新安保3文書――「NATO並み」の防衛費を目指して
岸田政権は2022年12月16日、「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」(新安保3文書)を閣議決定した。国家安全保障戦略には、2027年度には、防衛費とそれを補完する経費を合わせて国内総生産(GDP)比2%へと増額する方針が明記された。今後5年間で、防衛費の総額は43兆円となり、17兆円ほどの増加となる。
「GDP比2%」という目標値は、NATO(北大西洋条約機構)諸国の防衛費との関連から出てきた数値だ。ロシアがクリミア半島を併合した2014年、NATOは防衛投資誓約(Defense Investment Pledge)を策定し、2024年までに防衛費を「GDP比2%」にする目標値を設定した。もっとも2022年時点でGDP比2%を達成していたのは、30か国中9か国のみであった。
こうした状況を変えたのが、ロシアによるウクライナ侵攻だった。次々と防衛費増額を表明するNATO加盟国の中でも日本に大きな衝撃を与えたのは、ドイツの動きだ。ショルツ首相は侵攻が起こったわずか3日後の2月27日に、議会で「時代が変わった」と宣言し、近年GDP比1.1%から1.4%で推移していた防衛費を2%超に引き上げるという歴史的な方針転換を打ち出した。
ウクライナ戦争で「時代が変わった」という認識のもと、ドイツやヨーロッパ諸国が防衛政策を大きく転換させているように、日本を取り巻く東アジアの安全保障環境が、過去10年で大きく変化したことは確かだ。
日本が防衛費についてGNP(国民総生産)比1%を超えないという路線を採用したのは、米ソのデタント(緊張緩和)が進んでいた1976年、三木武夫内閣のときだった。いったん中曽根内閣(1987~89年度予算)のときに1%を超えたものの、冷戦終結以降、再び1%枠に回帰した。
これらの時代と今の時代との根本的な違いは、米国がもはや絶対的な大国ではなくなったこと、そして中国の台頭である。2000年代から2010年代にかけて、米国はアフガニスタン、イラクと次々と軍事介入を行い、疲弊した。他方、中国は急激な経済成長を遂げ、その経済力を背景に軍事的にも急速に台頭した。ヨーロッパ諸国が防衛費をGDP比2%まで増額させる中、日本も「NATO並み」の防衛費を実現しなければならないという流れが生まれるのも理解できないことではない。
防衛費GDP比2%は日本国民を安全にするのか?
岸田首相は防衛費の増額について、「対米公約ではない」「防衛費はわが国として主体的に決める」などと繰り返し強調してきた。確かに東アジアの安全保障の悪化は多くの国民が感じており、世論調査でも、防衛力の強化については過半数の国民が理解を示している。防衛費の実額では2000年時点で日本が中国の約2倍だったが、この20年で完全に逆転し、スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によれば、2021年の時点で、中国の防衛費は日本の5倍以上になっている。
しかし、この逆転においては両国の経済成長の差が決定的な役割を果たしたことも考えねばならない。仮に防衛費を2%にしたとしても、係数をかけるGDP、すなわち経済成長が伴わなければ防衛力は十分に向上しないからだ。
日本経済研究センターの推計によれば、個人の豊かさを示す1人当たりGDPで日本は2022年に台湾、23年に韓国を下回る。2007年にはシンガポール、14年には香港に既に抜かれている。1つの要因に円安・ドル高があるが、より構造的な要因としてデジタル化の遅れ、労働生産性の伸び悩み等があり、逆転は一時的なものにはならないとみられている。韓台はデジタルトランスフォーメーションで先行し、その労働生産性は20年代に1人当たりGDPを約5ポイント押し上げる。対照的に日本は2ポイントにとどまる。
また、日本と防衛費増額を決定したヨーロッパ諸国との決定的な違いは、財政の健全性だ。2022年の日本の債務残高の対GDP比は252.3%で、主要先進国でも突出して悪い。このたびの防衛費の増額により、23年度末の国債発行残高は前年より膨らんで1068兆円となる見込みで、将来世代の負担は増大の一途を辿ることになる。戦前に戦時国債の発行が際限のない軍拡を招いたことへの反省から、戦後の歴代政権が認めてこなかった建設国債も、艦船など一部の防衛装備品の経費に用いられる方針がなし崩し的に決まった。
さらに、防衛費については「NATO並み」が精力的に目指される一方で、日本の子ども・子育て支援に対する公的支出のGDP比は先進国平均を大きく下回ってきた。経済協力開発機構(OECD)によれば、2019年の値で、日本はGDP比で1.95%と、OECD平均の2.29%を下回っていた。なお、政策対応で出生率を引き上げたフランスは、3.44%と高水準である。2022年の日本の出生数は、80万人を割る見込みで、予想されていたのより11年早い。岸田政権の肝入りでつくられた全世代型社会保障構築会議は、2022年末の報告書で、少子化を「国の存続そのものに関わる問題」と位置付け、岸田首相も1月23日の施政方針演説で「社会機能を維持できるかどうかの瀬戸際」との危機感を表明したが、こちらの「危機」については、その打開に向けて「NATO並み」の公的支出や政策が目指されることはない。
防衛費増額の議論の中で、日本という国のいびつさがこのように露呈してきている。国民の安全や生活への脅威は、軍事的な手段だけで対抗できるものばかりではない。使える財は有限である中、防衛費を劇的に増やすということは、本来は経済成長や社会保障に使えるはずだった資源をその分犠牲にするということでもある。防衛費増額が、日本という国を本当に強く、安全なものとするのか、まだまだ議論が必要だ。
米国の安全保障シンクタンクや元高官からは既に、「GDP比2%の増額では十分ではない」という声、さらには「日本は防衛費を3倍増にすべきだ」といった声が上がっている。こうした米国の要求にどこまで応えるのか。この要求は、本当に合理的なものなのか。国家と国民を限られた予算でどう守るのか。岸田政権による防衛費増額はそうした熟慮と国民的な議論を重ねた上での「主体的な決定」とはいえないだろう。