ワシントンにおける情報の偏り
これまで述べてきたようなワシントンの構造の結果、日本とアメリカの間で共有される情報が一面的になっている。例えば、辺野古基地建設問題についてである。民主党の鳩山由紀夫政権のころ、鳩山政権の辺野古移設反対の姿勢に対してアメリカ政府が怒っているという言説が日本では広く流布されていた。当時、ワシントンのシンクタンクでは、この問題についてのシンポジウムが頻繁に開催されていた。ワシントンに住んでいた筆者は可能な限りこれらのシンポジウムに出席したが、出席した数十ものシンポジウムのうち、辺野古基地建設に異を唱える日本人スピーカーが登壇したものは、なんと一つしかなかった。
仮にも一国の首相が移設に反対しているのに、その声を代弁する者がいないのでは、明らかに「ワシントンで語られている日本」と「日本で語られている日本」がかけ離れていることになる。
実際には、ワシントンにも辺野古移設への反対意見は存在した。アーミテージ氏が「辺野古以外の選択肢の検討が必要だ」と述べるなど、少なくないアメリカ側の識者が別の案を提案していたのだ。アメリカ側から別案が必要との声が発せられているのに、日本側が辺野古案を主張している。この構造が私には驚きであり、新鮮でもあった。
外交にも民主主義を
筆者は、ワシントン在住生活の中で知ることになった日米外交のゆがみに疑問を抱き、その後、日米の外交システムを研究するようになった。また、既存の外交パイプが全く運ばない声をワシントンに伝えたいと、アメリカ議会へのロビー活動を行い、沖縄の方々などの訪米ロビーを企画し、それに同行してきた。これは、外交も国の政策である以上、民主主義的な要素が反映されなければならないとの思いからである。
筆者は、日本政府などが日本のプレゼンスを高めるためにワシントンで働きかけを行うことに反対するものではない。アメリカ政治に的確に日本の声を反映させることは極めて重要である。
しかし、筆者が感じる違和感は、ワシントンで語られている日本がどうも私の知る日本ではないようだという点にあった。日本国内の多様な声が反映されていないのである。ブルッキングス研究所に所属していた岩下明裕教授(北海道大学)は「日本で流布している言説と、ワシントンで日本側が仕掛けていることの間に大きな隔たりが存在していることを痛感した」と述べている。政策決定の過程でアメリカからの影響力が大きな追い風となる日本において、その風が誰によって作られているのかを国民が知らされない現状は、民主主義に反しているのではないだろうか。
日々、多くの論点について様々な意見が出され、幅広い議論の中で落ち着きどころが見いだされていく。それが日本での議論の進められ方である。もちろん国内でもそれが不十分であることも多いが、しかし、ワシントンにおける「日本」は極めて一面的であり、そこでの深い議論の欠如は深刻である。
外交という舞台では、登場人物の数が国内の議論に比べて一気に2、3ケタ以上も減り、そのわずかな人々が大変大きな声を持つことになる。対日外交の政策決定過程に影響力をもつアメリカ側の人々の数は、筆者の調査によれば5人~30人にすぎない。これでは外交チャンネルにおける情報源は限られ、情報も容易に選別されてしまう。しかし「外交」が取り扱う問題は非常に大きく、わずかな変化が甚大な影響を与えうる。少数の人々による現在の対日外交方針の決定について、コリン・パウエル国務長官の首席補佐官であったローレンス・ウィルカソン元大佐は筆者にこう語った。「簡単かつ効率的だが、可能性ある選択肢を全て検討しながら意義ある対話やディスカッションを行うことにならず、日本やアメリカの民主主義の発展のために望ましくない」。
現在の外交においては、既存の日米チャンネルの外に存在する意見が議論の俎上に載り、具体的な選択肢として検討される機会はほとんど存在せず、沖縄や福島を含め日本の一般の人々の声がワシントンに伝わることはほとんどない。一方で、資金力がある者の声のみが外交に強く反映されていく。企業であれ個人であれ、自らの望む方向に向けて様々に働きかけるのは「政治」の常であるが、こと日米外交となると、その圧力の創出の可否が完全に資金力の有無にかかり、そこから作り出された圧力が実際には日本製であっても、「アメリカ」のベールを被り、実の声の主がわからない状態になりながら日本社会に強烈な影響を及ぼすことになってしまう。
そしてこれら一連の対日影響力の形成は遠いワシントンで行われ、言語の違いも相まって、日本社会の側の検証や批判から逃れている。ワシントンにおける日本の政策決定過程も、日本の人々によって監視され、議論され、評価されねばならない。
何かが発表される際には必ず誰かの意図が働いている。市民もメディアも「その源は何か」を意識して外交問題を捉え、外交にも民主主義が及ぶよう監視していかねばならない。