政治改革で描かれていた設計図
すでに述べたように、今回のように次の首相は現在の首相の麻生太郎の続投か、それとも野党第一党党首の鳩山由紀夫への交代かが選挙の争点となり、有権者の選択によって交代が実現するという形での政権交代が行われたのは、日本の憲政史上初めてのことである。それが実現した理由は多様だが、第一に挙げなければならない点は、そのための制度設計が行われていたということである。細川内閣で94年に実現した政治改革がそれである。政治改革は、88年に発覚したリクルート事件のお定まりの「政治とカネ」の問題から始まったが、冷戦の終結や右肩上がりの経済の終焉、グローバル化の進展などの環境変化の下で、日本政治の全面的な見直しと再建のあり方の議論にまで発展し、その結果、この問題に対処できずに分裂した自民党に代わって成立したのが「政治改革政権」としての細川政権だった。その細川首相が政治改革で目指したのが「政権交代可能な政治」で、そのための具体策は衆議院の選挙制度の改革だった。
なぜ選挙制度改革が必要だったのか
従来の衆議院の選挙制度は、原則定員3人から5人の選挙区で有権者は1人の候補者のみに投票する、いわゆる中選挙区制だった。中選挙区制では、自民党が政権を獲得するためには、例えば5人区なら3人以上の当選者を出す必要があるが、3人(場合によりそれ以上を擁立し、さらにしばしば公認漏れの保守系無所属が加わる)の候補者は同じ自民党支持層から票を奪い合うという「同士打ち」が生じることになる。同じ政党の候補者だから、昨今はやりのマニフェスト選挙など党の政策を訴えるだけでは、当然互いに差別化できず、結局個人としての選挙区へのサービス合戦となり、族議員政治もそこから生まれた。さらに野党は共倒れを恐れて、野党第一党の社会党すらほぼ1選挙区1候補者しか立てず、これでは仮に全員が当選しても、政権交代にはほど遠かった。そのため政権は永久政権党としての自民党の手中にあり、首相は同党内の派閥の合従連衡によって、つまり国民の手の届かないところで決まっていた。
このような状況を踏まえた政治改革の処方せんは、有権者が政策を中心に政権政党を直接選択するというものだった。そのためには、(1)同士打ちが生じない(候補者が政党の政策で差別化される)、(2)共倒れが生じない(野党が与党と同規模の人数の候補者を立てられる)の2点の条件を満たす選挙制度が求められた。欧米で一般的に採用されている選挙制度だが、その中でも自民党は大政党に有利な小選挙区制を、野党は小政党にも不利にならない比例代表制を主張し、結局総定数500で小選挙区300、比例代表200(後に180に削減)の並立制に落ち着いた。
この選挙制度の変更に伴い、野党の再編が進み、紆余曲折の末に自民党の対抗勢力は現在の民主党に集約され、自民・民主の2大政党化が進んで今回の総選挙によって政権交代が実現したのである。制度の変更から政権交代の実現までに要した歳月は、15年だった。
政権交代のメリットは何か
成熟した民主主義を実践している先進諸国では、どこでも政権交代は普通のこととして行われている。大統領制と議院内閣制では事情が異なるが、最近では18年続いたイギリスの保守党政権(首相はサッチャーとメージャーの2人。なお同一人の首相の最長在任記録は最近ではドイツのコールの16年)などの例もあるが、ごく大ざっぱにはほぼ10年に一度政権交代が行われていると言ってよい。民主主義における政権交代のメリットは、その制度的な仕組みや政党制の状況などによっても異なるが、今回のように国民の直接の選択によって生じる場合について言えば、次のような点が挙げられる。
第一は、政権を政党の政策や力量、体質などによって国民が直接選択することで、政権に正統性が付与され、それが政権の大きな力になることである。特に大胆な改革を進める場合には、この正統性が強力な武器になる。
第二は、政府が国民の満足いく政治を行っていれば、選挙で国民は政府を継続させるように投票し、失敗すれば政府の交代、つまり政権交代が起きるように投票するという投票行動がもたらすプラス面である。どんな政治をしていても政権が変わらないときに比べて、政治に緊張感が生まれ、与党も野党も一層努力するようになるのは当然のことである。
なお、今回の民主党への政権交代に関して、「民主党が勝ったのではなく、自民党が負けただけだ」という声があるが、どの国も政権交代は政権党の負け(失政)によって生じているのであって、上記のような主張は、わが国でも欧米諸国と同じような形で政権交代が起きたと言っているに過ぎない。
権力腐敗の芽をつみ取るチャンス
第三は、政権交代がさまざまなしがらみや、負の蓄積を清算する機会になるということである。「権力は腐敗する」という言葉があるが、政権交代はその腐敗の芽を定期的につみ取る機会である。また資源配分のゆがみを正すのも政権交代の重要な効果である。第四は、国民にとって大切なことながら政権には「不都合な真実」が表に出る機会になることである。わが国でも、例えばこれまで政府も外務省も一貫して認めてこなかったアメリカの核搭載艦艇の寄港容認の密約の存在が、明らかにされそうな状況が生まれていることや、国土交通省が存在を否定していた高速道路無料化の経済的効果の試算が存在していたことが明らかになったことなどが起きている。政権交代がなければ、不都合な真実は永遠に国民に隠されたままになるだろう。
第五は、これまでの政権党に政策の見直しや、組織の点検の機会を与えるということである。これはきわめて重要な点である。わが国では政権党が「構造改革」のスローガンを掲げても国民は不思議に思わないが、政権交代が常態化している国では、構造改革あるいは一般的に時代の変化に合わせた新たな政策体系のとりまとめは、野党時代の仕事である。また組織を点検・整備し、新たにエネルギーをみなぎらせて政権に挑戦し、そして政権を獲得したら野党時代に準備した政策を実現する。
政権に就けば、いわば自転車をこぎっぱなしの状態になるから、体系的な見直しは困難で、だからこそ政党には野党時代が必要なのである。そういう意味で野党時代は、華やかさこそないが、実は政党にとっては豊かな生産的な時代である。
政権交代の意義は他にもいろいろあるが、ざっと挙げただけでも以上のようなものがある。全体を通じて言えることは、政権交代は政治には欠かせない「断絶」だということである。
わが国で総選挙前にしばしば聞かれた「政権担当能力論」は、よく聞いてみれば、要するに自民党と同じことをやれば政権担当能力があるということのようだったが、それでは本当の政権交代にはならない。わが国では長らく政権交代がなかっただけに、交代時の「段差」が大きくならざるを得ないが、政権交代可能な政治のコストとして、その成果については多少長い目で見守る必要があるだろう。