TPPで自滅する日本型産業社会 (1)からの続き。
秘密交渉の実態と日本の無力
環太平洋経済連携協定(TPP ; Trans-Pacific Partnership)交渉がこれまでの関税貿易一般協定(GATT)や世界貿易機関(WTO)の多国間貿易交渉と違って、特に異常なのは、その徹底した秘密主義にある。同時並行で進められるアメリカとEUとの環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)では、交渉原案や交渉進捗状況などがつぶさに開示され、議論され、EU側の対案が出されているのとは真逆な状況である。しかし、情報の断絶に本当に困ったのは日本社会だけで、参加各国では、業界、非政府組織(NGO)などに必要最小限の情報は流れていた。前回触れたインドネシア政府の例にみられるように、参加国でなくても周辺各国は交渉原案を入手し、対策を検討している。安全保障が関係する機密文書に比べれば、このレベルの非公開文書を入手するのは困難ではない。
また、アメリカの場合、TPP交渉を担うアメリカ通商代表部(USTR)に700人もの外部専門家、企業スタッフなどが参加して、具体的な交渉テーマの策定や各国の貿易障壁の把握などのために働いている。そうした専門家は流動性が高く、各省庁、議員、ロビイスト、関係企業や業界団体とも意見交換を進めているので、いかに厳格に管理しても情報は次第に漏えいする。
そもそもTPPの秘密性というのは、全体あるいは他国の部分の守秘義務であって、自国分は国内の業界・企業と相談できることになっている。各国政府も業界のことを熟知しているわけではないから、関係企業と相談し、場合によってはTPPに反対のNGOとも意見交換する。結果的に、開示された情報を総合すれば全体像も明らかになる。TPP交渉会場のホテルにNGOが集結するのは情報交換の場でもあるからで、各国政府交渉官もそうしたNGOから他国の情報を入手し、自国の交渉戦略に活用した。会場にたむろする日本の記者も実は外国プレスの友人から情報を得ていたのだが、日本政府の報復を恐れて一切記事にしなかったという。
今や、ウィキリークスなど民間情報開示組織が存在する。TPPの問題点が明らかになり、市民社会が反発を強めていく段階で、ウィキリークスは交渉文書を入手し、次々と公開していった。最終段階ではTPPの秘密交渉の内容はほとんど時間差なくリークされ、秘密を過度に守る必要すらなくしてしまった。
このような状況の中で、日本政府のTPP交渉部局だけがひたすら原理原則論を守り、各省庁、自治体、国会議員、関係団体にも情報を開示しなかった。国会で、こうした国際社会で流通している情報をもとにTPPの交渉内容について追及されると、「違法な手段で獲得された情報にはコメントしない」という役人答弁を繰り返した。これが日本全体のTPP問題の対応の遅れの最大の原因となったのである。
「中韓封じ込め」の妄想
2010年秋に民主党の菅直人首相(当時)がTPP参加の意向を示し、党内で大きな反発が生まれたときに、推進派が持ち出した主張の一つが、韓国との競争上有利になるということだった。当時、円高ウォン安の状況で、日本の輸出産業は韓国との競争に苦慮していたが、米韓FTA(自由貿易協定)を締結しTPP構想にはすぐには参加できない韓国との関係において、TPPによって日本が有利になるとの主張がまことしやかに繰り返された。さらに、尖閣問題や中国の太平洋進出の脅威などに対する反発と一体化され、TPPが対中韓競争戦略であるかのごとき誘導が推進派からなされた。これは、当初は日本側の漠然とした嫌韓/中国脅威論から出てきたものであろうが、アメリカのオバマ政権はこのテーマの有効性に目をつけ、途中からはオバマ政権自体が、TPPの実態がわかって及び腰になった日本やアメリカ議会の反貿易協定議員を説得するテーマとして、盛んに宣伝するようになった。
安全保障が絡むテーマであるから、経済上の得失の枠外となる。こうした主張もまた、経済的便益が定かではないのにTPP参加を推進する側の宣伝材料となった。
安倍政権の登場とTPP交渉加盟
菅政権を引き継いだ野田政権も、党内の新自由主義的なグループや企業寄りの民間労働組合出身議員などの支持をもとにTPP加盟を推進しようと試みたが、資料を集めれば集めるほどTPP参加のメリットが乏しくリスクが高いという状況に直面し、結局、参加に踏み切ることはできなかった。ところが、12年末の衆議院議員総選挙で民主党が大敗し、圧倒的な自民党勢力を背景に政権に返り咲いた安倍晋三首相は、野党時代はTPP反対を訴えていたにもかかわらず、TPPをアベノミクスの成長戦略と位置づけ、有無を言わさず、即時のTPP加盟を求めて交渉加速に乗り出した。輸出拡大のための円安誘導、前例のない積極金融・財政政策などに期待する産業界はもろ手をあげて早期加盟の大合唱となった。これまでTPPに慎重あるいは反対だった農業・医療など業界団体も一斉に安倍政権の下へなびいた。かくして安倍政権は13年3月15日にTPP交渉参加声明を出した。これまで大反対だった自民党の農業関係議員も「交渉は聖域なき関税撤廃を前提としない」との方便を了解し、交渉賛成に転じた。
アメリカ側は安倍政権の意図と参加に焦る状況をよく把握し、アメリカに次ぐ経済規模を持つ日本の参加に対して、あくまで遅れてきた「新参者扱い」し、過去の交渉経過に口出ししたり、改変要求したりすることを許さなかった。
その一方で、並行して二国間交渉を行い、TPPの枠外で、しかもTPPと一体化した日米二国間協定を締結した。それは正式の協定ではなく、佐々江賢一郎在ワシントン日本大使と、デメトリオス・マランティスUSTR代表代行との13年4月12日付書簡の交換という不思議な形態をとった。かくして交渉前にもかかわらず、日本のTPP交渉は13年4月12日、実質的に終結した。
二国間並行協議の屈辱
TPP交渉を監視して驚くのは、アメリカ側は最初から、TPPという野心的な広域地域貿易システムが成立しない可能性をも考慮して交渉を進めていたことだ。例の秘密保持の確約で、TPP交渉の中身は協定成立後4年間秘密が守られることになっていたが、実際にリークされた交渉原案の表書きには、TPP協定署名後のみならず、“たとえ協定が成立しなくても”4年間秘密が守られなければならないことが明記されていた。他国の状況を把握しているわけではないが、アメリカは日本に対してはTPP不成立も視野に入れ、その場合でも実質的利益が確保できるように二国間交渉を組み立てていた。
この実態を知ってか知らずか、農水族議員が集結する衆議院農林水産委員会では13年4月19日に、TPP交渉に慎重さを求める8条の国会決議がなされた。その中では、
(1)コメ・麦・牛豚肉・乳製品・甘味資源作物の5品目(いわゆる聖域5品目)を関税削減の対象外とする
(2)残留農薬基準、遺伝子組み換え食品の表示など食の安心・安全を守る
(3)漁業補助金に関する国の政策決定権維持
(4)国の主権を損なうISDS(投資家対国家の紛争解決)条項に反対
などを強く政府に求めた。
しかしながら、これは日本が貿易交渉において繰り返してきた茶番であって、実質的には、すでにTPP交渉において十分すぎるほどの譲歩が前述のごとく4月12日には決定していたのである。
このTPPと並行して行われた日米二国間協議であるが、そこでは、(1)保険、透明性確立/貿易円滑化、投資、知的財産権、規格・基準、政府調達、競争政策、急送便および衛生植物検疫(SPS)分野における非関税措置に取り組む、(2)自動車問題交渉の大枠、などが交渉された。
(1)はそもそもTPPの中核的要素であるから、日米二国だけで勝手に相談すべきものではないが、事実上ほとんどの分野でアメリカの言い分を認め、これがのちのTPP全体交渉に反映された。
(2)の自動車問題は本来、TPP構想とは直接関係があるわけではない。