政権公約は作られ方が重要だ
そもそも、人々が議論をし、どうにも合意できない場合に、「敵と味方」に分かれて、他の人々の支持を競い合うためには、政党という装置が必要である。政党間の競争関係は、まさに選挙によって決着をつけるしかない「敵と味方」の競争である。しかし、そうした競争が意味を持つためには、「味方」としての政党の立場が整理されている必要がある。たとえば、政党は、政権公約を練ることによって、民意を集約していくのだともいえる。ところが、現代日本において、政権公約が重要だという認識はあっても、その作られ方が決定的に重要だという認識は薄い。人気がある目玉政策がいくつか入っていて、何とか財源等のつじつまの合った政権公約ができれば、それで総選挙が戦えるというのは現実だが、それで日本の問題が本当に解決できるのかといえば、何かが足らない。
求められているのは、論争の中身が広く理解された上で、その論争に決着がつくという状況である。政党の立場を決めるとき、論争の結果、これだけはどうしても譲れないというものが、政権公約の柱になるべきである。つまり、政党政治家内だけでなく、広く支持者も含めて議論を重ね、それで出てきた政策を、他党との論戦によって鍛え上げ、そのエッセンスが、その政党の政策になっていくことが求められる。現実はこんな理想通りに展開しないが、政策を練り上げてゆく長いプロセスの重要性は、認識されるべきではないか。
このとき、現在の日本のように有権者の意見が、全体としては中道に集まるような国では、二大政党の政策は似通ってくる。そして、このことは、政権交代が起こっても、継続する側面が多いから、体制の安定にとって好ましいことである。つまり、政策の6割なり7割は共通で、後の3割4割の違いをめぐって争う二大政党は、むしろ好ましい。しかし、徹底的な論争を経なければ、政党の間で何が共通、何が違うのか、その区別は明確にはならない。
もっと社会に根付いた政党が必要
そうした政党における政策の練り上げにとって問題なのは、日本の政党の「足腰」が弱いことである。1990年代に、政界再編と称して政党の離合集散が簡単に起こったことは、多くの政党が議員中心に構成され、社会における「根っこ」が浅いことを示している。しかし社会から、広く民意を吸い上げ、それを集約してゆくためには、もっと社会に根付いた政党が必要である。氷山で海面に露出しているのは1割ほどであるように、政党も政治家や活動家は政党の一部であって、幅広い支持者に支えられ、そこから社会の利害や意見が流れ込むような存在であるべきだ。もっとも、諸外国を見ても、政党は曲がり角にある。社会の変化に政党がついていけないため、政権が社会の動向を掌握できないというのは、どこの国でも聞かれる嘆きである。それゆえ、手っ取り早く社会の動きを知るために、世論調査が多用される。しかし世論は移ろいやすく、あるべき議論としての「輿論」ほどの安定性を持たない。
これからは有権者が政治を変える
そのなかで、政党が社会に根を下ろすためには、党員をピラミッド状に組織化する20世紀型の組織政党モデルではなく、新たなネットワーク型政党のあり方を模索すべきだ。自分は何党支持だといって支持を固定するよりも、政権運営の巧拙によって、政権党を支持するのか、反対党を支持するのかを変えることも自然になってくる。そのなかでむしろ、それぞれのネットワークを通じて、有権者が政党に要求や希望を伝え、その反応を見て、選挙で投票する政党を決めてゆくのが、政党と有権者の新しい関係になるのではないか。政権交代を繰り返すうちに、新たな政党の対立軸が姿を現すことも考えられるが、最初から、政党の理念的な違いを求めても仕方がない。自民党長期政権の下で、自民党は政府と一体化してしまい、社会のあり方に応じて、政策を変えてゆくことが難しかった。その意味で下野は、自民党の再生にとって不可欠の試練である。政権の座に就いた民主党が、政権運営における困難にぶつかることによって、鍛えられるのはいうまでもない。民主党と自民党のどちらを選んでも政権が成立するという意味で、ようやく日本国民は、政党を選択するための基礎条件を手に入れた。
これから先は、有権者の側が、積極的に政党に働きかけ、政党に入り込み、そして政治を変えてゆくことが必要である。今回の、政権交代は、そうした新しい政党のあり方を模索する、一つの通過点であると考えたい。