政策への支持ではなかった
2014年12月の総選挙は、事前の世論調査の通り、自由民主党の大勝、自民、公明の与党を合わせて3分の2以上の議席確保という結果となった。一時は、自民党単独で300議席を優に超えるという予想もあった。自民党を勝たせすぎることを恐れた有権者が存在し、維新の党への投票に回ったことで、この党がほぼ現状維持できたことが推測される。また、自民党の右側に立つと自称し、憲法改正やナショナリズムを鼓吹していた次世代の党が、自民党出身のベテラン政治家二人の当選に終わったことも、民意の現れである。次世代の党は、安倍晋三首相と思想的に近い集団である。そして、自公連立の中で公明党が、安倍本来の右派路線の展開を妨げていると非難してきた。この党がある程度の勢力を維持すれば、維新の党の右派と合わせて、自民党にとって公明党に代わる補完勢力となることも、計算上はあり得た。しかし、この惨敗でそのようなシナリオはなくなった。極右政治家の落選を見ると、国民全体が右傾化しているわけではないと言えそうである。
今回の選挙にはいくつかの特徴がある。まず、投票率が52%と、戦後の総選挙で最低を記録した。自民党は有権者全体の4分の1程度の支持しか得ていない。解散から投票までの運動期間も短く、年末の多忙な時期に投票日を設定した自民党の狙い通り、国民の関心は低いままであった。意味不明の選挙を頻繁に行い、与党が国民の信任を得たと自己正当化する手法は、麻生太郎副総理が言った通り、ナチスの手口である。選挙戦で論争が行われなくても、自民党が圧勝した以上、この党が掲げた政策はまとめて国民の支持を得たとみなされる。そこに選挙の厄介さがあることを、盛り上がりを欠くと不満を言った国民は認識すべきである。
第二の特徴は、安倍政権自体やそれが進める政策に関しては、国民は支持していないにもかかわらず、自民党が圧勝するという結果になったことである。国民の政策的選好と投票における政党選択との間にねじれが存在すると言うことができる。
選挙直後の12月15、16日に共同通信が行った世論調査では、内閣支持率は46.9%、不支持率は45.3%とほぼ拮抗(きっこう)している。与党が3分の2以上の議席を獲得した結果については、よかったが27.4%、よくなかったが27.1%と同じく拮抗している。アベノミクスで今後景気がよくなるかどうかについては、よくなると答えた人が27.3%、よくなると思わないと答えた人が62.8%と、経済政策に対する期待感はきわめて低い。また、安倍政権の安全保障政策については、支持が33.6%、不支持が55.1%と、国民の多数は、軍事力行使を志向する安倍政権の政策に警戒感を持っている。国民が右傾化しているわけではないことは、この点からも明らかである。
「この道しかない」という諦め
有権者が合理的な行動をとるなら、これほど政策面で反対意見を持っている人々が自民党を圧勝させることはあり得ない。国民は政策面で期待を持っていなくても、積極的に安倍政権を倒したいという意欲を持っていないと解釈するしかない。野党が政権交代を起こすために十分な候補者や政策体系を用意しなかったことも、変化への意欲をそいだ。安倍首相が唱えた「この道しかない」というスローガンは、案外国民の心理を捉えたと言わなければならない。もちろん、安倍はアベノミクスという道がベストと言いたかったのだろう。これに対して国民は他に選択肢がないという諦めに基づいて、この道しかないと思ったわけである。その諦めは、棄権の増加という形でも現れた。安倍自民党に対する支持はきわめて弱いものだと言うことができる。同時に、政策の中身について合意したわけでなく、いわばこの政権は国民の望まないことを追求することも織り込み済みである。その意味で、安倍政権に対しては白紙委任が存在する。選挙が終わるや否や、安倍政権は選挙中予告しなかった政策を次々と繰り出そうとしている。福井県の高浜原子力発電所の安全審査について、原子力規制委員会は基準に適合するという判断の原案を示した。介護報酬の引き下げや子育て給付金の停止も打ち出された。また、武器輸出について相手国に補助金を出して促進するという政策も打ち出された。権力基盤を保持して、安倍政権は社会保障の抑制、平和主義からの転換など、この政権の本質を表す政策を追求することになるだろう。政策とは関係ないが、政治資金疑惑で大臣を辞職した小渕優子議員の事務所で、パソコンのハードディスクがドリルで破壊されていたことも明らかになった。
そうした政策判断について、選挙戦の中で明らかにしていれば、国民の関心も高まり、自民党に対する白紙委任のような支持は少なくなっていたはずである。しかし、政治家と選挙とはそんなものである。国民が反発しそうな政策は選挙前にはひた隠し、選挙が終われば本性をあらわにする。現状では、国民に説明していないことを実行しても国民はたいして怒らないだろう、仮に怒ったとしても次の選挙までは時間があるのでそのうちに怒りを忘れるだろうと、為政者は国民を見くびっている。
安倍首相の特異なキャラクター
驕りの目立つ安倍政権だが、政策運営では無理をしていることも明らかである。株価を上げることが支持率を上げることに直結するという発想が安倍政権の基本である。そのため、年金基金による株の購入を増やしたが、それは年金財産の毀損(きそん)をもたらす恐れがある。円安が輸出企業の業績向上をもたらすと信じて、金融緩和による円安政策を続けた。しかし、輸出数量は増えていない。日銀短観でも、景気の先行きについては悲観的な見方を取る企業が、規模の大小を問わず多い。日銀の金融政策は矢玉が尽きた状態であり、国債買い入れにも限度がある。事業者が消費税を納税しなければならない15年春には、中小零細企業の中に消費増税倒産する会社が続出すると、経済評論家の荻原博子氏は予想している。景気の停滞が続けば、アベノミクスは怨嗟(えんさ)の対象となり、支持率も下がるに違いない。年末の選挙は、そうした逆風の襲来を予測したうえで、今のうちに、ということで行われた。そして、勝利したことで自民党内の権力基盤は強化され、15年9月の自民党総裁選での再選は確実と見られている。
しかし、安倍は挙党態勢を取るのではなく、仲間で要所を固め、有力政治家を締め出して、権力の独占を図っている。支持率の低下が始まれば、党内では反主流派による強い批判を招く構図である。仮に、経済政策への不満で支持率が低下している中で、安倍首相が持論である憲法改正に着手し、安全保障政策の転換に踏み出すならば、連立与党の公明党や、今は隠れキリシタンのような自民党内の穏健派も首相批判を強めるであろう。実は、安倍政権は脆さを抱えており、今年の政権運営は容易ではないのである。
安倍晋三という政治家を首相に頂くことは、日本国にとって大きなリスクとなるかもしれない。選挙戦の中で、そしてその後も、一国の首相にはふさわしくない安倍の幼児性がしばしば露呈された。TBSの「ニュース23」では、街頭インタビューで紹介された市民の声が圧倒的にアベノミクスに懐疑的だったことに腹を立て、テレビ局側が街の声を反対論ばかりで固めたと非難した。選挙後、日本テレビの「ニュースゼロ」では、キャスターの質問に答えず、キャスターの声を送るイヤホンを外し、ひたすら持論を繰り返した。
こうした言動に現れているのは、自分に対する反対や異論に耐えられない、自己中心主義と自己愛である。選挙の前後、自民党はメディアを威嚇し、メディアは自主規制して報道の量そのものが少なかったため、安倍のキャラクターが争点となることはなかった。それにしても、安倍の幼児性は従来の指導者と比べて特異である。
安倍の幼児性を説明するとき、私は詩人、石原吉郎の次の文章を援用する。石原は、戦後シベリア抑留の悲惨な経験をもとに、詩やエッセーを残した。
「(シベリア抑留中)作業現場への行き帰り、囚人はかならず五列に隊伍を組まされ、その前後と左右を自動小銃を水平に構えた(ソ連軍の)警備兵が行進する。(中略)なかでも、実戦の経験がすくないことにつよい劣等感をもっている十七、八歳の少年兵にうしろにまわられるくらい、囚人にとっていやなものはない。彼らはきっかけさえあれば、ほとんど犬を射つ程度の衝動で発砲する」(『望郷と海』ちくま文庫)
日本という国は、戦後憲法の下で、実戦を避けてきた。その戦後レジームを打破しようともくろむ安倍とその取り巻きの右派政治家は、実戦の経験がないことに強い劣等感を持っている少年兵のようなものである。
国民に求められる「覚悟」
「意味不明の選挙→低投票率の選挙→自民党の圧勝」という安倍の思惑にむざむざとはまった日本人は、その政治的リテラシーの欠如を恥じなければならない。国民が諦めや無力感に浸っていれば、権力者は民意の支持を得たと称して、好きなように権力を使うだろう。