衝突が危ぶまれる尖閣諸島水域
近年、中国が急速に海洋進出をすすめる中で、近隣諸国との間で緊張が高まっている。日本との間では、尖閣諸島周辺の水域で中国の軍艦や軍用機が日本の接続水域(領海に接続する一定範囲の水域)に侵入したり、接近したりする事態が繰り返し起きている。また、中国が東シナ海上空の防空識別圏(ADIZ)を日本のそれと重なるように設定したことで、日本側のスクランブル(緊急発進)が増加している。こうした緊張状態の中で偶発的な衝突が起きる可能性が危惧されてきた。
それを回避するため、日中両国の政府は「高級事務レベル海洋協議」を続けてきたが、2017年12月、上海市で開かれた第8回協議で、日中双方が「前向きな進展」を得たと発表した。両国の防衛当局間で「海空連絡メカニズム」を構築すること、さらには防衛当局間の交流を強め、「相互信頼を増進していく」ことで一致したという。具体的な内容で合意したわけではないが、合意に向かう進展があったという意味である。
「海空連絡メカニズム」の構築は大きな意義を持っている。多くの人にとっては耳慣れない単語かもしれないが、これは、艦船や航空機の遭遇が偶発的な衝突に発展することがないように双方が緊急に連絡を取り合える仕組みをつくることを指す言葉だ。たとえば艦船や航空機が互いに連絡し合えるようにする、防衛当局の幹部同士をホットラインで結ぶ、などの内容を意味している。
中国は、アメリカや韓国との間ではすでにホットラインを設けている。南シナ海で中国が進める人工島の造成や軍事基地化などに対してアメリカは反対し、この海域に軍艦を派遣する「航行の自由」作戦を行っているが、そうした緊張状態が偶発的な衝突につながらないための体制が、米中両国間では整えられている。
日本は、アメリカとの間では理想的とも言える「連絡メカニズム」を機能させている。強い信頼関係で結ばれている上に、日米安全保障協議委員会(日米2+2)をはじめ各レベルのルートで常に対話を行うことで、両国は情報や認識を共有し、事態に対する共同対応もできている。
ところが日本と中国との間では、防衛当局間の定期会合や、相互に大使館に防衛駐在官を派遣するなどの連絡パイプはあるものの、いまだにホットラインもない。日中両国が経済面で相互依存関係を深めていることを思えば、まことにお寒い現状である。
もちろん、同盟関係にある日米関係と、日中関係では事情が異なる。だが、同盟関係にない国家間、あるいは敵対的な関係の国家同士であっても、偶発的な軍事衝突を防ぐとともに、国家間の信頼を醸成しなくてはならないとの見地から「信頼醸成措置」(CBM:Confidence Building Measures)が必要だ。信頼醸成措置とは、軍事情報の公開や一定の相互連絡のパイプ作り、軍事行動の規制、軍事交流などを進める努力や措置を行うことである。連絡のパイプを設置することで情報交換を円滑にして、不信や錯誤による突発事案を予防し、仮に突発的な事態が発生した場合でもその拡大を阻止し、速やかに原状回復できるようにしておくことは、現場の危機管理上からも重要だ。
難航し、長引いた日中当局間の交渉
海空連絡メカニズムは、こうした信頼醸成措置の一部をなしている。中国の海洋進出においては国際秩序を無視した行動が多く、日本は中国に対して、国際法に従い、地域の平和と安定に責任ある行動をとるよう求めてきた。ここで日中間で信頼醸成措置を構築する意義は大きい。
日中両国が今回の「進展」にたどり着くまでには、長い経緯があった。両国が海空連絡メカニズム構築を目指すことで合意したのは11年前の2007年4月のことだ。中国の温家宝首相(当時)が、中国の首脳としては6年ぶりに来日して安倍晋三首相(第1次政権時)と会談し、「戦略的互恵関係」構築のため具体的な協力を進めることで合意。その際に、防衛面での交流を進め、「両国の防衛当局間の連絡メカニズムを整備し、海上における不測の事態の発生を防止する」ことで一致したのである。
これを受けて翌08年4月、両国の防衛当局者による第1回の協議が持たれた。その後も協議が重ねられ、15年6月には、現場の部隊間の直接の通信方法や、日本の海上幕僚長・航空幕僚長と中国の海空軍のトップをつなぐホットラインの設置などに向けた協議の進展を見るに至った。
しかし、尖閣諸島の領有権を主張する中国側が連絡メカニズムの中に領空・領海侵犯への対応を含めることを主張し、日本側がこれに難色を示したことで、交渉はしばらく停滞した。その後、16年6月の中国海軍情報収集艦の日本領海 (口永良部島付近)通過などの事態を経て、両国の領空・領海については連絡メカニズムの対象としない方向に議論が進み、今回ようやく、「前向きな進展があった」と両国が発表するところまでこぎつけたわけである。
海空連絡メカニズムの運用が実現すれば、それは今後の日中関係にも良い影響を与えるに違いない。日中平和友好条約締結40周年の節目と相まって、両国の信頼醸成深化の契機となるだろう。
「海空連絡メカニズム」がもつ可能性と課題
もちろん、海空連絡メカニズムは、あくまでも緊張が続く尖閣諸島水域で偶発的な衝突が起きることを回避するためのツールにすぎず、この水域の領有権や主権をめぐる対立の根本的な解決策にはならない。東シナ海の恒久的な平和と安定が、これによって実現するわけではない。
それでも、現場レベルで偶発的なトラブルを「消火」し、アクシデントの拡大を抑止するツールが有効に機能するという成果を実際に積み重ね、東シナ海の平和と安定を維持することができれば、それは両国の信頼醸成に向けた転機になる。そして北朝鮮の核・ミサイル危機や南シナ海での複雑な軋轢が続く中、日本と中国という二つの大国の間で信頼醸成が進めば、それは東アジア地域の安定に大きく寄与する。
ただし、課題はまだ残っている。先に触れたように、海空連絡メカニズムの適用範囲に領海・領空侵犯を含むか否かという点で、両国はまだ合意に達したわけではない。日本側は、領海・領空を適用範囲としてしまうと、中国軍艦や中国軍機が尖閣諸島周辺に侵入しても「日本に連絡しさえすればよい」という誤ったメッセージを与えると見て反対しているようだ。