米国で高まる国防費肥大化への懐疑
日本への防衛費負担の圧力を強めてきた米国だが、米議会や社会の動きを見ると、肥大化してきた国防費を問題視し、もっと人間のニーズのために支出すべきだという主張が台頭し、無視できない勢力になっている。大きな契機となったのは、新型コロナ危機だ。米国は世界最大の軍事大国でありながら、感染症には脆弱で、世界最大の感染死者数を出してしまった。この経験は、米国民の国防観に大きな影響を与えた。
2017年に大統領に就任したドナルド・トランプは在任中、国防支出を6195億ドルから7400億ドルへと拡大した。こうした動きに批判を強めてきたのが、100人近い民主党の下院議員が構成する進歩派議連(Congressional Progressive Caucus)だ。議連は、軍事予算を10%削減し、その分を福利厚生や環境対策に使うことを主張してきた。このイニシアティブの中心を担ってきた1人、同議連のバーバラ・リー下院議員(カリフォルニア州選出)は、「過剰な国防費は、我々のコミュニティをより安全にするどころか、危機に対応する我々の能力を弱める」「新型コロナに対して脆弱な国民を放置して、兵器に何十億も費やし続けるわけにはいかない」と語っている。同様に防衛費削減要求を主導してきたマーク・ポーカン下院議員(ウィスコンシン州選出)も、「あまりにも長い間、議会は米国民のニーズよりも国防請負業者の利益を優先してきた」と述べている。
国防費に関する進歩派の問題提起は、米国世論にも支持を拡大してきた。進歩派議員たちの政策立案にも協力している調査団体データ・フォー・プログレスがコロナ禍の中で行った世論調査によると、米国の有権者の56%が、コロナウイルス対策や教育、医療、住宅などに充てるために国防予算を10%削減することを支持しており、削減に反対する人の27%を大きく上回った。
議会や社会で高まる声を背景に、2021年に大統領に就任したジョー・バイデンは、国防費を削減し、代わりに気候変動や医療など「非国防費」を増額する方針を打ち出した。2022会計年度(21年10月~22年9月)の予算案では、国防費は7530億ドルが盛り込まれ、額としては前年比1.7%増だったが、インフレを加味すると実質横ばいだった。これに対して「非国防費」は前年度比16%増の7694億ドル(約85兆円)に増額された。トランプ政権時代に削減されてきた米疾病対策センター(CDC)の予算を2割増やし、感染症対策を強化することも盛り込まれた。
市民一人ひとりが主体的に安全を考える時代
ところが2022年2月、ロシアがウクライナに軍事侵攻したことを契機に、国防費の削減を主張してきた進歩派議員たちはその主張を後退させることになった。2022年12月23日、2023年度の国防予算の大枠を定めた国防権限法がバイデン大統領の署名を経て成立し、国防費の総額は前年度比約10%増の8580億ドルとなった。中国が軍事的な圧力を強める台湾の防衛力強化のために、今後5年間で最大100億ドルの軍事支援を行うことや、ウクライナへの追加軍事支援などが国防費に盛り込まれた。
今後、再び米国では、軍事安全保障の主張が高まるのだろうか。世論調査を見るとそれほど問題は単純ではない。2022年5月にデータ・フォー・プログレスが消費者擁護団体パブリック・シチズンと共同で行った世論調査によると、回答者の55%がバイデン政権による国防予算増額を、「多少」または「非常に」懸念していると回答し、民主党支持者の8割、共和党支持者や無党派層を含めても68%が、国防費が多すぎるあるいは国防費のこれ以上の増額はすべきではないと回答している。ウクライナ戦争を経ても、多くの米国市民が、有限の予算を、軍事的な安全保障、戦争が続くウクライナへの支援、国民生活の安定や社会保障の充実にどう振り向けるべきかについて頭を悩ませ、さまざまな議論が行われているのである。
米国に安全保障の多くを依存する日本では、こうした米国社会の動きを「内向き」とネガティブに捉える傾向が強い。東アジアで「有事」が起こったとき、米国が助けに来てくれないのではないか、という不安を抱くからだ。しかし、「有事」への備えのために「平時」の市民の生活や命のすべてを犠牲にするわけにはいかない。米国の市民が頭を悩ませている問いは、日本の私たちも、同様に頭を悩ませるべきものだろう。
日米のシンクタンクで昨今活発に行われている台湾有事シミュレーションは、市民の命や生活を軽視、あるいはまったく無視した「安全保障論」をいよいよ加速させている。日本でも大々的に報道された戦略国際問題研究所(CSIS)の台湾有事シミュレーションは、中国軍が2026年に台湾へ上陸作戦を実行すると想定し、(1)大半のシナリオで中国は台湾制圧に失敗する、(2)しかしいずれのシナリオでも、米軍や自衛隊には、多数の艦船や航空機を失うなど大きな損失が出る、として、台湾有事の際にその防衛の要になるのは日本であり、日本の米軍基地を使えなければ米国の戦闘機が効果的に戦闘に参加できないと警告している。ここから、日米の外交・防衛協力をいっそう深化させるべきだと提言が導かれることになる。しかし、そのシミュレーションでは、米軍基地周辺の住民の危険や犠牲については語られない。
新安保3文書では日米のさらなる軍事的一体化が打ち出されたが、それは日本の安全保障の唯一の道なのか。米国がこれ以上の防衛負担を求めてきた場合、政府はどう対応するのか。日本国民はこれ以上の負担に耐えられるのか。日米のさらなる軍事一体化という路線は、日米の政府間レベルのみならず、広く市民の支持を得たものなのか。日米のさらなる軍事的一体化によって、単に抽象的な国家ではなく、具体的な一人ひとりの市民の安全は守られるのか。市民一人ひとりが、こうした問いを考え抜き、主体的に防衛政策を決定する時代にさしかかっている。