格差社会の深刻な現実
小泉政権から安倍政権へと引き継がれたこの国の構造改革は、いま大きな試練に直面している。「成功者をねたむ風潮、能力のある者の足をひっぱる風潮は、厳に慎んでいかないとこの社会の発展はない」と言い切った小泉純一郎元首相の競争原理第一主義が、格差社会をますます深刻なものにしている。安倍政権も「上げ潮路線」に象徴されるように、「経済成長さえすれば格差など解消できる」といわんばかりの姿勢であった。こうした政府の姿勢はさまざまなかたちでの「貧困」を生んでいる。地域経済の疲弊から立ち直れない農漁村の自治体と住民の暮らし。希望を失った子どもたちの学校離れと学力低下。働けど豊かになれないワーキングプアの若者。引きこもり状態から脱出できないでいるニートと呼ばれる青年たち。これらの困難を抱えた人々は大都市にも、地方都市にも、そして小さな田舎町にもいる。
現代国家とは、こうした人々を見殺しにしないことを存立目的にしているのではないか。そのために私たち多くの国民は、税金を払うほか各種の責務を果たしている。金がないからといってセーフティーネットを「省略」したのでは、国の存在理由はないも同然である。
学力低下を憂えた政府は、教育再生会議を設置して対策を協議したが、思いついたのは都道府県・市町村の教育委員会を締め付ける案くらいであった。勉強をすることの意味を、将来への希望とともに理解できる子どもを増やすことが目標であるはずなのに、競争に駆り立てることにすり替えている現実がある。
労働環境も医療現場も変わった
グローバリズムのなかで、日本企業が生き残ることを最優先する政策は、労働環境さえも大きく変えてしまった。能力主義という名の低賃金、解雇、非正規労働者の増加による弾力的(半面は不安定)雇用政策がまかり通り、まちに青テント暮らしをするホームレスの姿が絶えない。そして、彼らもまた、自治体の住民である。「小さな政府」をめざす構造改革の一翼として行われた医療費抑制策が、医療機関の経営を圧迫し、他方で医療訴訟など医療への世論と司法の包囲のなかで、医師のなり手が減少する、いわゆる「医療崩壊」の現象が生まれている。とりわけ、地域医療の惨状は、産科の不足または不在町村を出現させ、安心して子どもを産める条件さえ失われている。
国民健康保険料(税)の滞納者に対する措置として、2000年の法改正で滞納者には保険証を交付せず、被保険者資格証明書を交付することとされた。被保険者資格証明書を交付されると、窓口で全額支払わなければならず、あとで国保組合から償還されるものの滞納が1年半以上になると、償還分はすべて滞納分に充てられる。もともと低収入のために保険料(税)を支払えない人にとっては、窓口で全額を支払うことは大変である。
被保険者資格証明書を交付された世帯は、02年には約22万5000世帯であった(厚生労働省調べ)が、3年後の05年には約33万世帯に上っている(朝日新聞調べ)。しかも、これら資格証明書の交付を受けた被保険者の受診率は一般被保険者受診率の30分の1から100分の1であるという(全国保険医団体連合会調べ)。「国民皆保険」がいつのまにか「金がなければ病院に行くな」に変わっている現実がある。
滞納者に厳しくするだけでいいのか
なぜこのように、滞納者に厳しい措置がとられるようになったのか。第1に、国の医療財政改革の名で、滞納者一掃の方針の下に法改正が行われて、上記のような取り扱いが義務づけられたからである。そして第2に、市町村の担当課がその指示に従い、あるいは自らの保険財政改善のために、保険証取り上げを率先して行うことを選択したからである。滞納といえば、給食費の滞納が約9万9000人(総額22億円)、保育料滞納者が約8万6000人(総額90億円)と報告されており、公営住宅家賃の滞納者とともにその対策が急がれている。滞納理由は「モラル問題」が中心とされているが、他方で生活困窮者が増えていることも影響していると思われる。
医療保険料滞納者からは保険証を取り上げ、家賃滞納者には退去を求めることでいいのか。給食費滞納者の子どもには給食を提供しない、保育料滞納の児童は保育所への引き取りを断る、という方策は取りえまい。それとも、市場主義にのっとって断行するというのだろうか。
事件にまで発展した生活保護行政の実態
北九州市で、辞退届によって生活保護を廃止された男性が孤独死した事件が注目を集めた。男性は1年前に病気で働けないとして生活保護を認められたが、その後、市から働くことを勧められ、07年4月に辞退届を提出していたという。市は、自立のめどがあるかどうかを「客観的に判断せずに保護を廃止」するのは不法とした広島高裁の判決(確定)にもかかわらず、収入などを調べることなく保護を廃止したと報道された。この種の話は、同市に限ったことではなく、いま、「国民の最後のセーフティーネット」といわれる生活保護行政は、その本来の役割を果たし得なくなっている。北九州市の場合には、1967年から31年間も指導課長が厚労省(旧厚生省)の天下りで、いわゆる「国直轄」の保護行政であったことが指摘されている。しかし、そうでない一般の市においても、厚労省の事務監査を背景とした締め付け、自治体財政の圧迫から、認定を厳しくする運用が余儀なくされる実態がある。
ペットの処分を条件とする疑問
静岡県伊東市の市営住宅に住む何人かの人に、福祉事務所長の名で出された「生活保護法第27条第1項に基づく指導指示書」なる文書が届けられた。内容は以下の通りである。「貴方に対してはかねてから下記の事項について、再三、指導および指示してきましたが、改善のあとが認められませんでした。このような状態では、これまでのように生活保護法の適用を続けることはできなくなります。
つきましては、同法第27条第1項の規定により、あらためて下記のとおり指示しますので、早急に改善し、その結果を報告してください。なお正当な理由なくこれに従わないときは、同法第62条第3項の規定により保護の変更、廃止をすることがあります。
1 指示事項・内容
市営住宅では犬、猫等のペットを飼うことは禁止されています。伊東市建設部建築住宅課の指導に従い、ペットの処分を行ってください。
2 履行期限
平成18年12月31日 以上 」
市営14団地、約1100世帯中、55世帯が犬や猫などのペット70匹以上を飼育していたが、建築住宅課市営住宅係では、ペットを処分しなければ「市営住宅の明け渡し請求する」と通知した。市営住宅条例には「入居者は、周辺の環境を乱し、又は他に迷惑を及ぼす行為をしてはならない」(第35条)と規定し、この規定に違反したときには「住宅の明渡しを請求することができる」(第43条)と定めている。犬、猫の飼育が直ちに第35条に該当するかは解釈の問題であるが、ペットを処分しないということを理由に「生活保護の変更、廃止」が可能かどうかは大いに疑わしい。
生活保護法第62条3項によれば、生活保護法第27条1項の指示に従う義務に違反したときは、「生活保護の変更、廃止」ができると規定されている。だが、第27条1項の指示は「生活の維持、向上その他保護の目的達成に必要な」ものであり、上記のようなペットの処分を行えという指示がこれに当たるとは思えない。