2016年2月に参加12カ国の署名に至った環太平洋経済連携協定(TPP)交渉。TPPを成長戦略の柱の一つと位置づける安倍政権のもと、秋の臨時国会では協定の国会承認を求める議案と、関連法案の審議が再開される。その一方で、TPPが日本社会にどれほど深刻な影響を与えるのかについて、理解が広がっているとは言い難い。元民主党衆議院議員で、一連のTPP交渉を監視してきた市民政治バンド代表の首藤信彦氏が、TPPの危険性を分析する。
はじめに~実質的にTPPが発効している日本~
環太平洋経済連携協定(TPP ; Trans-Pacific Partnership)は難航の末、2015年10月アトランタ閣僚会合で合意が宣言された。翌16年2月に署名され、各国において批准協議と国内法整備がスタートした。日本でもアベノミクスの中核をなす成長戦略の一環として早期批准の動きがある。多くの課題を残しながら一応は協定案の各国署名にまでたどり着いたのは、アメリカ側がその主張の多くを引き下げ、結論を先送りしたからだと理解されている。
しかしながら、すでにアメリカ大統領選挙の候補者選択の段階において、民主党のバーニー・サンダース議員、共和党のドナルド・トランプ候補が協定そのものに反対、そしてオバマ政権下の国務長官としてTPP推進の立場にあったはずのヒラリー・クリントン議員までもがTPP協定の批准を拒否し、再交渉を要求するようになっている。
TPP協定はアメリカと日本の両方が批准しないと、発効しない。11月の大統領選直後から次期大統領が就任する翌17年1月のいわゆるレイムダック期間を狙って、バラク・オバマ大領領が8年間の遺産作りのために、離任の直前に批准を強行する可能性は残されている。しかし、たとえTPP協定が形式的に成立しても、内容の再検討と再交渉が次期大統領の手によって進められるであろう。
日本にとって問題なのは、TPPが成立しようがしまいが、実質的には13年の日米並行協議合意により、TPP構想でアメリカ政府・産業界が目論んでいた日本側の市場譲歩と制度変更がすでに多くの分野で、ひそかに着実に進められていることである。事実上、日本に関してTPPはすでに発効したと言っても過言ではない。ある意味において、それはTPP以上に悪質なものである。
また、TPP交渉が足踏みしている6年間に、世界の政治経済情勢、アメリカの国際支配力、そして「貿易の意味」も変化してきた。当初予想もしなかった、気候変動や環境的側面、世界の貧困や格差、人権問題などが、このTPP、そしてEU(欧州連合)とアメリカとの経済連携で、いわばTPPの大西洋版である環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP ; Transatlantic Trade and Investment Partnership)交渉、さらに日本、アメリカ、EUなど22カ国・地域が参加し知財分野での覇権がからむ新サービス貿易協定(TiSA ; Trade in Services Agreement)などの巨大貿易協定(メガ協定)に大きな影響を与える要素として登場してきている。日本ではこれまで、この環境や人権といった視点が全く顧みられてこなかった。
ともあれ、少なくともアメリカ大統領選がヒートアップしている間は、TPPは進展しない。今この時点でこそ、TPP交渉をその原点から振り返り、その実態と日本社会への脅威を総括して、来るべき次期大統領との再交渉にそなえなければならない。
始まりは小国凹凸自由貿易連合
06年、ニュージーランドの発案によるTPPの原形がスタートした。参加国はニュージーランド、ブルネイ、チリ、シンガポールの4カ国でP4協定と呼ばれる。参加国の内訳は要するに、農業国のニュージーランド、石油に浮く島といわれるブルネイ、鉱物資源の豊富なチリ、商業都市国家のようなシンガポールであり、それぞれが一芸に秀でているものの、包括的な産業や貿易の担い手ではない。こうした生産要素の偏在している小国が自分の不得意な分野(凹)の発展はあきらめて、自国に有利な分野(凸)に特化した貿易形態を採用しようとした、一種の凹凸自由貿易連合がそれである。
たとえそのP4協定がそのまま発展しても、世界経済、いやアジア太平洋地域においてすら影響はそれほど大きくはなかったであろう。当然、各国はこの計画を軽視し、主要国は参加しなかった。
ところが、アメリカが突如TPP参加を表明して2010年交渉に参加し、それ以降、TPPはアメリカの構想を中心とする協定へと大変身をとげたのである。
見抜けなかったTPPの本質
アメリカの参加により何が変わったのか? (1)何よりも協定規模が拡大した。アメリカの参加によってTPPの対象規模は世界経済GDPの4割近いものとなり、停滞する世界貿易機関(WTO)のドーハラウンド(2001年から続く多角的貿易自由化交渉)をしり目に、世界経済の半分近くを管理する貿易システムが誕生することになった。
(2)あらゆる産業分野・資源の豊富なアメリカの参加によって、TPPは参加国相互間の水平的な交渉ではなく、まずアメリカとの垂直的な交渉が最優先されることになった。各国における基準の統一、ISDS(投資家対国家の紛争解決システム)なども含め、アメリカが事実上、この国際経済システムを管理する設計に変わった。
(3)ここにアメリカが直面する多様で複雑な国際問題と国内問題の諸々の課題が組み込まれることになった。さらに、それはアジア太平洋地域におけるアメリカの政治経済的覇権の確立を意味し、中国との対立関係が持ち込まれた。
(4)また、アメリカの衰退する自動車産業や農業の保護、逆にインターネットやソフトウエア、金融・保険などサービス分野、製薬産業などアメリカの得意分野の優位性を確立する方策が盛り込まれた。
(5)物品の貿易を容易にする自由貿易推進を掲げながら、実は投資と流通の自由化、そしてその結果としてのサプライチェーン、バリューチェーンの確立を目指した(この点については後述する)。そのために、交渉は関税削減ではなく、各国の諸制度の共通化のための改変に力点が置かれた。
(6)アメリカはこの協定にアメリカ産業界の将来をかけ、多国籍企業などから業界や実務に精通した700人ほどのコンサルタントやシンクタンク、ロビイストを巻き込んで構想策定や交渉内容の決定に参加させ、これまでの貿易協定とは比較にならないほど、相手国市場や諸制度を熟知したうえで交渉を有利に進めた。
日本では「平成の開国」?
2010年秋の臨時国会冒頭演説において、菅直人首相は突然、TPP協議への参加の意思を表明した。全く唐突であり、当時の閣僚もその意図を理解していなかった。1986年から94年にかけて行われた関税貿易一般協定(GATT)のウルグアイラウンドのように、コメ自由化の問題が火を噴くことだけは漠然と推察された。しかし、そもそもTPP協定は完全秘密交渉と言われ、その時点では日本政府自体が交渉に関する情報を把握していなかったのに加え、それがもたらす国際貿易システムの改変など理解している国会議員は皆無であった。さらに、菅首相は同年11月に横浜で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の会合でも、参加の意向であると表明。TPPは「平成の開国」というキャッチだけが独り歩きした。
おりしも、APEC参加のアジア各国大臣が訪日し、各国との友好国会議員連盟で会合が行われたが、インドネシア代表団の陳情は驚くべきものであった。当時私はインドネシア議連の副会長をしていたが、インドネシア商業大臣、貿易大臣は口をきわめてTPPを批判し、日本が参加しないことを求め、APEC会合で菅首相が参加を宣言しないように訴えた。
彼らは、「TPPは自由貿易促進を標ぼうしているが、実態はアメリカの新経済覇権の構築であり、さらにアメリカは人権問題などを切り口に、インドネシアに内政干渉をしてくる可能性がある」と主張した。TPP協定の交渉は完全極秘のはずなのに、どうしてそういうことが言えるのかとたずねたら、インドネシア政府はソースこそ明らかにしなかったが、ひそかに交渉案を入手し分析して上記結論に達したという。インドネシアは多数の島そして多様な民族によって成立しているので、マレー人優遇策や国営企業問題を含め、さまざまな地域政策が自由貿易の障害となることは理解できたが、およそ貿易とはかけ離れた人権問題まで関係するという話には驚かされた。
この段階で素早く反応したのは農業関係議員である。