宇野 例えば今の総理大臣であれば、行政を担う官僚がいる。もし言うことを聞かない人がいたら、警察だってある。古代ギリシアには官僚もいないし、警察もないし、何もないんです。何があるかと言えば、言葉だけ。言葉を発して、みんなを説得して、みんなに「そうだ!」というふうに思わせる力があって、初めてリーダーになれる。
言葉の力でまとめ上げていく。それをやっていける人がリーダーだと思います。だからリーダーがいないと、民主主義は迷走しちゃうかもしれませんね。
和田 そう言われると、今の日本って、すごい迷走していますね、確かに。
宇野 この人の言葉は何か意味がありそうだから、ちょっと聞いてみようと思わせる人、「自分たちの考えていたことは、それなんだよ」と腑に落ちる言葉を話してくれる人、そういう言葉の力を持っている人が、特に今は少ないですね。どうせ建前しか言わないんだろうって、政治家の言葉に対して悲観的というか、疑いの目が向いていますよね。言葉を信じなかったら、人なんて信じられない。信じることができるような言葉を発する、言葉に重みがある人がいないですね、特に政治家においては。
和田 民主主義を支えるものって、言葉そのものなんですね。
宇野 でも、人を惑わすのもまた言葉ですから、言葉が常に正しいとは限りません。まさに「デマゴーグ」といった言葉も古代ギリシアで生まれています。みんなを扇動して――特に人の否定的な感情、嫉妬とか、憎悪だとかを煽って、結果としてうまく自分の利益になるようにする政治家も、世界にはたくさんいますよね。
人々の思いを形にした言葉と、政治を自分の思う方向に持っていこうとする言葉を見分けていかないといけないと思いますね。
和田 それが難しいですよね。自分が共感するまでに至らない言葉を受け入れるとか、信頼するとか、妥協するとか、折り合うとか……そういうことが現代はさらに難しくなっている気もしますね。
宇野 ちょっとでも自分と違う声を聞くと、あいつはインチキだとか、悪い奴だとかって思ってしまう。だから、自分とまったく同じことを言っているわけではなく、あるいは理解はできるけれども、全部は一致しないなと思う相手と話しているとき、言葉は一番大切だと思うんです。
今日も、こうやって和田さんと一緒にお話ししている中で、別に100%考えが一致しているわけでもないでしょうし、お互いに生きてきた人生も違いますし。
和田 ワッハハハ。違いすぎます。
宇野 いやいや。でも、和田さんと僕のあいだに、少しずつ共有できる、ここは一緒だよねって言えるものを拡大していくために議論しているという感じでしょう。
和田 ああ、そうありたいですね、はい。
宇野 だけど、別に100%一致する必要はない。やっぱり民主主義の言葉って、そういうものであると思います。少なくともここまでは共有できるというのをお互いの中に確認していく。そういうのが、一番大切なんですね。
だから、この人の意見には100%同意はしないし、もしかしたらこの人は自分とは違うことを思っているかもしれないけれど、少なくとも嘘はついていない――それなりに信頼できる人だと思えるならば、議論をすることができるのではないでしょうか。もう少しこの人と議論したいと思えるところまで共通の陣地をつくるのも、やっぱり言葉に負うものですよね。そういう言葉の力というのが今、失われつつある。
ほんとに大切な声って「中間」にあるものなんですよね。微妙に賛成できて、微妙に賛成できない。でも、もうちょっと一緒に議論したいな――と思わせる。そういう中間的な声に耳を傾けることが民主主義の議論においては大事だと思います。
- *この対談は、ジュンク堂書店池袋本店 オンラインイベント・『自分で始めた人たち』刊行記念 民主主義って何ですか?「ゼロからぐいぐい質問するライター」でおなじみの和田靜香さんが、宇野重規先生に徹底質問!【2022年3月22日実施】を再構成しています。
*「民主主義って何だろう? 大胆にも、宇野先生に聞いてみた。(後編)」に続きます。
フィンリー
サー・モーゼス・フィンリー。1912年5月20日 - 86年6月23日。アメリカ合衆国出身の歴史学者。専門は古代ギリシア史