被災地に駆けつけたボランティアやNGO
2008年5月12日、空前の大地震が中国を直撃した。被災面積は、ほぼ日本の国土に相当する44万km2に達する。被災者数も膨大で、累計4500万人を超えた。震源地の四川省に加え、隣接する甘粛省、陝西省、重慶市も被害にあった。間もなくオリンピックを迎える中国だが、08年に入って南部の雪害、チベット暴動、大地震と、まさに受難続きである。危機感を抱く指導部は、「多難興邦」(多難であれば、国民が奮起し、国は栄える)のスローガンを叫び、懸命に士気を高めようとしているところだ。今回の地震で注目されたのは、中国政府の対応である。チベット暴動の時とは打って変わり、海外メディアに自由に報道させ、緊急援助隊や医療チームも積極的に受け入れた。それがイメージアップにつながり、チベット問題をめぐり対立が強まっていた欧米諸国との関係も緩和された。日本でも、冷凍ギョーザ事件やチベット暴動などで対中感情が悪化していたが、日本の緊急援助隊や医療チームの活躍が報じられ、中国側が感謝していると伝えられると、それまでの中国批判も弱まっていった。
また、地震を通して、中国社会の変化も見えてきた。ネット上での呼びかけに応じ、大勢のボランティアやNGOが被災地に駆けつけ、支援活動に励んだ。中国のNGOは、政府に活動を規制されているが、震災パニックのすき間をかいくぐって活躍の場を得たのである。こうした動きを見て、「市民社会の台頭」と期待する声も少なくない。
だが、地震は、中国が抱える様々な社会矛盾も、あらためて浮き彫りにした。被害が最も大きかった地域は、四川省北部の貧しい農村である。昔から「蜀の桟道」と呼ばれ、絶壁に囲まれた山間部だ。冬は長く、ソバや馬鈴薯しかとれない。もともと四川の農民一人当たり年平均所得は約3500元で、全国平均(約4000元)より少ない。最も被害が大きかったブン川県や北川県は、わずか2800元である。上海都市部(約2万7000元)と比べると、約10倍の格差がある。
子どもたちの悲劇を拡大した「戸籍制度」
この地域の農民は、6割が出稼ぎに行き、収入の4割をまかなう。夫婦共に出稼ぎに行くことも多く、村には老人と子供が残る。今回の地震では、多数の学校が倒壊し、子供たちが生き埋めになった。出稼ぎ先に子供を連れて行けないのは、中国特有の戸籍制度があるからだ。同制度の下では、子供が出稼ぎ先で公立学校に入るには、余分な費用や証明書が必要になる。たとえば、「借読費」と呼ばれる外部からの学生に課される費用がある。北京ではこれを廃止したが、実際には寄付金などが要求される。必要な証明書は5種類あるが、特に面倒なのが在職証明書と住居証明書だ。出稼ぎ農民は、大半が非正規雇用で、住居も正規の住宅でない場合が多い。また、かりに証明書をそろえても、学校側に「空きがない」と言われれば、それまでである。
公立学校に入ることができないなら、出稼ぎ農民の子供むけの「民工子弟学校」があるが、未認可で、常に閉鎖される危険にさらされている。そこで、子供を故郷に置いていくわけだが、貧しい農村では、校舎もしっかりと建てられておらず、今回の地震で倒壊し、大勢の子供たちが犠牲になった。戸籍制度という都市と農村を分断する壁がなければ、子供たちは親と一緒に都会で暮らせていたはずだ。
いずれにしても、4500万人を超す被災者を抱えた復興事業は、想像を絶するものである。もともと貧しい地域が被災したのだから、なおさら容易ではない。テントや仮設住宅を確保するだけでも至難の業だ。地震直後、出稼ぎ農民が大挙して帰省し、一時パニックになったほどである。被災地は壊滅的な打撃を受けており、帰っても仕事もないし、出稼ぎ先での収入もなくなってしまう。危機感を抱いた政府は、できるだけ帰らないよう指示したほどだ。
復興段階は、被災者の不満が高まる時期でもある。最も重要なのが、支援金と物資が、しっかりと被災者の手に渡るかという点だ。03年の2度の雲南大姚地震(7月M6.2、約100万人が被災。10月M6.1、約59万人が被災)では、支援金の大半が末端の行政機関にプールされ、横領されたケースもあった。今回もすでにテントや物資が横流しされる事件が起きている。
「おから工事」と呼ばれる学校の手抜き工事も物議をかもしている。親たちが抗議行動に出て、国内外で大きく報道されたため、当局も報道規制を始めた。手抜き工事の背景には、役人と業者の癒着の可能性もあるが、十分な財政資金がない貧しい農村が、国の義務教育普及政策のもとで、校舎建設のノルマを達成せねばならなかったという事情もある。いずれにしても、政治的に敏感なテーマなわけだ。
地震発生直後は、海外メディアに自由な報道を許し、「中国政府は変わった」と絶賛されたが、当初から中国メディア内部には「本質的には変わっていない」という冷めた見方があった。自由に報道できたのは、当局がメディア規制を緩和したのではなく、現場の記者が突っ走ったからだという。また、震災直後は、政府も管理する余裕がなかったようだ。
市民パワーが台頭する中国社会
では、中国に変化はないのだろうか。少なくとも、メディアが当局の指示を待たずに、現場に駆けつけたという事実は、「変化」を物語っている。政府の管理下にないボランティアやNGOの活躍ぶりもそうだ。当局の仕返しを恐れず、メディアに不満を訴えた民衆の姿も意識の変化を反映している。実は、こうした動きは、震災以前から続く中国社会の一連の流れでもある。アモイや上海、成都などの都市部では、石油化学工業プラントやリニアモーターカー建設に反対する市民が「散歩」の形式で、数千人規模の平和的なデモを成功させている。アモイでは、当局は化学プラント建設用地の移転を決め、上海でもリニアモーターカーの路線を再検討せざるを得なくなっている。これはかつての中国では考えられないことである。中国社会では、あきらかに市民パワーが台頭しつつあるのだ。
これから中国を見るとき、「変わる中国」と「変わらない中国」という二つの視点が必要になる。一方だけを見れば、悲観か楽観しかない。常に二面性を見ていくべきだ。巨大な中国は、前進と後退を繰り返しながら、少しずつ前に進んでいる。市民パワーがいかに政治を変えていくか。そこが最大の見せ場になるだろう。
おから工事
手抜き工事のこと。四川大地震では、約6900棟の校舎が倒壊し、6000人以上の児童が死亡したと見られているが、住民の間で、業者と役人が結託し、建築費を安くあげようとしたのでは、という疑いの声があがっている。
散歩(集団散歩)
中国の都市部で始まった住民運動の新しい抗議行動。携帯メールなどで「散歩」を呼びかけ合い、多くの人が集まってシュプレヒコールをあげるなど、実態はデモだが、当局の規制を避けるために、「散歩」と称する。