「モラルの革命」と呼ばれたキューバ革命
キューバは「亜熱帯の陽気で明るい社会主義国」といわれてきた。1959年の革命はさまざまなイデオロギーを持つ人々により担われたが、対米関係の決裂とともに、61年にキューバは社会主義国家となった。しかし、その後も、前衛芸術が花開き、言論の自由も保障され、革命指導者が労働者や農民と直接話し合い、その成果を政策にとりいれていくという「対話政治」が推進されるなど、当時のソ連や中国等とは異なる独自の社会主義となった。キューバ革命はまた、「モラルの革命」とも言われた。これは革命の目標が「人間の尊厳と平等」や「自由な市民による助け合いの社会」の実現におかれたこと、またカストロをはじめとする革命指導者が、革命の基本理念を忠実に守るとともに、犠牲や献身の精神、モラル意識などが極めて高いことを指したものである。
このようにキューバが「一味違った社会主義国」であるのは、カストロが、社会主義者であるというよりもマルティ主義者であることが大きい。ホセ・マルティは19世紀後半の急進的啓蒙思想家であり、小説家、詩人、文芸評論家、ジャーナリスト等々、広範な分野で活躍したが、生涯を独立運動に捧げ、キューバ独立の父と言われている。1895年に亡命先のアメリカを出帆し、キューバ島に上陸してスペインに対する独立戦争を開始したが、直後に戦死した。その後、キューバはアメリカの占領下におかれ、1902年の独立後もその事実上の植民地となった。
カストロはこのマルティの挫折した夢である真の独立を実現するために革命を起こし、革命成功後もマルティの理念に基づき政策を実施した。彼はマルティを崇拝しており、大義への献身、自己犠牲など、一挙手一投足がマルティをほうふつとさせるものとなっている。
先進国並みの社会指標を実現
カストロはマルティの理想の実現形態として「平等主義体制」をとった。閣僚も一般労働者もほとんど賃金格差がなく、基本的生活物資は配給制度によりすべての国民に低価格で提供され、社会サービスは無料というものである。これにともない経済体制も非常に中央集権的なものとなった。しかし、この体制は時とともに市場原理を導入する方向で改革され、91年のソ連解体により厳しい経済危機に見舞われてからは、いわゆる経済自由化措置が取られたが、基本的な枠組みは変わっていない。今日のキューバでは、教育や医療は完全に無償である。寄宿制度の整備により、どんなに交通の不便なところに住んでいても教育を受けることができるほか、望めば誰もが大学や大学院まで無料で進学できる。また、ファミリー・ドクター制度など医療体制も充実し、乳児死亡率などの社会指標は先進国並みである。
科学技術の発展も著しく、医薬品は重要な輸出品となった。貧しい発展途上国には多数の医師が協力隊として派遣され、国内の大学にも多くの外国人医学生を受け入れている。人種差別や性差別もほとんどなくなり、とくに女性の多くが知的職業についているのが特徴である。野球をはじめとするスポーツや芸術も盛んであり、国民の誰もが享受できるシステムになっている。
有機農業の発展も有名だが、これは90年代にソ連解体による経済危機のため物資が不足したのを逆手にとったものである。都市部の空き地に廃材を利用して囲いをつくり、堆肥(たいひ)を使い野菜を栽培する「オルガノポニコ」といわれるものもある。
現在、「世界で最も厳しい」といわれるアメリカの経済封鎖や、ソ連解体による経済危機の後遺症もあって、物資不足は深刻だが、政情は安定し、国民は政府の政策を基本的に支持している。これは、新自由主義経済体制下の他のラテンアメリカ諸国で貧困が拡大し、社会問題が深刻化しているのに対し、キューバではすべての国民に基本的生活が保障され、弱者に配慮した政策が維持されていることによる。90年代の経済危機に際しても、不足する物資を自由市場に出して裕福な者だけが買えるようにするのではなく、例えば欠乏していたミルクの配給は乳幼児と老人に限るなど、弱者にしわよせしないことを原則に経済回復を実現した。
市場原理とどう付き合うか
だが、今日、最大の問題は国民生活向上の遅れである。アメリカの経済封鎖のためだが、一方では中央集権的経済体制が生産効率の引上げを阻んでいることも否定できない。そのため、政府は市場原理拡大の方向で体制改革を検討しているが、完璧な市場経済化ではなく、国民への基本的生活の保障と福祉体制維持を原則に、いかなる形で市場原理を取り入れるかが課題となっている。すなわち、「平等主義」に代えて「公正な社会」を目指していると言える。カストロはこの新たな課題の実現を新政権に託し、2008年2月に引退した。アメリカのすぐ足元で革命を実現しただけではなく、その後もアメリカの軍事的経済的包囲のもとで革命の原則を維持し、国民をまとめてきたことは最大の功績である。カストロと親交の深いコロンビア出身のノーベル賞作家ガルシア・マルケスは、彼の指導者としての才能について、「知ることへのあくなき追求心」「不屈の忍耐力、鉄のような規律、想像力」「違った土俵にいる相手をも自分の側に引き込んでしまう能力や魅力」などを挙げている。
一方、カストロの人柄については、チェ・ゲバラの妻アレイダが50年ぶりに沈黙を破り、夫の思い出をつづった「追憶」(原題)のなかで、「慈愛に満ちた心優しい」フィデルについて語っている。ボリビア山中でゲリラ活動を行っていたゲバラ殺害の知らせを受けると、彼はアレイダの心中を気遣い、すぐさま彼女を家族とともに自宅に引き取った。その後、ゲバラのボリビアにおける日記が入手されると、アレイダに解読作業を依頼した。チェの文字を読める人間は他にもいたから、カストロは最初に自分に日記を読ませたかったのだろうと、彼女は回顧している。半世紀にわたり断固としてアメリカに抗し、革命の原則を守ってきた不屈の闘士の意外な素顔である。
ホセ・マルティ
Jose Marti。1853~95年。詩人で、キューバ独立運動の指導者。スペインによってキューバを追放され、アメリカなどで亡命生活を送る。1892年に、キューバ革命党を結成。独立戦争を開始し、キューバに上陸するが、戦死。
オルガノポニコ
1990年代以降に、食料不足を補うために行われるようになった都市有機農業形態のひとつ。2006年現在、全国3810カ所で行われている。
チェ・ゲバラ
Che Guevara。1928~67年。アルゼンチン出身。55年、メキシコで亡命中のカストロに会って意気投合し、キューバ革命に参加。革命政権では国立銀行総裁などを務める。65年、キューバを出てコンゴやボリビアで反政府勢力のゲリラ戦を指導したが、67年にボリビア政府軍に捕らえられ、銃殺された。
「追憶」
日本語訳が「わが夫、チェ・ゲバラ」(朝日新聞出版)として08年5月に刊行の予定。