海を越えて残る悲劇の記憶
与那国島にも、二・二八事件の悲劇はリアルに残っています。正確な人数はわかりませんが、島民が台湾北部、基隆で事件に巻き込まれ命を落としました。父の兄、伯父が犠牲になったという仲嵩丈江(なかたけ・ともえ)さん(61歳)は、両親からその惨劇を繰り返し聞かされました。基隆市の和平島には琉球の漁師たちが集うコミュニティーがあったそうです。国民党政府の兵士は容赦なく民間人を銃殺、基隆の港は死体が浮いて船の航行を妨げるほどになり、犠牲者の家族までも監視対象にされました。1987年に戒厳令が解除されるまで恐怖政治と弾圧で台湾の歴史から消され、沖縄でも沈黙し放置されていた事件。民主化の流れを受けて公開された台湾映画『悲情城市』(1989年)によって全容解明が促され、2007年には与那国などに残る犠牲者遺族たちが台湾政府に被害の認定と賠償を求め始めました。沖縄の地元紙によると、2016年には、台湾の裁判所が遺族側の訴えを一部認め政府に対し賠償を命じました。
仲嵩さんの証言で興味深かったのは、台湾の歌を歌いながら洗濯物を干すなど家事をする「おばさん」が家族にいて、その「おばさん」が二・二八事件で両親を殺された遺児だったというのです。幼くして虐殺を目撃し、漁船で与那国に逃れて生涯を閉じたその女性は、「まさ子さん」と呼ばれていました。畑に出ることを怖がり、家の中でひっそり暮らし、卵焼きをつくるのが得意でした。
「すごく美味しかったのよ。よく食べさせてもらったわ。正確な年齢はわからないけど、65歳ぐらいで亡くなったの」
死別するまでの思い出を語ってくれた仲嵩さん。政変に翻弄された哀しみから心を閉ざし、それでもアツアツの卵焼きをふるまっていた「まさ子さん」はいま、島の「家族」と同じ墓地に眠っています。

美しい与那国の海(撮影:斉加尚代)
「有事」に避難はできるのか? 島民の不安と戸惑い
与那国島では2025年8月、町長が代わりました。9年目に入る自衛隊基地の拡大と機能強化に迎合していた町長、糸数健一氏(72歳)が、これ以上の軍事負担や米軍による演習は「お断りしたい」と表明した元町議の上地(うえち)常夫氏(61歳)に敗れたのです。票差は51票。現職町長が1期で退くのは初めてのことでした。「沿岸監視隊」だった当初の誘致計画とは異なっている、台湾の目と鼻の先とも言える駐屯地にミサイル部隊を配備するようなことは絶対やめてほしい、そんな切迫感から島民が判断した結果だったのでしょう。「南西シフト」で防衛力強化の最前線になった八重山諸島で暮らす人びとにとって、「台湾有事」は暮らしを根こそぎ脅かし、差し迫って感じられる危機です。同年11月7日の高市氏の国会発言以降、日中関係の緊張が非常に高まっています。国民保護法に基づく避難計画に従えば、与那国島では集落ごとに公民館などに集まり、車で移動、2つの港と与那国空港から6日間かけて福岡空港等を経由し、佐賀市内にある大規模施設「SAGAアリーナ」などへ全島民が避難することになっています。上地町長が11月25日にこの施設を見学、非公開で佐賀県知事らと意見交換しました。
着々と住民の避難計画が練られていく中、島民の多くは「現実的でない」と不安を増幅させています。11月29日には、沖縄弁護士会が那覇市で「『有事』での住民避難を人権から考える」というシンポジウムを開催。基調講演に登壇した永井幸寿(こうじゅ)弁護士(兵庫県弁護士会)は、阪神・淡路大震災や東日本大震災など被災地の避難制度を分析してきた経験から「戦争と災害」の避難の違いについて解説しました。
自治体からボトムアップで指示が出る災害に対し、戦争はトップダウンで国から避難指示が下ろされる。その前提となる「武力攻撃予測事態」「武力攻撃事態」の認定は政府の解釈によるもので、現地の切迫度や判断と一致するとは限りません。また、災害被災者とは異なり、「戦争時は故郷を捨てることを選択させたうえ1円の補償もされないだろう、それは過去の戦争被害者の裁判を踏まえれば間違いない」という見通しを永井氏は語りました。会場が暗く重苦しくなったのは言うまでもありません。
壇上のパネリストの一人は、八重山教科書採択問題(→「教科書採択問題」)で奮闘された元中学校教員の宮良純一郎さん、与那国島の出身です。いまは石垣島との二拠点で暮らす宮良さんが「そもそも疑問ですが」と切り出しました。島の港湾や空港は、すでに日米共同演習でも自衛隊や米軍が軍事利用する想定です。自衛隊や米軍とバッティングしたとき、民間の航空機や船舶は運航できるのか。軍事拠点は当然、ミサイルの攻撃目標になります。飛行場はもっとも狙われやすい場所です。島から避難する住民が危険に晒されるのは必至と訴えたのでした。避難先での生活、学習、医療はどうなるのか、支援や補償の枠組みがなければ、島民は避難する気にもなれない。暮らしを支える牛や馬はどうなるのか。不安は底なし沼のようです。では、しっかり補償制度を検討すべきかと言えば、そうもいかないのだと永井氏は強調します。「戦争の準備をすると戦争を起こす危険が高まります」。つまり政府が隣国に安心感を与え、友好な外交を築くことでしか国民の人権は保護されないのです。戦争を遠ざける手腕を発揮するのがこの国のリーダーの責任です。威勢よく敵、味方を決めつけたり、白黒つける発言をしたりするのではなく、「曖昧さに耐える知性」が求められているのです。