盧武鉉政権下で経済は低迷したか
2007年12月に韓国で実施された大統領選挙で、野党ハンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)前ソウル市長が盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の流れをくむ大統合民主新党の鄭東泳(チョン・ドンヨン)元統一相らを大差で破って当選した。実に10年ぶりの与野党の政権交代である。当選した李明博は「国民の意思に沿って、危機に直面する経済を必ず再生する」と語り、「747政策(経済成長率7%、一人当たり国民所得4万ドル、経済規模世界7位入り)の実行を宣言した。日本では、こうした政権交代の背景として、李明博が語るように「盧武鉉政権下での経済低迷」を指摘する報道が少なくない。盧武鉉政権下の5年間で、韓国経済はどれほど悪化したのだろうか。実は、民主化運動の流れをくむ金大中・盧武鉉政権下での、過去10年間の韓国経済のパフォ-マンスは、それほど悪いものではない。経済成長率の推移を見ると1998年のマイナス6.9%から2007年は5.0%に、一人当たり国民所得は1997年の約1万1000ドルから2007年約2万ドルに、輸出額も1998年1300億ドルから2007年3200億ドルに、外貨準備高に至っては1997年の204億ドルから2007年には2600億ドルへと、それぞれ上昇している(韓国政府発表)。()こうした数字を見る限り、韓国経済の主要経済指標は、通貨危機に陥った10年前と比べると大幅に改善されたと言ってもよいだろう。この結果、海外の格付け機関も韓国に対する評価を改め、1997年にBランク(「投資不適格」)だった韓国国債の格付けを2002年以降はAランク(「投資適格」)に引き上げている。
貧富の差を拡大した「構造改革」
1997年、空前の通貨危機に陥った韓国は、IMF(国際通貨基金)から570億ドルの支援を受け、ドラスティックな構造改革を進めてきた。金大中政権から盧武鉉政権の10年間、各財閥は政府の指導に従って、系列企業の整理(採算性の悪い系列企業を外資に売却)と従業員の整理解雇を進め、財務構造の改善に励んできた。こうした構造改革の結果、1997年に400%を超えていた企業の負債比率は2006年に105.3%まで改善された。韓国の格付けが上がったのは、こうした企業努力が外国人投資家に歓迎されたからである。しかし、構造改革が中小企業や労働者に想像以上の苦痛を強いたのも事実である。整理解雇制の導入で企業では正社員のリストラが進められた。とりわけ政府主導で進められた「不実銀行」整理は厳しく、経営陣のみならず、行員がすべて解雇された地方銀行も少なくない。こうしたリストラによって、収入や雇用が不安定な非正規職が急増した。金大中政権末期の2002年に384万人だった非正規職従事者は、構造改革を踏襲した盧武鉉政権下でも拡大し、07年には557万人を記録。かつて勤労者の4人に1人だった非正規職従事者は3人に1人になり、07年の大卒者25万人のうち、正社員として就職できたのは48%にすぎない。また構造改革による韓国経済の急速な回復で不動産価格が高騰し、盧武鉉大統領在任中に、ソウルの一部地域では住宅価格が5~6倍にはね上がった。こうした不動産バブルで、勝ち組と負け組の貧富の差が拡大している。
経済成長と雇用安定のジレンマ
今回の政権交代の背景には、経済低迷というより、こうした構造改革の副作用に有効な対策を打ち出せなかった盧政権に対する国民の不満があると考えたほうがよい。新大統領に当選した李明博は、高度成長と雇用安定(雇用創出)を同時に追及し、非正規職や格差の問題を解決するという方針を掲げている。法人税率を20%引き下げ、企業に活力を与えて雇用を増やし、安定した所得を確保するというのが、彼の戦略である。しかし、不安定な金融情勢と原油高という厳しい国際経済環境の下で、年率7%という高成長を維持するのは容易なことではない。また経済成長の追及と雇用安定とは矛盾をはらんだ政策である。李明博は今回の選挙戦で、「電力会社民営化計画の中断を検討する」と回答し、韓国労総(韓国労働組合総連盟、組合員88万人)の支持を得て当選した。労働組合は、民営化が従業員の整理解雇につながることを恐れ、支持を条件に民営化計画の中断を迫ったのである。とはいえ、新大統領が雇用の安定を優先して民営化を中断するようなことになれば、構造改革の進まない韓国から撤収する外国人投資家が増加し、韓国経済の成長に赤信号が灯るだろう。新大統領は、構造改革を進めるにせよ中断するにせよ、その公約ゆえに大きな試練に立たされることになる。いずれにせよ、就任1~2年の内に何らかの成果を出すことができなければ、新大統領を支持した1150万人の期待は、たちまち反発に変わるだろう。新大統領の前途は決して明るいものではない。