根本的な問題は、政治の世界に女性を増やすことがなぜ大切なのか、自民党が理解していないことです。自民党は、「ダンナの世話をしながら選挙戦を戦える女性がどの程度いるか?」という理由で女性候補者の擁立を渋り、「男女均等に候補者を立てるのはまず無理」と開き直ります。確かに、日本で選挙に勝つには政策で勝負というより、朝に夕に辻立ちをして名前を連呼し、戸別訪問を繰り返す「どぶ板選挙」戦術が有効なのが、現状です。夜の宴席まで含めて「24時間戦える」かどうかが求められる選挙戦は、家庭で育児や介護を負わされがちな女性には、ほとんど不可能でしょう。私の取材に対し、ある自民党関係者は「女性と男性が同条件で公募に応募してきた場合、迷わず男性を選ぶ」と断言しましたが、つまり自民党にとって女性はほとんどの場合、「勝てる候補」ではない、ということです。
しかし、男性が「24時間選挙戦を戦える」のは、戦う男性を手厚くケアし、家事、育児、介護を担う女性たちがいるからです。実力がなくても男性が男性であるというだけで優位に立てる政治や社会の仕組みを作っておいて、「勝てる候補に男も女も関係ない」というのは、あまりに矛盾した理屈ではないでしょうか。
「女に政治なんてできるわけがない」という
「ポリティカル・マッチョネス」
――安藤さんは、著書『自民党の女性認識―「イエ中心主義」の政治指向』の中で、男性優位社会において女性は常に、男性をトップとする集団=「イエ」に従属する妻、母、娘として認識されてきたとして、この認識に立脚する自民党の政治指向を「イエ中心主義」と呼んでいます。「ジェンダー平等」とはほど遠い、こうした女性認識が、政権与党に今なお根深く残っていることが、日本がジェンダー後進国から抜け出せない現状を作っているということですね。
1960年代以降、自民党の女性政策の分野で強調されるようになった考え方に、女性は家庭を守り経営する「家庭長」であるべき、というものがあります。この「家庭長」という表現は、自民党が1979年に刊行した『日本型福祉社会』(自由民主党研修叢書編集委員会編『研究叢書』第8巻、自由民主党広報委員会出版局刊)で使用されています。具体的には「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業をより強化し、家庭内でできる自助の範囲を広げて国家的な社会保障を抑制するために生み出された考え方で、「イエ中心主義」の政治指向における女性認識そのものの概念であり、今に続く自民党の女性認識の原点です。
「主婦」に代わり「家庭長」と呼ぶことで、いかにも女性を主体的な存在として持ち上げているように思えますが、実際には女性を、社会を構成するひとりの個人として評価せず、常にイエに従属する存在と扱っています。そうすることで、男性であれば当然享受できる社会的権利から女性を排除してきたのです。「女性は家庭長である」という女性認識の裏側には、女性は家庭の「内」に留まるべき存在であり、「外」の仕事である政治は男性の領域だという考え方があると言えるでしょう。私はそれを「ポリティカル・マッチョネス」と呼んでいます。
私がジェンダーの問題について話すと、男性から「いや、うちは“かかあ天下”で、従属しているのは男の自分のほうだ」という反論を聞くこともあるのですが、「天下」を握っているのはあくまで家庭の中だけの話です。いくら「家庭長」としての権限が強くても、それが社会での発言権や権利を獲得できていることにはなりません。もちろん、専業主婦という生き方を選ぶ女性もいると思いますが、その選択が肯定されるのは、女性であることを理由に能力を発揮する機会が奪われていないということが大前提のはずです。
「家庭長」の座に押し込められた女性たちの政治進出がいかに難しいかは、日本の地方議会において女性議員がきわめて少ないということからも明らかです。都道府県議会における女性議員の占める割合は11.4%、市区議会では16.6%、町村議会では11.1%にとどまり、全国1741の市区町村議会のうち、女性議員がゼロの議会は311も存在します(内閣府男女共同参画局「全国女性の参画マップ」、2020年)。その主な理由は、地元の集会や冠婚葬祭などにまめに顔を出さなければ集票できない地方議員の政治活動が、「家庭長」として家を守る女性には負担が大きすぎるということにあります。女性町村議会議員の多数派が、子育てが終わって時間的な余裕ができた60代以上の専業主婦という実態は、こうした地方議員活動の物理的負担を考えれば、必然と言えるでしょう。
さらなる問題は、多くの男性国会議員が「地方議会から国政へ」とステップアップしてきたのに対し、女性議員のキャリアパス(キャリアを積んでいく道筋のこと)は地方政治と国政とで断絶されてしまっているという現状です。60代からスタートした地方議員のキャリアを、選挙活動がさらに過酷になる県議や国会議員へとつなげていける女性はほとんどいません。若い子育て世代や志を持って政治に挑戦したい女性たちを政治家として育てていく環境が、もっと必要だと思います。
――女性議員が少ないことの背景には、自民党の中に女性が「家庭長」の枠を超えて「イエ」の外に出ることへの抵抗感が強いということでしょうか。
おそらく、女性の能力を正当に評価すると自分たちの居場所が脅かされるという潜在的な恐怖感が、男性側にあるのでしょう。女性は男性が庇護し、導かなければならない劣った存在であり、良妻、良母、良子女の枠組みからはみ出すことなく振る舞うべきだという、「イエ中心主義」の価値観を端的に表していたのが、森喜朗氏が東京五輪・パラリンピック組織委員会を辞任するきっかけになった発言でした。