政党の復元力が実証された
小選挙区比例代表制の導入から15年、ようやく本格的な政権交代が実現した。次の課題は、政党が政権選択時代という器に適した中身を備えることである。「政権交代には賛成だが、マニフェスト(政権公約)の中身には納得できない」という困った状態から脱するためにも、政党が民意集約の主体として社会的統合力を発揮することが求められている。現在の日本においては、二大政党を軸とする選挙が行われ、二大政党がそれぞれ政権の中心となっていくという意味での、二大政党制が実現している。ただ、むしろ重要なのは、政権交代可能な政党政治ということである。その観点から、二大政党制は、二大政党の議席が近接することを意味しない。二大政党がいずれも政権の座を目指して競争し、いずれかが政権に就く可能性が常に開かれていれば十分である。
その点で、2009年の総選挙は、選挙による政権交代が実現したというだけではなく、05年の総選挙で手痛い敗北を喫した民主党が立派に立ち直り、政権を奪取したという意味で、二大政党の復元力が働くことを実証した意義を持つ。
このように考えると、自由民主党は、経験したことのない大敗を喫したが、団結を維持し、地元で着実な活動を続けていれば、いずれ総選挙で政権の座に復帰することが十分可能な状況にある。支持基盤が極端に弱かった民主党ですら、4年の間に支持を伸ばしたのであるから、そもそも全国に分厚い支持基盤を持つ自民党が再生しないわけはない。
弱い野党が分裂する政界再編は危険
政治を変えるには政界再編だという人もいる。しかし、その時点で国会議員になっている人の組み合わせを変えるだけでは、大きな変化は望めない。むしろ、政権交代を伴うような議席の激変は、政治家を入れ替えることで政治を変えてゆく。現在の政党システムにとって最大の危険は、自民党の国会議員が、いたずらに政界再編に期待し、離党して新党を作るなど、弱い野党が分裂してさらに弱くなるという悪循環に陥ることである。
ただ、衆議院では、自民党議員のいる小選挙区のほとんどに、民主党議員がいるために、野党から与党への移動は容易ではない。ただ、民主党が連立によってかろうじて過半数を確保した参議院では、自民党議員に、政党間移動への誘惑があるかもしれないが、民主党の大きな議席を考えれば、これも限定的な動きにとどまるであろう。
中小政党は自らの主張を表明すべき
政権交代可能な政党システムとしての二大政党制というのは、小党が存立し得ないことではない。二大政党とは違った志向を持つ中小政党が生き残ることは、それなりの意味もある。現に現在の選挙制度でも、中小政党に1割程度の議席がある。こうした中小政党が問題になるのは、過半数議席確保のために、大政党が中小政党を引き入れようとして、無原則な妥協を行うことであるが、このところ2回の総選挙における勝った側の巨大議席は、こうした危険性が少ないことを意味する。
むしろ中小政党は、数を頼むのではなく、自らの主張を国会の場で表明し、問題提起を行うことを主眼にすべきであろう。社会にいろいろな利害、主張があるということは、そこで、政権を狙うほどの大政党には、いろいろな意見が流れ込むことを意味している。その意味で、二大政党の双方が、幅広い意見を抱えていることは当然なのであって、否定的に見るべきではない。そして、中小政党は、大政党とりわけ政権党の側に、その主張への共鳴者が増えることによって、主張が実現することを期待すべきであろう。
政党のあるべき姿という議論になると、とかく「主義主張が明確な政党」という話になってくるが、イデオロギー時代でもなければ、そうした政党は中小政党に限られる。そうした政党が存在することは否定できないが、政権を目指すという政党の基本的な機能からすれば、「純化路線」はマイナスでしかない。
最も重要で困難な民意の集約
問題は、社会に存在する多様な利害や意見を、いかにして集約して、結論を出すかである。政党が多様な利害を反映することを求める主張をよく聞くが、政権という観点からは、政党が何らかの結論を出してゆくことが不可欠である。政権を担うに足る政党は、利害を調整し、意見を取捨選択して、結論を出すことができなければならない。選挙における政権公約(マニフェスト)は、選挙までに、そうした調整をある程度まで済ませ、有権者に調整結果を示すものなのである。この民意の集約という機能は、政党が果たすべき機能のうち、最も重要だが、最も困難な機能である。イデオロギーは、この仕事をずいぶん単純化するが、すでにイデオロギーで問題が片付く時代ではなくなった。そして、政党の民意集約機能が求められるのは、むしろイデオロギーなどでは整理できないほど、社会の構造や人々の意識が多次元化している状況である。
(後編へ続く)