資源に恵まれたユーラシア中央部
ソ連解体後、新しい独立国がひしめく中央アジアは、将来にわたって石油、天然ガス、ウランの有望な産出地と目されている。一例を挙げると、カザフスタンでは2005年までの過去10年間で3倍超の石油、4倍超のウラン増産が果たされた。また、同国の石油可採年数は06年末時点で76.5年、ウラン確認資源は世界第2位の約53万tと見られている。これらの資源の輸出経路や開発をめぐって、関係国間で熾烈(しれつ)な駆け引きが続いている。石油・ガス輸送の「東西ライン」の出現
カスピ海産の石油・天然ガスの輸出経路は、1991年のソ連解体後に一変した。カスピ海周辺の石油・天然ガスは、かつてはロシア経由で東欧諸国などへ輸出された。しかし、それらはいまやロシアに依存しない東西に伸びるラインによって欧米の市場に送られている。その代表例は、西への経路、アゼルバイジャンからグルジアを経てトルコへ達するBTCパイプラインである(2005年5月完成)。年間5000万tの輸送能力を持つこの石油パイプライン建設は、BPを中心とする欧米企業主導の事業であった。沿線国のほか、カザフスタン産の石油もこのパイプラインを通じて輸出されることになる。
中国への経路も着実に建設が進んでいる。05年12月、カザフスタン中央部のアタスから中国の新疆ウイグル自治区までの石油パイプラインが、わずか1年余りの工期で完成した。さらに07年8月には、中国とカザフスタンの首脳間で、カザフ西部ケンキャク油田までのパイプライン着工について合意をしている。これが完成すれば、カスピ海から中国までつながることになる。08年予定のカシャガン油田の生産開始をひかえ、増産体制が整いつつあるカザフスタンにとって、「中国ルート」は石油の一大需要国へつながる重要な路線となるに違いない。
これら中央アジアの「持てる国」は石油・ガス価格の上昇に伴い、軒並み高成長を維持している。石油産出国カザフスタンやアゼルバイジャンは、今世紀に入ってから10%前後、時には20%を越えるGDP成長率を誇っている。
これら2国に比べ、天然ガス産出国であるトルクメニスタンは、1990年代から続けてきた独自の孤立政策の結果、ソ連時代以来のロシアへの輸送経路に、より依存しなければならない状態が続いていた。他方で、中国が新規パイプラインの建設への投資を表明するなど、近年、ロシア以外の国からの働きかけは、強まっている。2007年、ベルディムハメドフ政権の発足後は、これまで敬遠ぎみであったアメリカも、トルクメニスタンに積極的に関与する姿勢を示している。
影響力を維持するロシア
中国や欧米の攻勢に対し、ロシアのプーチン政権は手をこまねいているだけではない。東西のラインによって多様化が進んだとはいえ、中央アジアにとって「ロシア・ルート」は依然として大きな意味を持つ。例えば、05年現在、カザフスタン産の石油の46%はロシア経由で輸出され、さらなる輸送量増強も計画されている。また、中央アジアの天然ガス輸出の経路や価格設定については、依然としてロシアが影響力を発揮しているのが実情である。07年5月、プーチン、ナザルバエフ(カザフスタン)、ベルディムハメドフの3首脳は、天然ガス輸送に関する新規ライン建設を含む沿カスピ海ラインの強化について協議を行った。プーチンは5年後には数倍のガス輸送量を確保できると明言している。
注目される埋蔵ウランと原子力開発
国際政治において、より戦略的な意義が高い資源であるウランの管理・輸出についても、中央アジアにおけるロシアの優位が復活しつつある。ロシアにとっても、国産石油・天然ガスを外貨獲得のためできる限り輸出に回し、かつ急速に伸びる電力需要に対処するためにも、原子力開発は死活的な課題といえる。原子力庁長官キリエンコ(元首相)自らが中央アジア各国に出向き、積極的な開発・技術協力を進めようとしている。06年ごろから、ロシア以外の主要国も、中央アジアのウラン開発に関心を寄せた行動を取るようになった。例えば、中国はカザフスタンと鉱床開発に関する共同プロジェクトについて、韓国はウズベキスタンから2010年より年間300tのウランを輸入することで、ともに合意を取り付けた。アメリカもカザフスタン国内で再処理した高濃縮ウランを発電用に受け入れる方針である。日本も閣僚が相次いでカザフスタンを訪れ(06年小泉首相、07年甘利経産相、いずれも当時)、鉱山の共同開発・ウラン製品の提供などについて協力を進めている。日本が中央アジア諸国やロシアに対して、原子力技術で協力できる余地は大きいといえるだろう。