リスボン条約の前途
EUはいま、なぜ“欧州憲法”をつくろうとしているのか。一言でいえば、憲法づくりは、巨大経済圏から、政治も含めた真の統合体に脱皮する最後の詰めなのだ。完成すれば、ヨーロッパがアメリカとならぶ世界の巨大パワーになることも、決して不可能ではない。そのためにまず2004年、欧州憲法条約の草案ができて、当時の全加盟国、25カ国が調印した。だが批准の段階になって、フランスとオランダが国民投票にかけることにしたのが裏目に出て、否決されてしまった。こんどのリスボン条約はこの憲法条約の改定版。08年中に全加盟国が批准を終えて09年1月1日から発効、という段取りになっていた。
ほとんどの国は、否決される可能性の少ない議会での批准を進めているが、たった1国、アイルランドだけが国民投票にかけ、結果として僅差で反対票が多数を占めた。アイルランドのような小国に不利な内容だという不満が強かったからだ。
リスボン条約は、1国でも批准しなければ発効しない。08年後半のEU議長国、フランスのサルコジ大統領は10月か12月のEU首脳会議に解決策を提案するというが、妙案はなかなか見つかりそうもない。
EU政治力学の推移
EUの「深化」はめざましかった。「国境なきヨーロッパ」を目指した単一市場化、人の移動の自由化、共通通貨ユーロへの移行。だが、その総仕上げの憲法づくりの段階に来て、この前進にブレーキがかかってしまった。その背景にあるのが、加盟国の急増だ。加盟国同士の意思統一が難しくなり、お互いの違和感が膨らんできた。発足時の6カ国(ドイツ、フランス、イタリア、ベネルクス3国)からしだいに増え、1986年イベリア半島の2カ国を加えて12カ国へ。そこまでは、欧州共同体(EC European Community EUの前身)の性格は「西ヨーロッパの仲間同士」の集まりだった。ところが、冷戦の終結(91年)ですべてが一変した。
まず、中立国のオーストリア、フィンランド、スウェーデンが加盟(95年)、2004年には、冷戦期の半世紀間、西側と対立していた旧ソ連圏の東欧諸国など10カ国がどっと入り、07年にはブルガリア、ルーマニアも加盟して、結局、全加盟国は27カ国に膨れ上がった。同時に、それまで同質的な国の集まりというEUの性格に変化が生じた。
何がどう変わったのか。
第1に加盟国間の貧富の差が大きくなった。富める国の集まりだった西ヨーロッパと対照的に、東欧はいずれも経済の途上国、つまり段違いに貧しい。
第2に、西ヨーロッパは農業も重要な位置を占めているが、総じて工業先進国であり、サービス産業も発達している。だが東欧には貧しい農業国が多い。
第3に、メンタリティーの違い。東欧諸国には、長い社会主義体制の下、自由主義、個人尊重、多様性への寛容さが根付かなかった。だから「西」の先輩国としっくりいかない場面が多い。
ヨーロッパ統合の行方
何より心配なのは、EUの真骨頂である「ナショナリズムの超越」にブレーキがかかることだ。ヨーロッパの統合がここまで進んだのは、ヨーロッパを震源地とする2度の世界大戦の惨禍を経験して、「もう国同士の角突きあいをやめ、“利益の共有”を目指そう」と心に決めたからだ。ところが、東欧諸国がなだれ込んで、加盟国の利害の調整が難しくなり、またまたナショナリズムがモノをいう恐れが出てきた。いま、EUの将来について、世界では二つの見方がある。「ヨーロッパの統合はいまが頂点で、今後下り坂になる」というもの。もう一つは、「いや、スピードは遅くなっても統合への歩みは変えない」という見方だ。
では、どちらが正しいのか。断定は難しい。だが、過去、ヨーロッパは何度も壁に突き当たりながら、結局、統合という選択を捨てなかった。こんども、その可能性が大きいのではないか。
かつてはソ連という軍事的、政治的脅威と、日米の経済力に圧倒されまい、という思いが、ヨーロッパの一体化の背を押してきた。いま、世界は原油高にはじまって未経験の経済困難の局面に入り、地政学的にはロシア・パワーの復活、中国、インドの二大巨人国の台頭、アメリカの影響力の相対的な低下がはじまっている。そんな世界でヨーロッパが埋没せず、できれば強い発言力を持つためには、一体化を進めるしか道はない。
EUは今後、「拡大」という新しい装いに合った「深化」の仕方を、模索していくだろう。