歴史的背景
南オセチア自治州は、イラン系民族オセット人が住む地域。旧ソ連時代、スターリンの巧妙かつ冷酷な民族分割政策によって、オセット人たちは南北2地域に分けられ、北はロシア共和国、南はグルジア共和国の行政管轄下に属することとなった。当時、両共和国はともにソ連邦の一部だったので、この分断はそれ以上の深刻な意味をもたなかった。ところが1991年末にソ連邦が解体されたために、北オセチアはロシア、南オセチアはグルジアという別個の2国家に引き裂かれることとなった。
それ以来、南オセチアはグルジアからの分離を求めて、武力闘争を敢行、自ら独立を宣言した。だが、世界のどの国家や国家組織からも公式の承認を得ることができなかったために、「未承認国家」の地位にとどまっていた。
軍事衝突以降の経緯
2008年8月7日、グルジア大統領のミハイル・サーカシビリは、南オセチアに対する軍事攻撃を命じた。「バラ革命」を敢行して政権の座についた同大統領に肩入れしている、アメリカのブッシュ政権にすら事前に通告することなく行った暴挙だった。サーカシビリ大統領に冒険を促した主な理由は、以下の通り。(1)同大統領が国土統一を公約に掲げるとともに、アジャリア自治共和国やコドリ渓谷の制圧に成功を収め、自信を増した。(2)グルジアの国内民主化、親西欧、反ロ外交路線が、ブッシュ政権の全面的支持を得ていることを過信した。(3)ロシアのメドベージェフ大統領は避暑休暇、プーチン首相は北京オリンピック開会式に列席のためモスクワを空けていた。
しかし、グルジア大統領が抱いた甘い期待は見事に裏切られた。ロシア側は、グルジア側の軍事攻撃の可能性にそなえ前もって周到に準備していたばかりか、それを挑発する行為さえ試みていたからである。
ロシア軍は、ただちに大量の兵力を投入して一気に南オセチアからグルジア軍を追放するのみならず、グルジア領内深くに侵攻した。グルジア中部のゴリ(スターリンの生誕地、首都トビリシへわずか60km)、西部のセナキ、黒海沿岸の港ポチ、そしてアブハジア自治共和国などを占拠した。
双頭政権の勇み足の代価
グルジア-ロシア間の軍事衝突は、08年5月8日のメドベージェフ・プーチン双頭政権の成立から数えて、ちょうど3カ月目に起こった。本来ならば、事の発端となったサーカシビリ大統領が国際的な非難の対象となるべきだった。ところが、主として糾弾されることとなったのは、ロシアの新指導部であった。その責めは、2点にわたる。
(1)は、ロシア軍をしてグルジア固有の領土内に侵攻させたこと。グルジアは主権国家である。そのような国家への武力侵略は、グルジアの領土の一体性を犯す国際法違反に他ならない。
(2)は、メドベージェフ大統領による8月26日の南オセチア自治州とアブハジア自治共和国の独立承認。両地域はロシア連邦への統合、南オセチアの場合はロシア連邦内の北オセチア共和国との統合を求めている。
もしロシア政府がこれらの要請を認めるならば、次のような結果を招く。(1)ロシアは、両地域をまず武力占領し、次いで同地域「ロシア住民」の要望に従ってロシア領とすることにした、との国際的非難を浴びる。(2)スターリンによって南北に分断されていたオセット人は統合に成功後、ロシアにとり必ずしも統御しやすい地域とはならない。
国際的な反響
南オセチアを巡る軍事紛争は、たんにロシア-グルジア間の紛争の域にはとどまらず、それまでに高まりつつあったロシアと欧米諸国間の対立をさらに激化させることとなった。とりわけ、ロシア軍によるグルジア領内侵攻と係争2地域の独立承認は、欧米諸国の反発を招いた。たしかに、その責任を追及する余り、ロシアを追いつめ国際的に孤立させても、西側が得るものは少ない。そのような観点から、ロシアに対して制裁を科そうとする具体的な提案は、まだなされていない。
とはいえ、今回のロシアの行動や決定は、長期的な視点に立つ場合、ロシアの新双頭政権にとって、次の点でコストの高いものにつくかもしれない。(1)アメリカ大統領選挙において、対ロ強硬路線を提唱する候補者の声やムードに資する。(2)欧州連合(EU)諸国間のロシアへのエネルギー依存率を下げようとする努力を加速化する。(3)グルジアとウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟を促進する。(4)バルト三国、独立国家共同体(CIS)諸国における“ロシア脅威”感情を増大させる。
今後予想される事態
一体何カ国が、南オセチア自治州とアブハジア自治共和国の独立承認に踏み切るだろうか? これが、今後の展開の重要な見所の一つである。08年9月時点でロシアに追従したのは、ニカラグアのみである。おそらく、ベラルーシ、シリア、ベネズエラ、さらにパレスチナのハマスなど、アメリカによって「ならず者国家」とみなされ、ロシア寄りの立場を明白にしている政権または国々が、その後に続くだろう。他方、中国、中央アジア諸国は、自国の利害とてんびんにかけて慎重な態度を保っている。
08年8月のロシア-グルジア間の「5日戦争」の総決算を下すには、まだ時期尚早である。ただし、メドベージェフ新大統領がリベラルなハト派の政治家であるとの見方が希望的観測に過ぎなかったことだけは、判明した。