
医療、年金、社会福祉の3つのテーマについて、将来のあるべき姿を議論する会議。福田政権下の2008年1月に発足。各界の有識者によって構成され、各部会ではさまざまな議論やシミュレーションが行われた。委員長は、東京大学大学院経済学研究科の吉川洋教授。同年11月の第9回会議でまとめられた最終報告では、社会保障の機能強化に重点を置いた改革の必要性を説き、具体的には、(1)高齢期の所得保障、(2)子育て支援の充実、(3)セーフティーネットの強化などを挙げている。
国際競争力ランキング
各国の国際的競争力を比較したもの。スイスのビジネススクール「経営開発国際研究所」(IMD)の「世界競争力年鑑」とジュネーブに本部を置く非営利財団「世界経済フォーラム」(WEF)の「国際競争力レポート」の2つがある。どちらも毎年公表され、IMDは経済状況、政府の効率性、ビジネスの効率性、社会資本の4分野で、WEFは経済基盤、健康と初等教育、金融市場の成長、ビジネス環境など12の分野で評価、算出される。
アジア通貨危機
1997年7月のタイの通貨(バーツ)の急激な下落から始まった、アジア各国の通貨下落の連鎖現象、またはこれを原因とする経済危機のこと。アジア経済の危機は、韓国がデフォルト(財政破綻)寸前に追い込まれるなど深刻化し、98年8月のロシアのデフォルトや巨大ヘッジファンドLTCMの破綻などにも飛び火し、世界経済に危機的な状況をもたらした。