前回(2)では、深まる米中対立を「新冷戦」と規定すれば「米国かそれとも中国か」という「二項対立」のワナにはまってしまうという危険を強調した。トランプ政権が華為技術(ファーウェイ)の排除を迫り、「一帯一路」に参加するかどうかを「踏み絵」にすれば、多くの国はこの二項対立の落とし穴の前で悩むことになる。では安倍政権はどうするのか。それを読み解くキーワードが「自由で開かれたインド太平洋」構想だ。
経済協力と安保の「二律背反」
「ちょっと待った、そんな構想聞いたことない」という人は少なくないと思う。それもそのはず、日本政府関係者ですら目的と内容をクリアに説明できないのだから当然かもしれない。その原因は、中国という補助線を引けばはっきりする。それは安全保障では中国の脅威をあおって日米同盟強化と軍拡を進める一方で、経済では中国との関係改善を図ろうとする矛盾に満ちた構想だからである。
安倍晋三首相は第1次政権当時の2006年、中国牽制のため、日米に加えてインドとオーストラリアとの連携強化を図る「4カ国戦略対話」創設を提案した。だがこの提案は、安倍が1年で政権を投げ出したため頓挫した。しかし安倍は第2次政権発足直後の12年末、今度は4カ国連携を「安全保障ダイヤモンド構想」という名で再提起した。「4 カ国戦略対話」も「ダイヤモンド構想」も、根幹には海洋進出を強化する中国への包囲網強化の狙いがある。
そして16年8月末、安倍はケニアで開かれたアフリカ開発会議(TICAD)で「自由で開かれたインド太平洋戦略」(以下、「インド太平洋戦略」)を発表した。4カ国連携を基礎に広域的な協力枠組みを想定した「対中戦略」である。ちょうど、中国の南シナ海での人工島建設をめぐる米中対立が先鋭化し始めた時期にあたる。
同盟再構築のけん引役
「インド太平洋戦略」は二つの部分からなる。第1は、東アジアから南アジア、中東、アフリカに至る広大な地域で、インフラ整備、貿易・投資、開発、人材育成など、日本を軸にした広域的な経済・開発協力を目指すというもの。「一帯一路」への対抗意識が透けて見える。
第2が安全保障。「両大陸をつなぐ海を平和な、ルールの支配する海」にするため「インド、同盟国である米国、オーストラリア等との戦略的連携を一層強化する」と、「日米印豪4カ国」の安保連携を訴えた。
「4カ国対話」と「ダイヤモンド構想」は、こうして「戦略」に格上げされた。前回書いたように、世界で今起きている地殻変動は、冷戦終結によって経済的には「地球が一つ」になり、「敵」を前提にする同盟構造が揺らいでいることに起因する。こうした中で、「インド太平洋戦略」の狙いは、日米同盟を基礎に、さらに広域的な「対中同盟」の再構築を牽引することにあった。何と言っても、経済より安保が主軸だ。
トランプ政権にとっては「渡りに船」。ドナルド・トランプ大統領は17年11月のアジア歴訪で、日本が提唱する「インド太平洋戦略」を、米国の対アジア戦略として取り込んだ。
対中包囲に反対するインド
日米の意図は明白だ。したがって「4カ国対話」の成否はインドと豪州の対応次第ということになる。ところがインドの対中姿勢は単純ではない。対中警戒感が根強い一方で、中国を敵視する同盟には否定的というのが基本姿勢だ。
インドは、「一帯一路」が宿敵パキスタンとの係争地カシミール地方を開発対象にしていることもあり、「一帯一路」には批判的だ。その一方で中国主導の国際金融機関であるアジアインフラ投資銀行(AIIB)には加盟しており、中国に次ぐ第二の出資国である。AIIBが承認した融資案件の4分の1はインド向けだ。17年には、中ロ主導の「上海協力機構」(SCO)にもパキスタンと共に加盟している。
インドのナレンドラ・モディ首相は、全方位外交を意味する「戦略的自律性」を掲げている。特定の国を敵視する同盟関係には乗らず、「インド太平洋戦略」が中国を敵視するなら支持しない姿勢を鮮明にしている。
多くの国が、こうした中国への「是々非々」姿勢を共有している。マレーシアのマハティール・モハマド首相は18年8月、中国企業が受注した東海岸鉄道計画の中止を決定。日本のメディアは、同首相が「一帯一路」に批判的だと強調した。ところが同首相は19年4月12日、建設費の大幅削減による鉄道建設再開を発表した。 老獪なマハティールのしたたかな「バーゲニング」と言うべきだろう。
対中同盟と国益は一致しない
オーストラリアはどうか。同国は米国中心の情報機関の協力組織「ファイブアイズ」(米、英、加、豪、NZ) のメンバー。自由党のモリソン政権はファーウェイ問題でもいち早く「排除」を発表した。しかし同国にとって、中国は貿易総額の24%を占める最大の貿易相手でもある。
元首相のケビン・ラッドは、日本経済新聞への寄稿(19年4月13日)で、在任当時に「4カ国戦略対話」に乗らなかった理由について「日本の新たな対中同盟に巻き込まれるのは、豪州の長期的な国益と一致しなかった」と説明し、「構想が中国の地政学的行動を抑止するのにどの程度有効なのかなどを明確に示す、参加国を駆り立てるようなビジョンの欠如」を指摘している。
彼の疑問は、(1)対中同盟は国益に合致するか、(2)対中抑止は効果的か、(3)構想内容が曖昧――の3点にあるが、これは「インド太平洋戦略」の弱点を突いている。「ラッドは親中国派だから」と見做してはならない。米中対立が長期化する中、多くの国が「二項対立」の落とし穴の前で苦渋している現状を、率直に表現しているのだ。
ラッドは、18年10月の安倍訪中にも言及し「日米中の関係にあいまいさを残しておこうとしている兆候がある」と書いた。同盟再構築の先兵役の安倍ですら、「対中抑止だけでは生きられないのではないか」という意味だ。
インドは対中敵視に反対し、オーストラリアも本音では躊躇している。「インド太平洋戦略」は果たして成功するのか。
「戦略」の二文字を封印
そんな安倍も、17年春ごろから日中関係改善の切り札として「一帯一路」への協力に舵を切った。そうなれば、対中包囲網の強化を目指してスタートした「インド太平洋戦略」の意味も曖昧化する。そこで安倍政権は、安保と経済を切り離す「政経分離」を図った。
注目に値するのは、政権が18年10月の安倍訪中の直前から「戦略」の二文字を削除し「インド太平洋」や「インド太平洋構想」と言い換え始めたこと。安倍は国会でも「(構想は)一帯一路など他国の政策に対抗するために進めているものではない」(19年3月25日)と答弁している。対中配慮が滲む。
安倍の考える「政経分離」とは、具体的にはどのようなものか。途上国など「第三国」向けの開発援助やインフラ整備事業では、それが「一帯一路」とマッチングするのであれば協力する。しかし安保面では、海上自衛隊の護衛艦「いずも」などを「空母」化し、南シナ海やインド洋で潜水艦と共に「哨戒活動」を継続。南西諸島への自衛隊配備を強化し、対中抑止を進める――という使い分けである。
実際には、「インド太平洋戦略」の第1目標である「日本を軸にした広域的な経済協力」は、資金力で勝る中国の「一帯一路」の陰に隠れ、埋もれてしまうだろう。第2の安保構想も、インドの参加を欠いたままでは「戦略」と称するに値するか疑問である。
外交力で脅威減らせ
日本と中国が、経済協力と首脳訪問を通じて相互信頼関係を構築できれば、双方の軍事的脅威は薄まり、軍事に資源を費やす必要性は減る。