自己責任が前提の「勤労国家」
政治の世界で「全世代型社会保障」という言葉を耳にするようになった。政府の説明によれば、人生100年時代の到来を見すえ、高齢者だけでなく、子ども、子育て世代、さらには現役世代全体を射程に収めた、持続可能な制度改革をめざす、とされる。
なぜこうした裾野の広い改革が必要なのか。まずはその背景を探ることから始めよう。
私は日本の福祉国家を「勤労国家(Industrious State)」と定義してきた。勤労国家の前提にあるのは、勤勉に働き、倹約、貯蓄を行うことで将来不安に備えるという「自己責任」である。子育てや教育、病気や老後の備えに関して、日本における政府の保障は十分でなく、とりわけ現役世代への給付は、先進国最低の水準に甘んじてきた。
想像してほしい。大学の授業料、医療費、介護費のいずれも自己負担が求められる。これらのサービスが無償化ないし低負担化されている他の先進国との差は明白だ。また、義務教育でさえ、修学旅行費、給食費、学用品費といった負担が重くのしかかり、貧困層には生活保護、低所得層には就学援助をつうじて財政支援が行われている。
この勤労国家が、近年、〈逆機能〉し始めている。逆機能とはどういうことか。それは、自己責任で生きていくための前提条件である経済成長、所得の増大が困難になり、自己責任の美徳が社会に深刻な分断を生みだしている、ということだ。
平成元年(1989年)と平成31年(2019年)を比較しつつ、日本の経済データを追跡してみよう。
一人あたりGDPは世界4位から26位へと順位を落とした。企業時価総額トップ50社のうち32社を日本企業が占めていたが、平成の終わりにはわずか1社になった。勤労者世帯の実収入は平成9年(1997年)がピークであり、平成31年には世帯収入300万円未満の世帯が全体の約33%、400万円未満が約45%を占めた。この比率は平成元年とほぼ同じである。また、あるデータでは、2人以上世帯の3割、単身世帯の5割が「貯蓄なし」と回答している。
自己責任が前提の勤労国家では、経済的に自立できない人たちは〈道徳的失敗者〉とみなされる。
アジア通貨危機が直撃した1997年から98年にかけ、失業者が約50万人増加した。自己責任という社会的責務を果たせなくなった人たちの一部は、失業給付を利用するでも、生活保護を利用するでもなく、命を絶つという決断をした。1年で自殺者の数は8000人以上増え、14年にわたって3万人を越えた。中心は住宅ローンや家族の暮らしを背負わされた40〜60代の男性労働者だった。
所得が少なく生活保護を利用できる人たちのうち、スウェーデンでは8割、フランスでは9割が制度を利用するが、日本では2割程度しか利用しない。他者に頼るのを恥ずべきことと考え、生活が困窮しても社会的責務から逃れられない人びと。通俗道徳の根深さがハッキリと浮かびあがる。
「弱者」への関心が低い〈分断社会〉の誕生
平成をつうじて晩婚化と少子化が進んだことは周知の通りである。くわえて、外食や旅行、衣類や履物の購入が控えられ、持ち家率も大きく低下した。私たちは貧しくなった。ところが、生活を切り詰め、自己責任をまっとうしようと努力する労働者たちは、自分たちが依然として中間層に踏みとどまっていると感じている。
内閣府の「国民生活に関する世論調査(令和元年6月調査)」によると、自らの生活水準を下流とみなす人は4%しかおらず、93%が中流と考えている。さらに、「国際社会調査プログラム(2019年)」では、「中の下」と考える日本の回答者の割合は、28の調査国の中で1位である。
貧しくなっても、生活を切り詰め、歯を食いしばって働き続けなければならない社会。その裏返しとして、弱い立場に置かれた人たち=「弱者」への関心が薄れつつある。
「国際社会調査プログラム(2016年)」のなかに、政府の責任を問う質問がある。以下の施策を政府の責任とみなさなかった日本の回答者割合を見てみると、
- ・「病人が病院に行けるようにすること」35カ国中1位
- ・「高齢者の生活を支援すること」35カ国中1位
- ・「失業者の暮らしを維持すること」34カ国中2位
- ・「所得格差を是正すること」35カ国中6位
- ・「貧困世帯の大学生への支援」35カ国中1位
- ・「家を持てない人にそれなりの家を与えること」35カ国中1位
である。他国と比べ、日本の「弱者」への関心の低さは際立っている。
寛容さをなくした社会は財政の再分配機能も弱い。OECDの調査(2008年)によると、低所得層への給付による格差是正効果、富裕層への課税による格差是正効果は、調査対象21カ国のなかでそれぞれ19位、最下位である。かつては北欧とならんで平等主義国家と呼ばれた日本だが、OECDデータ(2018年)によると、相対的貧困率は調査対象国のなかで9番目に高く、所得格差の大きさを示すジニ係数の大きさも11位という状況だ。
勤労国家では、経済が衰退し、所得水準が低下すれば、多数者が自らの生活防衛を優先するほかない。「弱者」の苦しみを他人事とみなす〈分断社会〉の誕生である。現役世代は自己責任、就労を終えた高齢者と貧困層の生活に限定して保障するという勤労国家は逆機能し、自己責任の痛みが社会の分断を加速させている。
分断と対立を生む「全世代型社会保障」構想
最初の問いに戻ろう。現役世代の受益の乏しさ。深まる生活苦。これらの事実を念頭におけば、保障の範囲を現役世代や子どもにまで拡充し、自己責任の領域を縮小する全世代型社会保障が構想されたのは、もっともなことだといえよう。
だが、現段階の政府の構想によって、人びとの将来不安が払拭され、社会的な分断が緩和するか、と問われれば、答えはNOである。