2014年4月に英語版“Capital in the Twenty-First Century”が出版され、左派のノーベル経済学賞受賞者であるポール・クルーグマン教授(プリンストン大学)やジョセフ・スティグリッツ教授(コロンビア大学)が、この妖怪を支援する言動を始めると、右派勢力が妖怪に対する討伐同盟(リバタリアン)をむすんで反撃してきた。
本稿では、まずこの妖怪の正体を明らかにしたうえで、不平等をめぐる左派対右派論争には根本的な間違いがあることを指摘し、結論として私が導き出した解決策を提示したい。
◆異例のベストセラーになった理由
『21世紀の資本』が引き起こした論争の中心地はアメリカである。アメリカ経済は、2008年の世界金融危機によって、ウォールストリート(金融資本家)とメインストリート(製造労働者)の格差拡大が表面化することになった。特に、投資銀行の最高経営責任者(CEO)たちは、金融危機を引き起こした直接の責任者であるにもかかわらず、一般労働者の1000倍の所得を得ていることが世間に広く知られるようになった。
その矢先、『21世紀の資本』が出版され、資本主義がもたらす不平等拡大を理論と実証を組み合わせて論証したのである。まさに、絶好のタイミングであったといえる。そして、左派対右派の過激な論争を引き起こし、過激な論争がさらに同書を注目の的として世界的大ベストセラーに成長させるという好循環が始まった。
なぜ『21世紀の資本』はそれほど魅力的なのか? クルーグマン教授やスティグリッツ教授は、ピケティが特に超富裕層に焦点を当てて、上位1%の富裕層への所得と富の集中を示す世界中のデータをまとめ上げ、事実として明らかにした点を高く評価する。
例えば、アメリカでは上位1%の富裕層が全資産の42%を所有しているのに対し、下位80%が所有する資産は5%にすぎない。また、仮に一般労働者の年収を500万円とすると、投資銀行CEOの年収は50億円(1000倍)ということになる。
◆ピケティの分析と高課税政策
『21世紀の資本』は、数世紀にわたる膨大なデータ分析に基づいて、産業革命以降の所得と富の変動を分析した研究書である。それによると、18~19世紀のヨーロッパでは、硬直的な階級制度の下で、富は少数の富裕家族の手に集中していた。(富/所得)比率は高く、産業革命以降に賃金は少しずつ上昇していたが、不平等はそのまま存続した。
しかし、不平等な社会構造は、20世紀に起こった二つの世界大戦と大恐慌によって崩れることになる。戦争による資本破壊、戦費調達のための高税率、高インフレ、企業倒産、そして第二次世界大戦後、多くの先進国が採用した福祉政策によって、(富/所得)比率は低下し、戦後は18~19世紀とは大きく異なった比較的平等な社会が生まれてきた。しかし、今日、20世紀の二つの世界大戦と大恐慌のショックは薄れ、資本の論理が世界を支配し始めている。欧米先進国では再び所得と富の不平等が拡大し、18~19世紀の水準に回帰しつつある。
これらの研究結果に基づいて、ピケティは不平等と資本の関係についての独自の理論を展開する。その基本となるのが、資本収益率(r)が経済成長率(g)よりも常に大きいという歴史的事実である。この不等式(r>g)が成立する限り、(富/所得)比率が増大し、富の集中を自然に抑制する経済メカニズムは存在しない。
今後、急激な人口増加や技術革新によって戦後復興期の高成長が再現されない限り、われわれは18~19世紀に経験した世襲資本主義の時代に戻ることになる。そうなれば、不平等拡大によって政治不安は高まり、民主主義の脅威となる。それを事前に回避するために、ピケティは高所得課税とグローバルな富課税という政府介入を提案する。
◆左派対右派論争の重大な問題点
ピケティの高課税政策に対して、右派は複数の側面から反撃を始めた。第一に、不平等の拡大という事実を認めてしまうと右派の政治的立場が非常に不利になるのは明らかなので、ピケティが集めた膨大なデータの不備を次から次へと指摘して、不平等拡大の事実自体を否定する作戦に出た。今まで集計されていなかった新しいデータを分析したのであるから、データが不完全であることは避けられない。
しかし、ピケティが集計したデータの不完全性が、20世紀後半から不平等が拡大してきたという結論を覆すほど深刻な問題だとは思えない。また、たとえ不平等が現在の水準で推移すると仮定しても、不平等が自然に消えるわけではないことは右派も認識すべきであろう。
第二に、右派はピケティの高課税政策が経済成長を低下させることを指摘する。確かに、ピケティは高課税が成長に与える負の影響を過小評価しているように思える。これは不平等削減を主張する左派に共通する弱点だ。
たとえ、高課税政策によって不平等が減少したとしても、経済成長が低下したのでは元も子もない。全員貧乏で平等という状態よりも、不平等だが全員豊かである状態の方が望ましいのではないだろうか? それでも前者の方が望ましいと主張する人がいれば、右派は自分と他人を比較して生きるような人生観(嫉妬心)は捨てなさい、と主張するであろう。これに反論するのは難しい。
しかも、多くの先進国において、戦後、課税や国債発行によって大きな政府が誕生し、民間経済が相対的に縮小もしくは政府規制の下に置かれ、その結果成長が鈍化してきたことは否定できない。
ところで、左派はなぜ不平等は削減されなければならないと主張するのであろうか? ピケティは、不平等拡大によって政治不安が高まり民主主義の脅威となる、という以上の理由を述べていない。しかし、不平等はなぜ民主主義の脅威とならなければならないのか?
実は、これは左派に共通する弱点なのであるが、彼らはなぜ不平等が問題なのかという基本的問いに関して明確な答えを述べていない。不平等が拡大すると、人びとの「嫉妬心」が増大して、金持ちに対して敵意を抱くようになるので政治的不安定が増す、というのであろうか? もしそうならば、不平等自体が問題なのではなく人びとの「嫉妬心」が問題だ、ということにならないだろうか? これは、不平等が問題だというにはあまりにも卑屈な理由であろう。
左派対右派論争の本質を簡潔に表現すると次のようになる。左派は「不平等は悪だ」という前提から議論を始める。そして、不平等を削減するために増税と国債発行による「大きな政府」政策を主張する。
他方、右派は「不平等は問題ではない」という前提から議論を始める。右派は、不平等を問題だと主張する人たちは怠け者で金持ちに嫉妬しているだけだ、と見なす。そして、本当の問題は不平等ではなく、「大きな政府」による民間活動の圧迫とその結果としての低成長にある、と考える。したがって、右派は経済成長を高めるために減税政策と「小さな政府」を主張する。
これでは左派と右派の論争に結論が出るわけがない。両者の議論の前提が始めから矛盾しているのだから、議論は平行線をたどるだけだ。
◆良い不平等と悪い不平等がある
結局、左派と右派の論争を超えて問題を解決するには、そもそも「なぜ不平等は問題なのか?」という基本的な問いにさかのぼって考察を始める必要がある。その考察について、私の結論は以下のようになる。
まず、不平等が問題となる最も根源的な理由は、人間が公正や正義などの感情を本性として持つように進化してきたという事実にある。