日本参加によるTPP構想の変質
全国農業協同組合連合会(全農)など農業団体は、環太平洋経済連携協定(TPP)が前提とする貿易の完全自由化や関税撤廃に断固拒否という姿勢だったが、現実には条件闘争と理解していた。また、TPP参加への足掛かりをつけた民主党政権に対峙するため、自民党は12年の衆議院議員総選挙では「TPP断固反対。ブレない。」をキャッチフレーズにしたポスターを貼った。しかし、これらの大時代的なキャッチの言わんとするところは所詮、(1)関税引き下げは不可避だが、できるだけ下げ率を少なくする、(2)損害は必定なので、損失補てんや体質強化の補助金を厚くする(それは私=農水議員にまかせてください)という昔から繰り返された茶番劇に他ならない。安倍晋三政権は国会決議も聖域5品目死守のスローガンも表面上は無視するわけにはいかない。そこで5品目全部は無理だが、影響の大きいコメで農業団体と手を打つ予定であった。これは、農家への個別補償で民主党政権に流れた農民票を取り返すことを意図したものであり、政権基盤を安定させるためには不可欠であった。
そうした日本の政治状況を理解し、最終的にアメリカ側も折れて、14年4月のバラク・オバマ大統領来日時にそれを呑んだ。これにより、関税の完全撤廃というTPPの錦の御旗はしばしの間、巻きあげられ、仕舞われてしまった。
TPPにはISDS(投資家対国家の紛争解決)条項のような危険な要素はあるが、一方では電子通関事務の推進など21世紀の貿易システムとして、評価すべき点も多い。また関税撤廃もグローバル経済の時代には不可避である。ところが、日本のコメの問題やマレーシアの国営企業問題など、各国が個別に抱える深刻な事情に対して妥協を重ねた結果、TPPの高い理想は消え、結局はアメリカと参加各国との二国間協定の無秩序な積み重ねに取って代わられてしまった。
そうなるとTPP交渉は一挙に停滞する。関税完全撤廃なら12カ国が一度集まって決定すれば済むが、二国間交渉を積み重ねると理論的には12×11回交渉しなければならない。かくしてTPP交渉は交渉官会議、主席交渉官会議、閣僚会議と会議を重ねつつも何も決まらない状況に陥った。この段階で、TPPが成立しない場合も考えて、各国は二国間FTA(自由貿易協定)へ力点を移し始め、14年7月には日豪経済連携協定が署名されるにいたった。
かくして、この時期にTPPは実質的に死を迎えたのである。
ゾンビ化するTPPの下でアメリカは実利路線へ転換
しかし、もしここでアメリカが長期間主導してきたTPPが終末を迎えると、アメリカの外交力の衰退を露呈してしまうことになり、アメリカのリーダーシップにとって大打撃となる。そこでアメリカは死に体のTPP構想をあたかも生きているかのごとく偽装し、その裏で手っ取り早いアメリカ利権の確立へと戦略を転換するようになった。日本に対しても、日本市場の制度的障害を取り除き自由化することによって利益を得るのではなく、日本の政官業がつくる構造へ入り込み、それにより日本の大企業や準公営企業が享受している特権を、アメリカ企業も享受できるようにする方向へと戦略転換を行った。TPP交渉において、日本郵政はまさに破壊のターゲットであり、アメリカの保険会社アフラックは日本郵便やかんぽ生命によるがん保険新設に反対してきたが、14年秋以降、今度は郵便局で自社のがん保険を売るようになった。前述の日米二国間協定では「透明性」向上の旗印の下で、日本の審議会や経営内部へのアメリカ企業幹部やコンサルタントなどの参加を要求していたが、この布石の下、今度は結果的に日本企業と同じ特典を獲得する路線に切り替えたのである。
TPPで危惧された国民皆保険制度への影響も同様である。医療保険をアメリカが乗っ取る必要はない。医薬品のウエイトが大きい日本の健康保険制度を利用して、今度はアメリカの高額医薬品を購入させることに路線転換したのである。
参加各国の不協和音
アメリカの有無を言わせぬ強い交渉の中でも、各国は自国事情を盾に激しい交渉を行った。各国がそれぞれ総選挙や政権批判をかかえ、自国に犠牲を生じる貿易協定を安易に了承しては、国内政治が持たないからである。その中でもマレーシアは当初から強硬姿勢が目立った。理由の一つは、ブミプトラと呼ばれるマレー人優遇政策に影響が出るためで、マレーシア社会の根幹を揺るがす大問題だ。マレーシアはマハティール元首相の時代(1981~2003年)に、ルックイースト政策の下で日本をモデルに国営企業を発展させたが、これもTPP交渉でやり玉にあがった。さらにミャンマーの被抑圧民族であるロヒンギャの人々がマレーシア内で人身売買の対象となっていることや、その収容所跡で大量の埋葬死体が見つかったことなどから、マレーシアの人権状態が、アメリカが貿易相手国と認める基準から外れる可能性もあった。
ニュージーランドやオーストラリアでは、すでにフィリップ・モリス社との国際係争に発展した、たばこのプレーン・パッケージ(ブランドロゴなどを使用せずタバコの健康被害を強調する包装のこと)問題、あるいは医薬品価格を低価格に維持する制度などがアメリカ側からのターゲットとなった。両国はいずれも競争力の高い農業国であり、アメリカの農産品市場開放をめぐって激しい攻防が続いた。
ブルネイは国内の過激派懐柔の意味もあって、厳格なイスラム刑法(シャリア)を採用しているが、これでは、およそTPP参加の前提である自由と民主主義という価値を共有する国家とは言えない。さらに女性の権利抑圧や同性愛者への差別などが報道され、アメリカ国内で、ブルネイの拒否を求めるデモも頻発した。
いよいよ反対の舞台はアメリカへ
TPP最大の障害が、アメリカ議会の反対と貿易交渉権限(貿易促進権限、TPA)問題である。アメリカは建国のいきさつから、大統領に貿易交渉権限がなく、国際貿易交渉ごとに議会が臨時の交渉権限を付与する便法によって進めてきた。しかし、ここで特に強い反対を示したのがオバマ政権の与党民主党である。民主党の最大のサポーターである労働組合と環境保護団体が、これまでの自由貿易協定、特にカナダ、メキシコとの北米自由貿易協定(NAFTA)への反発から反対を明確にした。一連の自由貿易協定でアメリカの雇用は500万人も減少したと言われ、AFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産業別組合会議)を中心に激しい抗議行動を展開、労組の支持を受ける議員からの強い反対があった。15年6月、辛うじてオバマ大統領に貿易交渉権限が与えられたのは、中国の太平洋への膨張やアジアインフラ投資銀行(AIIB)の設立が、アメリカのリーダーシップを瓦解させるという危機感からであろう。これによって、オバマ政権は薄氷の勝利で、一応、議会からTPAを獲得することができたが、交渉は厳しく、先行き難航が予想された。
産業界からは、自動車産業および製薬業界から、アメリカの権益を守れとの圧力がさらに高まった。製薬業界はアメリカが絶対優位を持つ数少ない産業の一つであり、新薬のパテント(特許)保持期間12年を死守するように関係議員からも政治圧力が加わった。
アトランタ合意の欺瞞(ぎまん)
(1)ハワイ合意ならず一方、日本では憲法改正を目標とする安倍政権が絶対に勝利しなければならない16年夏の参議院選挙、そしてそれを視野に入れたTPP関連予算を策定・実施するためのタイムリミットがせまりつつあった。その意味で15年7月のハワイ閣僚会議は事実上、結論を出すための会合であった。
ところが、伏兵メキシコが突如、自動車原産地規則(ROO ; Rule of Origin)問題を持ち出してきたことによって失敗に終わった。あらためて、すでに成立しているNAFTAとTPPの整合性や、非TPP国であるタイや中国からの部品を日本で組み込んだ場合、日本製自動車として関税削減対象に認めるか否かという大問題が突発したのである。これは考えようによっては、アジア各国に部品の生産工場を持つ日本企業にとって、果たして自社製品が日本製と認められるかどうか、という日本経済そのものを揺るがす事態に発展しかねない。