かつてのイワナやヤマメの釣りのメッカが、一滴の水も流れない草むらと化したのだ。
ひとたび水枯れと工事との因果関係が認められれば、JR東海は地元に代替井戸や貯水タンクを設置する補償措置を講じる。ただし、国土交通省の通知「公共事業に係る工事の施工に起因する水枯渇等により生ずる損害等に係る事務処理要領の制定について」に基づき、補償期間は最大で30年。つまり、31年目からは自分たちで何とかしろということだ。
この意向に無生野地区の若者である有馬孔志さんは「僕らはあの川で遊んで育った。補償も中途半端だし、何よりもあのうまい水や魚たちを返してほしい」と不快感を露わにする。
今後のリニア工事でも、286kmのうち86%もがトンネル工事となる以上、長区間での水枯れが起こると予想されているが、JR東海は2014年に公表した「環境影響評価書」(環境アセスメントの結果報告や工事概要を記した報告書)や各地での住民説明会で、ほとんどの地区の水資源について「影響は小さいと予測します」と説明している。「覆工コンクリートや防水シートの設置、薬液注入などの施策」を実施するからと。
だが実験線での水枯れを知ってしまった住民はこの説明には納得できない。リニア計画沿線で私が出会った酪農家、シイタケ栽培農家、酒蔵などは一様に「もし沢水や地下水が使えなくなったら廃業だ」と心からの心配を吐露した。
問題は、JR東海がそれらの人々の元下に話し合いにも訪れないことだ。「あまりにも誠意がない」と憤る人たちは多い。
一般市民に対してだけではない。JR東海は、静岡県という大きな自治体の意向も軽視している。
前述の環境影響評価書において、JR東海がほとんど唯一具体的な数値で水枯れを予測した土地がある。静岡県だ。
静岡県の最北部はほぼ無人の南アルプス地帯。リニアはここを11kmの距離でトンネル通過する。だが、JR東海は、その掘削工事の影響で、大井川が毎秒最大2トン減流すると予測したのだ。
驚いたのが、生活用水や農工業用水の水源を大井川とする下流の自治体だ。毎秒2トンは、下流7市63万人分の水利権量に匹敵するからだ。
7市の一つ、牧之原市の西原茂樹市長(当時)はすぐに動いた。2013年11月、JR東海に「大井川の流量維持を求める」との意見書を提出した。西原市長の訴えは明快だ。
「戦後、発電のためのダムがいくつもできて取水量が増え、大井川は『河原砂漠』となりました。だが数十年の住民運動で、河川維持のための放流が実現、やっと『毎秒0.43トン』を本流に戻したのです。今回一気に毎秒2トン減少とは冗談ではない」
県もこれを問題視したことで、JR東海は「トンネルの掘削地点から湧水を取水し、導水トンネルを新設して、11km下流に放流し水量を維持する」との案を公表した。ところが、それでも毎秒0.7トン減少するとの試算に、大井川を水源とする10市町村の首長は「納得できない」と、2017年3月、JR東海に「大井川の流量確保を求める要望書」を提出。直後の4月3日、川勝平太知事も「全水量を確実に大井川に戻すことを表明するように」との意見をJR東海に提出したが、JR東海は、4月27日、「影響の程度をできる限り低減する」と回答しただけだった。川勝知事は「進展がない」と、引き続き全量回復を求める構えを示している。
おそらく、県の許可がなければJR東海は県での工事を遂行できない。だが、川勝知事を不快にさせたのは、県の意向を無視して、JR東海が同年10月にゼネコンと工事契約を締結したことだ。JR東海と静岡県知事とのやりとりは目が離せない状況になっている。
JR東海に政府は財投3兆円を融資
こうした残土や水枯れに加え、リニア開通が遅れるもう一つの要因として「資金」がある。
JR東海は2007年末、リニアを「自己資金で建設する」と表明し、経済界やリニア通過予定の都県を驚かせた。第一期工事となる品川―名古屋間だけで5兆5000億円だ。
国交省鉄道局は、東海道新幹線の収益をリニア建設に充当すれば、足りないのは3兆円と説明していたが、その3兆円をどう工面するのかに私は注目していた。というのは、たとえばJR東海の「平成28年3月期決算短信」を見ると、純資産額は2兆2199億円。つまり3兆円分の担保がない以上、銀行は貸し渋ると予測したからだ。
ところが、リニア計画(品川―名古屋間)を14年10月に国土交通省が事業認可すると、16年6月1日、安倍晋三首相が「リニア建設に財政投融資(以下、財投)3兆円を投入する」と表明し、また関係者を驚かせた。JR東海も同日、それを「歓迎する」と表明。JR東海は、自己資金から公的資金へと舵を切ったのだ。
財投とは、財務省が国債発行で得た資金を「財投機関」(政府系の特殊法人。35組織ある)に融資して大型事業などを実現する制度だ。
だが、JR東海は財投機関ではない。そこで政府・与党は、財投機関の一つで、新幹線建設などを行う「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」(以下、鉄道機構)に「JR東海への融資機能をも持たせる」という裏技というべき法改正を同年11月に断行した。その結果、鉄道機構は果たして3兆円をJR東海に融資した。しかも「無担保」かつ「30年据え置き」という異例の好条件だ。いったい誰がこの絵を描いたのか。
私が出会った準ゼネコンの社員はこう推測している。
「リニアに関して、2015年でのJR東海とゼネコンとの工事契約数は3件だけ。ところが、2016年から急増して今22件です。安倍首相が表明するからには、その何カ月も前から財投投入は政府内部で話し合われていたはずで、その情報があったからこそ、安心して受注できると読んだゼネコンが2016年から工事契約を結んだのでしょう。おそらく財投投入の絵を描いたのもゼネコンだと私は見ています」
リニア工事契約の談合疑惑に東京地検特捜部が動く
昨年(2017年)末、全マスコミは、リニア談合疑惑の報道を展開した。
報道を整理すると、JR東海は22の工区で建設業者と工事契約を交わしているが、JR東海が事前に入札額を漏らし、スーパーゼネコン4社が示し合わせたかのように均等受注していることで、東京地検特捜部が「独占禁止法違反」(不当な取引制限)の疑いで家宅捜索を遂行した。その結果、大林組と清水建設は談合を認め、鹿島建設と大成建設は「話し合いをしただけ」と談合を否認しているということだ。
この件は、東京地検が捜査中である以上、不必要なコメントは控えるが、私が関心を持つのは、果たして地検が、誰がこの不自然な3兆円もの財投投入に道筋をつけたかまでを捜査するかである。
というのは、某ゼネコンで働くベテラン社員や、『必要か、リニア新幹線』(岩波書店、2011年)などの著書でリニア計画を検証している橋山禮治郎氏は「リニアの品川―名古屋の工事は5兆5000億円では足りない」と断言しているからだ。
たとえば従来の新幹線でも、東北新幹線は当初予定の2倍の約3兆6000億円で、上越新幹線は3倍の1兆7000億円で竣工した。特にリニアでは最大の難所と言われる25kmの南アルプストンネルの掘削にどれだけの時間がかかるかで建設費は読めない。
もし工事の途中で資金ショートするようなことがあれば、再び財投を投入するのだろうか。
もちろん、財投は融資だからJR東海が返済すれば文句を言われる筋合いはない。