そのとき要請に対応してテーブルについたのは、知事公室基地対策統括官、土木建築部港湾課長、農林水産部水産課長、知事公室辺野古新基地建設問題対策課長の4人だった。
彼らは、わたしたち県民の要請に対して、「決断するのは、あくまでも知事です。やるべきことをわたしたちはやってきています」と明言し、知事に下駄を預ける姿勢を鮮明にしていた。
翌日には、別の市民団体の代表と面談した謝花喜一郎副知事が「月内にも撤回表明はあり得る」と発言したことも伝わってきた。
じつはその少し前の7月17日、沖縄県は「工事の即時停止」を求める行政文書を安倍政権(防衛省沖縄防衛局)に対して発出している。しかし政府は少しも意に介することなく、翌日からも平然と新基地建設の作業を進めている。
そして7月19日、辺野古崎付近の埋め立て工区の一部において、北から延伸する護岸(N3)と南からの護岸(K4)を砕石で繋いで、強引に海を塞いだ。つまり防衛局が最初に土砂を投入すると宣言している水域を、埋め立て用護岸(砕石を積み上げ、被覆コンクリートブロックで補強した仕切り)で完全に囲ってしまったのだ。
台風10号が接近中にもかかわらず、工事を急いだ政府。これほどわかりやすい、沖縄県民をなめきった意思表示もないだろう。
もしかしたらそろそろ護岸が閉じられるかもしれないという情報を得て、わたしはその日、辺野古の海で抗議船に乗っていた。波風が強くなってカヌーを漕ぐことを断念した海上行動チームの人たちとともに船の上から、護岸で海が塞がれる瞬間を瞼に焼き付けることになった。
カヌーメンバーで名護市民の40代男性は、こう言って悔しがっていた。
「今閉じられてしまった水域だけで、東京ドーム1.3個分あるんです。この中にいる命が、この瞬間、じわじわ殺される運命に陥りました」
その表情には、こうなる前になぜ翁長知事は「承認撤回」に踏み切ってくれなかったのか、という苛立ちもにじんでいた。
一方、同じ船に乗っていた作家の目取真俊(めどるま・しゅん)氏は、一部始終を冷静に見届けた上で、報道陣に向かってこう問いかけていた。
「翁長知事の承認撤回ばかりが話題になりますが、県民や全国の人たちがもっと声をあげ、もっと行動していたら、こんな新基地建設工事は、とっくに止められていたのではありませんか? この工事は翁長知事がやってるわけじゃありませんよ。政府がやっていることですよ」
怒りを抑えつつ発した言葉に、強い力がこもっていた。
なぜ「埋め立て承認撤回」が遅れたのか
埋め立て承認の撤回表明がこんなに遅くなった理由については、県庁関係者あるいはその周辺から漏れ伝わってくる情報も様々だった。
それらの情報の中で、わたしが非常に気になったのは次のような情報だった。
県民投票によって「辺野古反対」の民意を明確にすることこそが、知事が公益性を理由に「承認撤回」を行う際の最大の根拠となり得る、という考え方が、県庁内に広がっている……。
実際、昨年暮れから今春にかけて、何度も開催された「辺野古県民投票を考える会」(のちに「『辺野古』県民投票の会」)の勉強会のうち、わたしの知るだけで3回も講師を務めた行政法学者の武田真一郎氏(成蹊大学法科大学院教授)が強調し続けたのは「撤回のためには県民投票こそが必要」という点だった。
先に紹介した『沖縄発 新しい提案』という共著の論考でも、武田氏は「現時点で県民投票に基づく埋立承認の撤回以外に辺野古新基地建設を法的に白紙に返す明確な方法論は示されていない。県民投票はこの問題を解決するためのもっとも正当な方法であり、同時に唯一の方法なのである」という言葉で締めくくっている。これには、少しも説得力が感じられない。
なぜ説得力がないかは、翁長知事が撤回表明の根拠として語った部分を見るだけで理解できるだろう。少し長くはなるが、知事が記者会見で読み上げたコメントを一部抜粋したい。
沖縄防衛局は、全体の実施設計や環境保全対策を示すこともなく公有水面埋め立て工事に着工し、また、サンゴ類を事前に移植することなく工事に着工するなど、承認を得ないで環境保全図書の記載等と異なる方法で工事を実施しています。
留意事項で定められた事業者の義務に違反しているとともに、「環境保全および災害防止に付き十分配慮」という処分要件も充足されていないものと言わざるを得ません。
また、沖縄防衛局が実施した土質調査により、C護岸設計箇所が軟弱地盤であり護岸の倒壊などの危険性があることが判明したことや活断層の存在が専門家から指摘されたこと、米国防総省は航空機の安全な航行のため飛行場周辺の高さ制限を設定しているところ国立沖縄工業高等専門学校の校舎などの既存の建物等が辺野古新基地が完成した場合には高さ制限に抵触していることが判明したこと、米国会計検査院の報告で辺野古新基地が固定翼機には滑走路が短すぎると指摘され、当時の稲田防衛大臣が、辺野古新基地が完成しても民間施設の使用改善等について米側との協議が整わなければ普天間飛行場は返還されないと答弁したことにより、普天間飛行場返還のための辺野古新基地建設という埋め立て理由が成り立っていないことが明らかにされるなど、承認時には明らかにされていなかった事実が判明しました。
(「翁長雄志沖縄県知事の承認撤回表明記者会見の全文」琉球新報、2018年7月27日)
簡潔に述べるならば、県民投票以外にも「撤回」に値する根拠は山ほどあるわけである。
しかし武田氏は2017年暮れから18年3月にかけての勉強会の場で、自分は県職員と打ち合わせしてきているのだと明言しているし、前掲の単行本中の論考でさえ、先ほど引用した通り、撤回のためには県民投票以外に正当な方法はないと書いているのだ。
わたしは武田氏のそのような考え方が県職員に悪影響を及ぼしていないか、知事公室の責任ある立場の人々に対して問いただしたほどである。県職員の返答としては「武田先生は沖縄県と国の裁判に関しての『訴訟支援研究会』の行政法学者グループのメンバーの一人であり、県として研究会から様々なアドバイスを受けたことはあっても、武田先生が法的な問題の県の意思決定に関与されているわけではない」という無難なものだった。
武田氏のアドバイスが県職員に影響を与えていないことを祈るばかりである。
県民投票実現への署名数は10万筆突破
なにはともあれ、県民投票よりも辺野古埋め立て承認の「撤回」が先んじる形になったことは幸いである。これで、「撤回後の裁判」で県と国が争うことになったとき、県民投票は沖縄県知事の決断の正当性を後押しする大きな要素にはなるのだから。
県民投票をめぐっての「仲間うちでの対立」が、これ以上悪化することも避けられる。そんな安堵の思いに包まれたものである。
知事が「撤回表明」会見で先のコメントを読み上げる前に、県民投票についても触れた部分があるのであわせて紹介しておこう。