南米諸国の多くを占める左派政権
中南米の「左傾化」という見出しを、日本のメディアでも頻々と目にするようになった。ベネズエラのチャベス大統領は、昨2006年9月の国連総会で、ブッシュ米大統領を「悪魔」と呼んで世界の耳目を集め、12月の大統領選挙では、「21世紀の社会主義」をスローガンに、票の圧倒的多数62%を獲得して三選を果たした。そのうえ、ボリビアのモラレス大統領とエクアドルのコレア大統領は、チャベスの盟友だという。11月にはニカラグアで、1979年革命の立役者サンディニスタが政権に返り咲いた。さらに、この地図からわかるように、今や中南米諸国の半分以上が、何らかの意味で「左派」と呼べる政権のもとにあるのだ。いったい何が起きているのか。事情はややこみいっている。たぶん、中南米の現代史にある程度通じている人ほど、かえってこの「左傾化」がわかりにくいだろうと思う。
「左」というのだからそれは、いわゆる「新自由主義」を拒否し、社会と経済の中で、国家が果たす役割を強化する立場であろう。ところが、中南米におけるいわば「昨日」の時代、すなわち1930~80年の半世紀は、まさに、そういう国家主導の発展戦略の時代だった。地下資源や一次産品の輸出が世界恐慌で大打撃をこうむったので、やはり工業化しなくてはだめだ、経済を民間にまかせてはおけない、国家の出番だ、という機運がこの時代を支配した。
当初そういう経済政策のかじ取り役は、ブラジルのバルガスやアルゼンチンのペロンなどの、カリスマ的大統領であったが、やがてこの戦略が行き詰まって政情不安が起こると、60年代からは、軒並み軍事政権がこれら諸国を牛耳った。
しかし、82年の債務危機の到来により、国家主導戦略と軍事政権とは、同時に両方とも破産した。このために中南米の「今日」、すなわち80~90年代の課題は、その両方を清算すること、つまり「市場経済」と「民主化」であった。
それでは現在の中南米の「左傾化」とは、この流れを逆転させ、時代を「昨日」に戻そうとする動きなのだろうか。いや、必ずしもそうではない。国によって違う。
「二つの左翼」を分けたもの
中南米「左傾化」の謎を解くキーワードとしてよく耳にするのが、「二つの左翼」という言葉である。ブラジルのルラ政権やチリのバチェレ政権は、「新しい左翼」として、ベネズエラのチャベスやボリビアのモラレス、エクアドルのコレアとは区別される。つまり、ブラジル労働者党やチリ社会党は、もともと「左派」政党でありながら、「今日」の新状況を踏まえたうえで脱皮し、健全財政・外資導入を基本線としながら、しかし市場万能の原理主義は非として、産業政策や社会政策を推進している。これに対して、ベネズエラ、ボリビア、エクアドルの現政権は、「今日」に生きているかどうかがいささかあいまいで、「昨日」のにおいをあまりにも濃厚に漂わせている。なぜ、こういう違いが出てくるのか。現在の「左傾化」の根本原因は、「今日」の中南米政治に、新しいお客様が来店したことである。「昨日」の時代に来店した新しいお客様は中間層と組織労働者だった。「今日」のそれはそのもうひとつ下の貧困層である。中間層や組織労働者に比して、彼らは「昨日」の経済成長の分け前にあずかることが不当に少なかったが、それでも少しずつ力をつけていた。
それが「今日」の民主化で、選挙民として数の力を発揮できるようになり、にわかに政治的に覚醒した。
そういう彼らが、いま現在メディアで目にするのは、「新自由主義」と「グローバル化」の様々な弊害であり、アメリカのブッシュ現政権の国際的不人気である。その半面、中南米の「昨日」が破産した経緯は、その当時まだ政治意識が眠っていたかれらにはあまりよくわかっていない。当然かれらは当分のあいだ「左翼」に投票する傾向を持つだろう。
この新しいお客様を迎えるための準備が、それぞれの国の政治システムにあったかなかったかが、「二つの左翼」の分かれ目であった。政党政治の地力の違いが顕在化したのである。
「今日」の時代は中南米諸国の政党政治にとって、試練の時代であった。緊縮政策の不人気で既成政党は次々に政権を失った。70年にわたって政権を維持してきたメキシコのPRI(制度的革命党)さえも下野した。しかし、ブラジルやチリでは、右派・中道・左派とも政党は健在である。政党政治が生きのび、与党と野党の間の緊張関係が生み出す柔構造が、貧困層という新しいお客様の注文をしっかりと受けとめた。これが「新しい左翼」と呼ばれる現象であるといえよう。
パフォーマンスに過ぎない「反米」
これに対して、ボリビアとエクアドルは深刻な正統性危機のうちにあり、もともと弱体な政党政治は崩壊し去っている。ベネズエラもそれに近い。1958年にできた二大政党制が完全に威信を失墜し、その真空を埋める形で浮かび上がったのが、カリスマ的大統領チャベスである。その政治手法は、「グローバル化」を糾弾する先進国メディアの言説に便乗し、イラク戦争後の原油高の上がりをばらまくだけの、昔ながらのポピュリズムである。しかしそれでも、チャベス政権の人気と安定度からして、かれを核として新しい政党が形成され、そのことでベネズエラ政党政治がよみがえる可能性もまだ残されていると私は思う。
そして、そのことはアメリカにとっても実はありがたいことなのである。この点はとくに強調したいが、冷戦後のアメリカにとって、ベネズエラ政治が、反米のチャベスのもとで安定する方が、別の親米政権のもとで混迷するよりも、ずっと好都合なのである。アメリカと中南米諸国の力の差は圧倒的なので、中南米諸国がアメリカにとって脅威になりうるのは唯一、62年のキューバ・ミサイル危機のように域外の強力な敵国と手を結ぶ場合のみである。そして、冷戦後のアメリカにそのような敵国は存在しない。
昨2006年、チャベスは、ベラルーシ、ロシア、イラン、ベトナム、中国など域外諸国を歴訪し、ロシアとの間では、スホーイ30戦闘機の購入、カラシニコフ自動小銃のライセンス生産などを含む軍事協定を締結した。しかしこれらはすべて、アメリカにとって自分が1962年のカストロにも似た脅威であるかのように演出する、国内の新しいお客様向けのパフォーマンスにすぎない。
「反米」の意味は、冷戦下の「昨日」と冷戦後の「今日」では全然違うのであり、チャベスもおそらくそれを承知のうえで、「反米」を演じているのであるが、ともすれば危機感をあおる方向に偏りがちな内外メディアは、こういう当たり前のことを書き落とす場合があるので注意が必要である。