和田 どうも「責任」という言葉に、なんだかギュッと心が固まるような感覚なんですよ。
宇野 ギュッとなると「どうせ私が悪いんでしょ。いいです。いいですよ」って、「もう誰もわかってくれないし」ってなりますよね。
和田 そうです。自己責任だと感じるようになって、さらに自己卑下に陥るんです。
宇野 責任という言葉が、人を黙らせる物言いになってしまうんですね。でも、責任は、何かに自分がかかわっていこうとするときに、前向きな意味で使える言葉だと思うので、そういった面での意味を復活させたいです。
和田 そうですね。参加して、かかわりができる。輪ができるというか。
宇野 かかわり続けたいという思いですかね。「自分なりに貢献したい」という思いのことを、責任と言う!
和田 そうすると、そのかかわりが民主主義なんですか?
宇野 それぞれの地域や活動への参加があって、それに対して一定の責任を、みんなが果たしていく――多くの人がそう考え、「かかわる」社会です。自分は参加もしないし、だから責任もないよという、みんなが「かかわらない」社会の逆ですね。
和田 「私がかかわっていく」社会が民主主義。
宇野 否定的な意味ではなく、むしろ前向きに自分は社会にかかわるんだという責任感が、その参加によって生まれ、拡大していく――そういう社会のことを、僕は民主主義と言いたいですね。
和田 みんなが小さな場所とか、スペースとかで、どんどんどんどんかかわりが増えていくと大きな民主主義ができる。
自分で獲得していく民主主義
宇野 先ほどから「民主主義」という言葉を使っているんですが、この言葉自体、良くないんですよ。なぜかというと、「主義」でしょ。主義って言われると……
和田 いかにも翻訳した言葉っぽいですね。
宇野 だいたい、民主主義はデモクラティズムじゃなくて、デモクラシーですから。リベラリズムとかソーシャリズムは、「イズム」ですから主義って訳していいと思うんですけど……。主義って翻訳してしまったんです。
デモクラシーがどういう意味かというと、古代ギリシア語で「デモス」は「人びとの」という意味ですし、「クラートス」というのは「力」とか「支配 」という意味なんですよ。だから「人びとの力」とか、「人びとの支配」ということになります。「普通の人が力を持っている」ということを指す……。だから本来は、「ものごとを決めているのは普通の人だと実感が持てること」をデモクラシーと言うと思っています。主義とかではない。
なので、いつも僕は「民主主義をひと言で言うと、ジョン・レノンです。『Power to the People』って、あれね」と説明しています。