23歳の容疑者は、夫と離婚後、仕事をしながらひとりで子育てをしていたが、次第に「子どもなんかいなければいい」と思うようになり、子どもを放置したまま知人の家などに滞在。「そうしたら生きていけないことはわかっていた」とは言うが、その存在じたいを考えないようにしていたのだろう。
「とんでもない母親だ」と非難するのは簡単だが、父親の責任は問われることはないのか。離婚後、若い母親が孤立し、経済的にも追い詰められるのは目に見えていたはずだ。それにもかかわらず父親がこの母子との連絡を怠っていたとしたら、その男性がやったことも「育児放棄」と考えられる。
ところが、マスコミはこういった事件が起きるたび、「子育ては母親ひとりの責任」とばかりに女性だけを非難する。直接、子どもが関係していなくても、2009年の一連の芸能界薬物汚染事件のように、女性の容疑者だけが「母親としての自覚がない」という点で責められる、ということはめずらしくない。
母親なら、何を犠牲にしても誰も手伝ってくれなくても、とにかく子育てに打ち込むべし。こういった価値観が、子を持つ女性たちにはかり知れないプレッシャーを与えることがある。中には、ひとりでの子育てに行き詰まり、周囲の人や医療機関などに相談しても、「お母さんでしょう、しっかりしなさいよ」「子どもは世界であなただけが頼りなのよ」と言われて、よけいに追い詰められることもある。
診察室にも、ときどき「このままではわが子を虐待しそう」と悩みを打ち明けにくる女性がいる。あるケースでは、事態がかなり切迫していると判断し、児童相談所に行くことをすすめたところ、その女性がこう言った。「前にも子育て支援のNPOに相談に行ったことがあったのですが、“もっとひどい状況でもがんばってるお母さんはたくさんいる”ってしかられました。またあんなことを言われるかと思うと、それだけで怖くて…」
孤立している母親たちに説教したり、何かの教訓を語ったりしても、何の解決にもならない。彼女たちの心はますます閉ざされ、焦燥感や不安が爆発して虐待へのひきがねになることも考えられる。
まずは、「子育て、ひとりじゃできない」「子どもなんかいなくなれば、と思ってしまう」と悩んでいる女性たちが、それを気軽に打ち明け、援助の手が得られる仕組みを早急に整備することだ。「役所の児童福祉課に相談してくれればいろいろなサービスがあるのに」といった声もあるが、追い詰められている女性にそんなサービスを探すだけの心のゆとりはない。110番、119番のような誰にもわかる「子育て緊急ダイヤル」などの窓口が必要だ。
そして長期的には、やはり“育児の社会化”を真剣に検討しなければならないだろう。祖父母や近所の人の手が借りられない今だからこそ、核家族やシングルマザーのもとにいる子どもを、血縁のない人たちも含めてみんなが見守り、育てていく。「預かり中に事故が起きたらどうする」といった懸念もあるだろうが、そういって子育てを産んだ女性ひとりに押しつけていると、また今回のような悲劇が繰り返されないとも限らない。
「母の愛は万能」というのは、多くの人の心の中だけの幻想だ。そろそろそれに気づき、現実的な対策を講じなければ、さらに事態は深刻化する一方だ。