山あり谷ありのブラジル経済
数年来、ブラジル経済の好調が注目を集めている。鉄鉱石、大豆など主力輸出品が国際市場で高値安定していることが最大の原因だが、いまひとつ、2002年の大統領選挙に勝って03年に就任したルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シルバの「左翼」政権が、予想に反して堅実な経済政策を採択し、内外の信頼をかちえたという好材料がある。ルラ政権の成立にいたる経緯をみよう。1964~85年にかけてブラジルは軍事政権のもとにあったが、この時期の前半に、現在の中国のような年率10%近い高度成長を経験した。しかし伸びしろが尽きると経済は失速し、そこへ80年代の債務危機が来て軍部は政権を手放した。ところが民政移管後最初の三代の文民政権は高インフレに直面しながらも、新通貨への切り換えなど小手先の政策を繰り返すばかりで、ついに物価上昇率は年率2500%にのぼった。94年に当時の蔵相F・H・カルドゾが初めて財政金融上の緊縮政策をとり経済安定化に成功した。この成功を政治資産にカルドゾは選挙に勝って95~2002年の8年間2期にわたり大統領をつとめた。
しかしカルドゾは運に恵まれなかった。輸出品価格は低迷を続け、1997年にはアジア通貨危機の余波が、そして2001年には隣国アルゼンチンの債務危機がブラジルを襲った。カルドゾ路線は選挙民の支持を失い、02年の大統領選挙では左翼政党「労働者党」のルラ候補が勝った。
ルラは1945年にブラジルの最貧困地域北東部の貧しい家庭に生まれ、少年時代に南東部の工業都市サンパウロに移住してきた。街頭で落花生を売ったりしながら独学で読み書きを覚え、旋盤工となった。やがて反軍政運動が起こると、ルラは労働運動内で頭角をあらわして金属労組の書記長となり、80年、28万人を動員する41日間のストライキをうって民政復帰への流れを決定づけた。この大手柄を政治資産に、民政復帰後、労働者党を結成して大統領選挙に立候補しては落選をくりかえしたが、ついに2002年に宿願を果たしたのである。
運に恵まれたルラ大統領
ところが就任後、成長優先の放漫政策を求める声が労働者党内に高かったにもかかわらず、ルラはカルドゾの緊縮政策を堅持した。中央銀行にはアメリカの銀行バンクボストンからH・メイレレスを引き抜いてきて総裁とし、その自律性を極力尊重した。そうしたところルラの就任とほぼ時を同じくして、中国経済の急成長など好材料があって国際商品市況が好転した。GDP成長率は03年の年率1.1%で底を打ち、04~07年の平均は4.5%である。この同じ4年間にブラジルの輸出品平均価格は毎年11.5%上昇した。経常収支も財政収支も黒字、通貨レアルのレートは上昇、債務負担は相対的に軽減され、外国資本流入も好調である。
メイレレス中銀総裁は年4.5%(±2%)を消費者物価上昇率の目標値とし、06年以来この水準を維持してきたが、08年に入って景気過熱と石油値上がりによりインフレ再燃の気配がみえると、基準貸付金利を4月から3度にわたり引き上げ11.75%から13%とした。この政策には引き締めすぎだとの批判も多いが、国際金融界は好感し、4~5月にスタンダード&プアーズとフィッチはブラジルを「投資適格(インベストメント・グレード、トリプルB以上)」と格づけた。
これ以外にもいくつか好材料がある。(1)07年11月サンパウロ州沖のサントス海盆にトゥピ油田が発見され、国営石油企業の発表では潜在埋蔵量は50億~70億バレルだという。(2)サンパウロ証券取引所(ボベスパ)での新規株式公開が史上最高の活況を呈しており、同取引所への上場は今やブラジル企業家の資金調達手段として定番化した。(3)穀物高騰のため、アメリカが輸入エタノールに課しているガロンあたり54セントの関税を引き下げる可能性がでてきた。ブラジル産エタノールの原料はサトウキビであり、トウモロコシから抽出する場合より5倍強も効率がいいといわれる。
ルラは緊縮ばかりしているわけではなく、03年から「ボルサ・ファミリア(家族支給金)」と呼ばれる貧困者援助プログラムを実施している。1人あたり所得が月120レアル未満の家族に対し、子どもたちが規則的に通学し国定の予防接種を受けることを条件に、1家族あたり月95レアルを銀行振り込みで支給する、というものである。現在ブラジル人口の4分の1にあたる1100万家族を対象に実施されており、支給額はGDPの0.8%に及ぶ。ちょっと見には安直だが、これはラテンアメリカ諸国の半世紀以上にわたる経験に基づく現実的な方法であり、貧困層のもとに確実にお金が届くためにはこれが一番なのである。子どもの通学と予防接種の監督には市町村があたっている。その評価は将来に待つほかはないが、いいニュースもある。サンパウロ市の殺人事件発生率が過去五年間に人口10万あたり40件から20件に半減したのだ。
好調な南米経済
このようにルラ政権の成績はこれまでのところ上々であり、かつてBRICsのみそっかすといわれたブラジルは名誉を挽回しつつあるけれども、あまりほめるとひいきの引き倒しになるだろう。民間が政府や国営企業に寄りかかる経済体質や分厚い貧困層の存在は一朝一夕には変えられない。ブラジルやチリの政権を「新しい左翼」として、ベネズエラのチャベスなど「古いポピュリスト左翼」と区別する立場があるが、しかし実は03年以来経済が好調なのはラテンアメリカ全体がそうなので、左翼の新旧とはあまり関係がない。07年のGDP成長率(暫定値)を挙げると、「新しい左翼」のブラジルが5.3%、チリが同じく5.3%、「古い左翼」のベネズエラが8.5%、ボリビアが3.8%、エクアドルが2.7%と、有意の差があるとはいえない。要するに国際商品市況がいいためにラテンアメリカ全体が好調(5.6%)なのであり、ルラ政権の好成績もそのことを勘定に入れて評価する必要があるだろう。