波紋呼ぶ「親日派」子孫の土地没収
韓国で進められている「親日派」究明運動が、国内外で波紋を呼んでいる。2006年12月、大統領直属機関である「親日反民族行為真相究明委員会」は、406人を「親日派」として公表。さらに07年5月、同じく大統領の直属機関である「親日反民族行為者財産調査委員会」は、1910年に韓国併合条約を結んだ当時の首相・李完用(イ・ワンヨン)ら、「親日派」9人の子孫が相続している土地約25万m2を没収した。これに続いて8月にも、「親日派」10人の子孫の土地約102万m2の没収が決定された。こうした「親日派」究明運動について、韓国では国民の7~8割が支持しているといわれているが、日本での評判は芳しくない。2007年5月にワシントンを訪れた町村信孝前外相(当時)は、「韓国政府が親日派の財産を没収・国有化するのは日本たたき」であり、「盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は日本をたたくことで、支持率を上げている」(「毎日新聞」07年5月25日)と述べた。この発言に見られるように、日本の政界やマスコミでは、韓国における「親日派」究明の動きを、反日運動の典型と捉えたり、大統領の一時的な支持率回復のためのパフォ-マンスと理解する傾向が強い。
しかし、このような理解には、「親日派(チニルパ)」という用語や「親日究明」政策に対するいくつかの誤解があると思われる。
反日運動とは異なるその意味
第一に、日本語で「親日派」は、「日本に友好的」という意味で肯定的に使われるが、韓国語の「親日派」はまったく異なった意味をもっている。「親日派(チニルパ)」は、「日本の植民地支配に協力した人物やグル-プ」を意味する言葉であり、いわば「植民地時代の対日協力者(韓国人の官僚や警察官、日本への協力を呼びかけた知識人など)」を否定的に捉えた言葉である。それゆえ、「親日派(チニルパ)」は、「現在の日本と友好的な関係をつくる」こと自体を否定した言葉ではない。第二に、「親日」究明は、植民地時代に国内の対日協力者が果たした役割・責任を明らかにすることで、被植民地化に対する韓国側の自己責任を追及しようとすることころに本意があり、被植民地化の責任を他者・日本に求める反日運動とは、質的に異なるものである。「親日」究明は、植民地化の外的要因ではなく、内的要因にメスを入れようとする作業に他ならない。
独裁政権の中枢で生き延びた「親日派」
第三に、「親日」究明は、盧政権が支持率を回復させるために実施した「一時的なパフォ-マンス」ではなく、歴史的な背景をもって生まれてきたものである()。韓国では、1948年5月に実施された最初の国会議員選挙で、「親日派」がかなり当選し、植民地時代に官吏を務めた「親日派」人脈が、政府の要職に数多く登用されることになった。対日協力者の復権に反発する国民の声を無視できなかった李承晩(イ・スンマン)政権は、「反民族行為特別調査委員会」を発足させ、「親日派」の粛清に乗り出したが、その試みは挫折する。国内の共産主義勢力の駆逐に頭を悩ましていた李政権が、「親日派」の清算よりも左派勢力との闘争を優先し、「親日派」を除去することで政権基盤が弱体化することを恐れたためである。その後も「親日派」は、民主化運動を禁じた独裁政権下で過去の追及を免れながら、解放(独立回復)後の韓国社会で富と権力を手に入れていったのである。
民主化運動としての「親日」究明
しかし、90年代に入って、韓国に民主化時代が訪れると、再び「親日派」追及の声が高まる。91年、日韓の歴史清算と親日人名事典の編集を目的とする民間団体「民族問題研究所」が設立されたのを皮切りに、親日派問題に関する数多くの研究書が出版されるようになった。その多くは、権力機構の中枢部で生き延びた「親日派」勢力が、「反共主義」を掲げて軍部と結び付き、植民地時代の独立運動の流れをくむ民主化運動を弾圧してきたことを問題視してきた。また90年代に「親日派」の子孫たちが、解放後に没収された土地や財産の返還訴訟を起こし、その一部が勝訴したことに対する国民の反発も、こうした「親日派」究明運動を後押しすることになった。とはいえ、民主化を掲げた金泳三(キム・ヨンサム)政権も、その後の金大中(キム・デジュン)政権も、「親日派」問題にメスを入れることはできなかった。彼らが、「親日派」と癒着(ゆちゃく)した保守勢力と、微妙な連携関係を保ちながら政権を維持してきたからである。「親日派」究明を具体化させるには、「親日派」勢力としがらみをもたない盧武鉉政権の誕生を待たねばならなかったのである。
盧政権は、2004年3月に「親日反民族行為真相究明特別法」(04年12月から「親日」の文字は削除)を、05年12月に「親日反民族行為者財産の国家帰属特別法」をそれぞれ成立させ、本格的な「過去の清算」事業に乗り出している。「親日派」の子孫が所有する土地や財産の没収については、一部で「やり過ぎ」という批判も聞かれるし、半世紀前の出来事について、新しい法律によってさかのぼって処罰するやり方を、問題視する声も少なくない(注)。しかし、こうした韓国の解放後の歴史を振り返ってみると、韓国人にとって、「親日」問題の解決が「過去の克服」にとって避けられない課題であることがわかる。日韓に本当の友好関係が訪れるのは、韓国人がこうした「親日」問題にけりをつけるときではないだろうか。
「親日派」子孫の土地没収
ちなみに07年5月に「親日反民族行為者財産の国家帰属特別法」によって国有化された土地は、李完用ら「親日派」9人が植民地時代に取得した土地総面積のわずか0.64%にすぎないといわれている。