安倍政権としては、次の国政選挙は19年7月の参院選までなく、地方選挙を物量戦で闘うことで野党連合をひとつひとつ制圧していけばいいという好条件下にあったのだ。18年6月10日、スキャンダルで辞任した米山隆一知事の後継を争う新潟県知事選で与党は勝利、これにより安倍政権は通常国会を乗り切り、6月28日には「働き方改革法案」を強行採決により成立させ、安定軌道に戻ることができた。
野党連合を制した安倍政権の次の敵は、9月の総裁選に出馬の意欲を燃やしていた石破茂だった。15年の総裁選では、出馬を表明していた野田聖子の推薦人を徹底して切り崩すことで辞退に追い込んだ安倍政権だったが、石破は自派閥と竹下派の一部を推薦人として確保し、徹底した地方巡業で党員票を獲得し、安倍総裁に迫る戦略に出た。これに対して安倍総裁は、それ以外の派閥の議員票を固めきり、総裁選当日には壇上で投票する自民党議員を「ちゃんと安倍晋三と書いているか」と監視する体制までつくりあげた。総裁選では、議員票は安倍329に対して石破73と安倍が圧倒したが、党員票は安倍224に対して石破181と僅差の勝利となった。しかし、「僅差の勝利」に安倍総理は寛容さで応じることはなく、総裁選直後から「排除」が始まる。竹下派は徹底的に切り崩され、石破派も脱落者を生むなどして、石破茂の安倍の対抗馬としての芽は次々に摘まれていったのである。
さらに大阪地検特捜部は5月31日、財務省の佐川宣寿前理財局長ら38人を不起訴処分にし、再燃した「森友・加計疑惑」も沈静化した。野党連合、与党内、そしてスキャンダルの封じ込めに成功したことで世論は関心をそがれた。自民党の長老たちもまた沈黙し、18年9月の世論調査では安倍政権の支持が再び不支持を上回り、以後40%以上の支持率を維持し続けている。
このように現在の政治支配は、安倍総理や安倍政権の政策への世論の積極的な支持により維持されているわけではない。それは野党連合と与党内の対抗勢力を上から力で封じ込め、公共放送への人事介入や民間放送、新聞、一部出版業界の上層部との結託によりメディアを統制し、有権者の視野から選択肢を見えにくくすることで得られた「支持」に他ならない。メディアから異論が消え、街場での政治談議が萎縮することで、反対者の声は広がりを欠いていく。社会運動への世論の反応が希薄になることで、デモや集会に足を向ける意欲がそがれ、街頭の行動は縮小していく。そしてメディアに反対者の声がますます反映されなくなるという悪循環が、ここに生まれたのだ。
中島のエッセイに漂う憂鬱さとは、まさにこの悪循環がもたらしたものだ。ただこの憂鬱さは、わずか1年の間に創りあげられた政治支配の産物なのである。
「天皇とコラボする」政治利用が、支配を盤石化した?
天皇譲位と令和改元の過程は、安倍政権の支配を誇示する絶好の場となった。「完成された支配」のもとで、脱政治化された儀式が繰り広げられた。それを目の当たりにすることで、わたしたちの憂鬱さは頂点に達することになる。
2019年4月1日の新元号発表から、5月1日の天皇譲位をはさみ、現在に至るまでの安倍政権の支配戦略は、「統制」ではなく「過剰な露出」と言ってもいいものだ。4月1日の菅官房長官による新元号の発表後、30年前の平成改元では厳格に秘匿されていた元号制定過程を、政府は「リーク」というかたちで公開していった。しかもその内容は、元号の選定が安倍総理、菅義偉官房長官の意思に基づいていることを匂わせるものだった。4月10日には、平成の天皇・皇后が出席しないなかで行われた天皇即位30周年の「奉祝感謝の集い」で安倍総理が祝辞を述べ、5月14日には、第二次安倍政権まで決して公開されることのなかった総理大臣から天皇への「内奏」の場面が公開された。さらに10月22日に予定されている「天皇即位パレード」のコースは、前回とは異なる、自民党本部前を通過するコースに変更され、パレードの車列には安倍総理、菅官房長官が加わることになった。
こうした「天皇譲位」をめぐる一連のことがらを政治利用したのは、安倍政権が初めてではない。1988年9月19日の昭和天皇の吐血以後、日本社会は自粛ムードに覆われ、およそ600万人が病気平癒を願う「記帳」に赴いた。自民党はこの記帳を要請する通達を各都道府県連に発送するが、それは翌年7月の参院選のための票の掘り起こしを意図したものだった。翌年4月に消費税導入を控え、参院選では自民党の苦戦が予想されていた。それを挽回するための「記帳動員による天皇の政治利用」が行われたのである。
安倍政権もまた、今年7月に参院選、10月に消費税の10%引き上げを控えている。しかし生前退位により記帳動員はできない。そこで採用したのが「天皇とコラボすることによる政治利用」だったのだ。
安倍政権にとっては、天皇も、吉本新喜劇の芸人も、有名俳優も、トランプ大統領もみな同じである。これまでのあらゆる世論調査において「安倍総理だから支持する」というのが政権支持層のなかでも一割程度しかいないことからもわかるように、安倍総理の個人人気は著しく低い。自民党内でも低いのは、先の総裁選の結果からも明らかである。だから「あの芸能人(もしくは天皇やトランプ大統領)と一緒に写っている人」であることをアピールすることで、安倍総理への無党派層の不信感を払拭し、有権者の心理的障壁を引き下げようとしているのだ。有名なイラストレーターに自らを「イケメン侍」に描かせる安倍総理、「令和おじさん」を売りにする菅官房長官、「甘利です」と自撮りを公開した甘利明選対委員長らの姿は、リベラルや穏健な保守からすれば不気味にしか見えないし、実際に不気味である。
だが政府自民党は「令和ブーム」という、異論や反対意見が一掃されている社会空間で、安倍総理やその側近たちが自らを脱政治化された「偶像」に仕立てれば、無党派層に好印象が浸透していくと見込んでいたのではないか。
そして思惑どおり、19年5月の内閣支持率は45%と、この2年間のうちで最高値に達したのである。
この「完成された支配」のもとで、外交的成果を掲げて衆参同日選に挑み、盤石の体制を永続させる。これが「5月までの」安倍政権の長期戦略であった。(その2に続く)
「記帳動員による天皇の政治利用」
参考資料:渡辺治著『戦後政治史の中の天皇制』青木書店、1990年、40ページ