変えるべきでないものが数の力で変えられようとするとき、野党は審議拒否という手段に出ることがある。野党が取ることができる、数少ない抵抗手段だ。「野党は18連休」という言い方は、ただ野党がさぼっているかのように見せる言い方だが、審議拒否という戦術は、機を見て慎重に選択され、その中で野党は力関係を変え、状況を動かそうとする。辻元清美衆議院議員の著書『国対委員長』(集英社新書、2020年)に、その様子が具体的に書かれてある。「野党はだらしない」という曖昧な言葉も、ネガティブなイメージを広げる。野党にしっかりしてほしいと願う人であれば、「野党はしっかりまとまれ」とか、「野党はしっかりビジョンを示せ」とか、より具体的に指摘すべきだ。
メディアが多用する「野党は反発」という表現も考え直してほしい。まるで正当な理由もなく感情的に騒いでいるだけのように見える。「抗議」「反対」「反論」「批判」など、同じ字数で他により適切な言い換えはできる。
「煙幕」となる「呪いの言葉」の向こうにある事実に目を向ける
上記のような「野党を貶める呪いの言葉」が氾濫すると、野党に存在意義はなく、野党議員に投票することには意味がないように、あるいは恥ずかしいことのように、思わされてしまう。国会を見ることにも意味がないように思わされてしまう。
けれども、実際の国会質疑を見れば、野党は過労死から労働者を守るためであったり、官邸による行政の私物化を防ぐためであったり、新型コロナウイルス感染症の影響により休業を余儀なくされた事業者や労働者の生活を守るためであったり、大事な論点で質疑を行い、政府に対応を求めている。そしてその論点に私たちが注目し、意見表明を行うことによって、世論が動き、事態が変わることもある。働き方改革関連法案から裁量労働制の対象拡大が削除されたことや、新型コロナウイルス感染症の拡大防止の中で、収入が減少した世帯への30万円の給付案が特別定額給付金10万円の支給へと変更されたこと、検察庁法改正案が廃案となったことなどはその例だ。
私は働き方改革関連法案が国会で審議されていた際に、広く市民に質疑を見て問題を考えてもらいたくて、そして論点をずらして問題に向き合わない政府側の不誠実な答弁を見てもらいたくて、街頭で国会質疑を解説つきでスクリーン上映する「国会パブリックビューイング」の取り組みを始めた。2018年6月のことだ。その後も入管法改正案や毎月勤労統計不正問題、桜を見る会問題などを街頭上映で取り上げてきた。その様子はYouTubeのチャンネル(国会パブリックビューイング)にあげている。『国会をみよう 国会パブリックビューイングの試み』(集英社クリエイティブ、2020年)にもその活動とそこで取り上げた国会審議の実情を紹介した。
その私からすれば、「野党は反対ばかり」のような「呪いの言葉」は、国会で何が行われているかに目を向けさせないための「煙幕」に思えてならない。大切なのは、隠そうとしているものを可視化させることだ。その煙幕の向こうにある実際の国会審議に私たちが目を向け、野党が、そして政府・与党が、実際に何をしているのか、大事な論点がどのように扱われているのかを、みずから確認することだ。そしてみずから考えることだ。
市民の政治参加を萎縮させ、あきらめを誘う呪いの言葉
政治をめぐる「呪いの言葉」の2つ目は、「市民の政治参加を萎縮させ、あきらめを誘う呪いの言葉」だ。「デモに行くより働け」「デモで世の中は変わらない」「デモに行くと就職できなくなるよ」「デモは迷惑」「売名行為だ」「左翼」「反日」「〇〇も知らないくせに」「応援していたのに残念です」「選挙で勝ってから言え」「だったらお前が国会議員になってみろ」等々、私たちが政治に関わる行動を取ったり発言を行ったりすると、それを否定しにかかる「呪いの言葉」がSNS上で見知らぬ人から投げつけられる。そういう言葉を投げつけられることが予想されるため、行動や発言を控える人も多いだろう。
しかし、投票に行くことだけが容認され、その他の政治的な行動や発言は叩かれるというのは、考えてみれば異常なことだ。私たちには言論の自由も集会の自由も憲法によって保障されているし、日頃から政治について考える機会があった方が投票行動も適切に行えるだろう。なのに、権力者の意に沿わない行動や発言が、目障りなものとして、誰だかわからない匿名の人たちによって、寄ってたかって口汚く非難される。なぜか。
権力を獲得した側からすれば、選挙とはみずからの権力が脅かされる可能性がある節目だ。自分たちに投票してくれる人たち以外には実際のところ、投票には行ってほしくないだろう。そのため、日頃から市民には、自分たちと対抗する勢力への投票につながりそうな形での政治的な問題意識は、持ってほしくないだろう。
そのような権力者の意向と、声を上げることを萎縮させるような「呪いの言葉」の氾濫に、直接的な関係があるかどうかは不明だ。しかし、「おかしい」と声を上げる者はおびえを乗り越えて発言しなければならないのに対し、「うるさい」と批判する側はおびえとは無縁だ。そこには明らかに非対称的な関係がある。
2000年夏の第42回衆議院議員総選挙の際、森喜朗首相(当時)は投票日5日前の講演で有権者の投票態度について、「まだ決めていない人が四〇%ぐらいある。そのまま(選挙に)関心がないといって寝てしまってくれれば、それでいいんですけれども、そうはいかない」と発言した(朝日新聞2000年6月21日朝刊)。この発言は問題となり、自民党はこの選挙で大きく議席を減らしたのだが、日頃は口に出さないだけで、それは政権与党の本音だろうと思われる。
そして、自民党が民主党から政権を奪還し、第二次安倍政権を生み出すこととなった2012年の第46回衆議院議員総選挙以降、下記の総務省のグラフに見る通り、投票率は低迷傾向を強めており、与党のねらい通りとなっているように見える。特に若い世代の投票率が低い。それは「政治に関わらない方がいい」と思わせる「呪いの言葉」がネット上にあふれていることと、無関係ではないと私は思う。