意見広告のねらいを深読みすれば
ここで少し深読みしてみよう。意見広告はチケットの値段を上げるための布石ではないだろうか。コンサートで利益を上げる方法は主に三つ、公演回数を増やす、会場の規模を増やす、チケットの値段を上げる、である。そして公演回数や会場の規模を増やすのは、おのずから限界がある。一方でダフ屋の活況を見てみると、アーティストによっては値段を上げる余地はまだずいぶんありそうだ。ただし、チケットに限らず、値上げは「嫌悪感を持たれる」というデメリットを負う。もとの値段が安かったものでも、ときに消費者は理不尽なまでに、値段が上がることを嫌う。値上げ後の値段が妥当なものであっても、「これまでの値段との差」や「値上げしやがったこと」に不効用を覚えるのだ。とりわけ、ファンに精神的な結びつきを感じてもらうことがビジネスに重要な人気稼業にとっては、経済的な結びつきばかりを意識させることは避けたい。だから値上げには、それなりに納得してもらえる理屈が必要だ。こじつけであろうとも、「そういうことにする」のは余計な軋轢(あつれき)を避けるための人間の知恵だ。
ダフ屋の高額転売を声高に批判することで、高額転売が起きない程度の高値までチケットを値上げするのは、「本来アーティストが受け取るべきお金」を正当に受け取れるようにするという理屈が成り立つだろう。これに対するファンの嫌悪感をさらに下げるためには、「チャリティー枠」のようなものを用意し、値上げぶんの一部をチャリティーに寄付するのも有効だろう。ファンとアーティストを結ぶ金銭関係をむき出しにせず、美辞麗句で品よくパッケージするのも大切なサービスのひとつだ。ところで人気の高いマラソン大会には、チャリティー枠というものが用意されていることが多い。たとえば2017年の東京マラソンのチャリティー枠は、一枠10万円以上で、3000人分が用意されていたが完売になった。
オークションによる適切なチケット配分
利益を上げるためには、オンラインでの競り上げ式オークションで売るのが適している。たとえばS席を100枚売るケースを考えてみよう。オークションにて、購入希望者は「最大ここまで支払ってよい」と入札額を入力する。入札額の上位100人がS席を獲得できることになるのだが、ある期限までは、入札額を上げられるようにする。だから期限の前に、自分が「他人が入札額を上げてきたから、自分は101番まで落ちている」となったら、ふたたび100番以内になれるまで自分の入札額を上げられる。そうして期限が来た時点での、入札額の上位100人がS席を獲得する。値段の付け方は肝心である。上位100人の中の100番目、つまり最低落札額をS席1枚当たりの値段にするのがよい。これにより100枚あるS席チケットは「一物一価」となり、購入者たちに公平感を与えやすい。また、落札額の中では一番安いものを値段とするので、オークションでの値段の付け方として、お客にがめつい印象を与えにくい。さらにいうと、入力期限の直前に、入札額を上げて競う必要もない。チケット1枚に非常に高い値段、たとえば最大で1000万円まで支払ってもよいという熱心なファンは、最初に「1000万円」と入力すれば、あとは期限を待つだけで、(まず間違いなく1000万円未満であろう)最低落札額を払ってチケットを入手できる。これは金額が1000万円でなくとも同じで、入札者はオークションの最初から、支払ってよいと思える最大の金額を入力しておけばよいのだ。それで落札できないときは、そもそも支払ってよいと思える金額が低すぎたのだ。
避けるべき値段の付け方は、「(最低落札額ではなくて)各自が付けた入札額を払え」とすることだ。購入希望者たちは「チケットは欲しいけど、支払額を抑えたいから、買えそうななかでギリギリ低い入札額」をつけようとすることになる。互いに「相手がどう値上げしてくるか」という駆け引きや、それによる場の荒れが起こりやすく、入札に伴う精神的負担も高まる。それに、これでコンサート事業者が儲かるというわけではない。チケット1枚に1000万円を払ってもよいファンでも、この仕組みのもとだと1000万円とは入力しないだろうから。
また、いまはお金がない若年のファンを取り込みたいからオークションに学割を付ける、といった工夫も可能である。たとえば18歳未満の子がオークションに「1万円」を入札したら、3割増しで「1万3000円」と扱われることにする。あるいは、その子が入札のすえ購入できるとなったときに、値段を3割引くことにする。
S席とA席を別の時期に売るのか、同時期に売るのかといった、他にも考慮すべきことはあるが、マーケットデザインというミクロ経済学の先端的な学知を活用すれば、諸事情に応じたオーダーメードの市場設計が可能である。一例を挙げよう。日本を除くほぼすべてのOECD諸国では、電波通信機器の周波数免許は政府主催のオークションで販売されているが(日本は総務省が行政裁量で割り当て)、どのようなオークションのやり方にするかは利益を大きく変える。ここではマーケットデザインの知見が活用されることが多く、たとえばアメリカではスタンフォード大学の経済学者ポール・ミルグロム教授らがオーダーメードで設計した仕組みを用い、アメリカ政府は8兆円を超す利益を上げた。
おわりに
ダフ屋によるチケットの高額転売は、より高値を払ってでもコンサートに行きたい人が行けるようになることで、付加価値を生み出している。これは社会的余剰の増加という、資源配分の効率化に貢献しているのであって、その意味では「よいこと」である。だがこれは、コンサート事業者から見たら「面白いこと」ではないだろう。そしてまた、ファンもお金をダフ屋に払うよりは、アーティスト側に払いたいだろう。
これまで述べてきたように、この問題は、適切にデザインされたオークション市場を使うことで解決できる。このとき資源配分は、ダフ屋がいなくとも効率化する。ダフ屋という中抜き業者を使わずとも効率化するので、効率化の度合いは、ダフ屋がいるときよりも高い。
コンサート事業者のなかには、ダフ屋の転売を嫌うあまり、現行の売り方のままで、高度な本人認証システムを導入するものもいる。だがその認証にかかる費用は、チケット代に含まれているのだから、ファンや音楽業界が負担していることになる。そして、購入した本人しかコンサートに行けないのであれば、風邪や感染症にかかったときに、チケットを友人に譲ることができなくなる。これも実にもったいない、不効率なことだ。それに、インフルエンザや麻疹にかかったファンがこの「もったいない」を嫌ってコンサート会場に足を運ぶことを、もっと恐れてもよいのではないか。
意見広告にある「音楽の未来」を守ってくれるのは、ダフ屋への非難や本人認証システムの導入ではなく、それらを必要としないチケットマーケットのデザインである。