2025年7月20日、6月の東京都議会議員選挙に続いて、第27回参議院議員通常選挙が行われました。今年は12年に一度、都議会議員選挙と参議院議員選挙が重なる年であり、「選挙イヤー」とも呼べるでしょう。
選挙は民主主義社会の根幹を支える制度です。若い皆さんにとっても、現在そして将来にわたって大きな影響を及ぼすことになる選挙で、自らの意志を示すことの重要性は明らかです。15年6月には選挙権が得られる年齢を「20歳以上」から引き下げて、「18歳以上」とする改正公職選挙法が成立し、国政選挙では翌16年の参議院選挙から適用されました。しかし、報道などでも言われているようにここ数年、選挙での若年層の投票率は高くありませんでした。
そこで過去に行われた国政選挙の、10代20代の投票率を見てみましょう(総務省のデータによる)。
→10代の参議院選挙投票率
16年46.78%、19年32.28%、22年35.42%
→10代の衆議院選挙投票率
17年40.49%、21年43.23%、24年39.43%
→20代の参議院選挙投票率
16年35.60%、19年30.96%、22年33.99%
→20代の衆議院選挙投票率
17年33.85%、21年36.50%、24年34.62%
ちなみに、近年の国政選挙の全体の投票率は50~60%程度です。今回の参院選では、SNSの影響等で若年層の関心が今までになく上昇した感もありますが、詳細は今後の報道発表に任せたいと思います。
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このような若者の投票率の低さを考える際に、ヒントとなる本を見つけました。それは、中村眞大編著『わたしたちの世界を変える方法 アクティビズム入門』(河出書房新社、2024年)です。同著では、社会運動に取り組む22人の若者がそれぞれの思いや訴えを著述しており、その生の声を知ることができる貴重な記録となっています。彼らが取り組んでいる問題も、「環境問題」「平和と民主主義」「ジェンダー問題」「グローバル化と人権」「校則・教育改革」「若者の貧困」と多岐にわたっています。
22人の若者の文章を読んで興味深かったのは、彼らの問題意識の鋭さと優れた行動力です。同時に、彼らが社会運動に取り組む際に立ちはだかる社会的圧力や、周囲との葛藤の激しさにも強い印象を受けました。
CHAPTER 2「安心して暮らせる国にするには――平和と民主主義」に収められた、あーにゃさんの「今のままでは民主主義が不安定なまま……」という章では、日本社会における若者の政治への関心の低下について学校教育のあり方を取り上げ、次のように書いています。
〈政治の仕組みは、学校でも教えられている。小学校では「社会」の授業で大まかに憲法、税制や国会運営の仕組みなどを、高校生になると「公民」で関連法や歴史などを含めた詳細を教わる。しかし語彙や数字など知識入れ込みを主とした暗記が中心で、具体的な働きや実生活とつなげるのは難しい印象がある。私が高校生だったのもちょうど選挙権年齢が18歳に引き下げられた年だったが、新たに冊子が配られ投票への呼びかけがされたのみで特に大きな変化はなかった〉
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社会科教育は「民主主義の担い手」を育てることが重要な目的の一つですから、あーにゃさんが言うように教育内容が生徒の日常と乖離してしまっているのだとしたら大きな問題です。
また、あーにゃさんの言葉の中で、18歳選挙権について言及されている点も注目されます。選挙権年齢が20歳から18歳に引き下げられ、選挙に実際に参加する学生がいるのですから、選挙への参加意識を高めたり投票する際に必要な知識を身につけたりすることは、学校教育の重要な課題であるはずです。しかし、〈何も変化がない教育〉という見出しが付けられていることからも分かるように、あーにゃさんの経験では、18歳選挙権の導入によって社会科教育に大きな変化はなかったようです。
あーにゃさんは高校進学後、フィンランドに1年間留学します。そこで日本社会とのあまりの違いに衝撃を受けることになりました。留学中に行われた地方統一選挙での候補者数の多さ、市民の政治参加率の高さ、幼い頃から政治と深く関わることが可能な学校での政治教育などに直面して、自分から政治と関わろうという気持ちになったそうです。その後、政治に関心をもつ仲間を探し、地方議会選挙のポスター貼りや国会議員訪問、国会ツアーを企画するなど、若者と政治の距離を近づけるための活動に取り組みました。
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活動に取り組む中で、改めて日本社会の壁を強く意識することになったあーにゃさんは、次のように書いています。
〈こうした活動を通して感じた日本の政治の難しさは、やはり日本における政治の特殊さと位置づけの難しさだ〉
〈前述しているが、「政治」と関わることが大事(おおごと)すぎてしまうのがこの日本だ。学校や会社で友だちや同僚に話すことも憚られるし、そもそも議論するには一定の知識がないと話してはいけないというような雰囲気が社会に広がっている。だからきっと何かを感じていても何から始めていいのかわからない人がいっぱいいるはずだ〉
〈教育の場面でも「中立」でなければいけないことが足枷になり、先生たちにはせめて知識を並べるしか手立てがない。模擬選挙を行ったり、実際に政治的提言をしたりするフィンランドのような主権者教育を行うなど到底教育委員会が納得しないだろう〉
あーにゃさんはここで自らの経験を通して、日本社会において政治に関わることの難しさを強調しています。政治のことを話すのが困難な雰囲気に加え、教育の場面でも「中立」を遵守するあまりの自主規制の強さに言及している点は、特に注目する必要があると思います。
確かに教育の場において「政治的中立」は重要です。特定の政党・党派の考え方が教育現場に持ち込まれることになれば、「学問の自由」や「教育の自由」が奪われることになるからです。しかし、あーにゃさんが問題視しているのはそこではなく、「中立」を盾に授業で政治的事柄を深掘りさせないようにしている教育のあり方です。それは「政治的中立」ではなく、「政治教育の否定」や「政治教育の空洞化」です。政治的な事柄を避ける風潮は、イデオロギーや価値観の対立を捉える認識を抑圧し、学生の自由な思考をも抑圧する悪影響を与えています。
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日本の学校教育では「特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育」は禁止されていますが、「良識ある公民として必要な」政治教育は認められています。それは教育基本法第十四条に明記されている通りです。
(政治教育)
第十四条
良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。
2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。