今はより強くなっているかもしれません。
そうした中で、ママという切り口は大変賢い切り口だと思います。もし、相手が若い独身女性だと、何か主張しても、わがままだとか自分勝手だとか、難癖をつけやすい。しかしお母さん、そのお母さんの子どもに対する思いとなると、なかなか反論しにくいでしょう。
こうした新しい市民運動が広がっているのを、実感している人は少なくないはずです。
今、世界は危機的なフェーズに
世界的な政治の動向としては、極右政党の躍進や政治家による極右的な発言も気になるところです。
アメリカのドナルド・トランプについては皆さんご存じかと思いますが、5月のオーストリア大統領選挙で、極右政党「自由党」のノルベルト・ホファーが、リベラル派の「緑の党」の元党首アレクサンダー・ファンダーベレンに破れたものの、49.7%対50.3%と僅差でした。
ヨーロッパでは、移民・難民問題の影響などもあり、第三政党が極右政党になってしまったケースがかなり増えています。大国の中ではフランスがその最たるもので、父が創設した「国民戦線」を引き継いだマリーヌ・ルペン党首は、17年の総選挙での党の躍進と、大統領のポストを狙っています。
極右ポピュリズムの躍進は、民族主義と排斥主義を助長することにもつながります。
世界が危機的なフェーズに差しかかっている中、それに反対する動きも出てきています。
アメリカでは、11年の富の不平等への抗議運動「オキュパイ運動(Occupy Wall Street「ウォール街を占拠せよ」)に参加した市民が、バーニー・サンダースの大統領予備選挙を支えています。スペインでは、15年12月の総選挙で、市民運動の流れをくむ新党「ポデモス(「我々にはできる」の意)」が、初の総選挙で69議席を獲得、第三党となりました。台湾でも「ひまわり学生運動」を担っていた人たちが「時代力量」という政党をつくり、第三政党になりました。
若者の運動という点では、日本では「SEALDs(シールズ:自由と民主主義のための学生緊急行動)」の存在は大きいですね。大学生が中心なので学生運動といってもよいと思いますが、以前の学生運動と大きく違っています。
彼らは非常に頭がいいし感性も優れているけれど、いわゆる偏差値エリートではありません。また、大学の教職員とは対立するのではなく、協調しています。中心的人物はいても、リーダーではなく、個々人が考えて自ら行動する。そして「市民」と称することもあります。
主権者として勇気を持つこと
こうやってみてくると、11年9月に立ち上げられた、原発反対を掲げた市民グループや個人のネットワーク「首都圏反原発連合(首都圏反原連)」が、新しい市民運動の最初の動きといえるのではないかと思います。12年3月からは毎週金曜に首相官邸前で抗議活動を行い、今でも続けています。
当事者でなくても声を上げていいんだ、抗議したいことがあれば首相官邸前や国会前に行けばいいんだということを広く世に知らしめた。政治的な活動から距離を置いていた人たちが参加しやすい流れをつくったのです。
そして、抗議の仕方にもいろいろな形があるということで、それぞれが工夫してさらに新しい運動を生んでいく。場所も、国会前に限定せず、地元の商店街や駅前で、たった一人でも声を上げている人も出てくる。
私は、この「一人でも」というのが、主権者としての原点だと思います。それは勇気の問題でもあります。勇気を持った人が、たった一人で声を上げる。すると共感を覚えた二人目は勇気を振り絞る敷居が少しだけ低くなります。三人目、四人目はもっと低くなって、さらに他の人を呼び込み、「私も同じ立場です」という“名乗りの連帯”が大きなうねりをつくっていくのです。
当事者だけが参加する運動はマイノリティーだったかもしれません。新しい市民運動は主権者運動であり、主権者という意識を持つ人にいつも開かれています。勇気を持って、自分ができる範囲でまずは始めてみることです。可視化された意見には、政治を動かす力があると私は考えます。
そして、7月10日の参議院議員選挙に投票することは、主権者としての権利であるとともに、責任でもあります。特定の人に「投票しよう」とはいいません。とにかく自分で考えて「投票に行く」ことが大事です。また、選挙運動を通して政治に参加することも可能です。この場合、選挙権のない人は選挙運動ができないなど、公職選挙法によるさまざまな規定があるので、注意が必要です。
「投票しても無駄だ」「何も変わらない」という前に、まずは1票を投じてみてください。それは主権者であるあなたの、勇気への第一歩になるかもしれません。