海賊の「人質」と同居して
ソマリア沖は、「世界で最も危険な海域」と呼ばれている。2008年には111件もの海賊事件が発生し、合計815人が人質になった。09年には、4月中旬までですでに90件発生し、うち19隻が乗っ取られ、武器使用率が前年の倍に跳ね上がり、海賊脅威のさらなる拡大が懸念されている。10年前の1999年、筆者が初めてアデン湾上空を飛行したとき、ソマリア北部の海岸沿いの空港に着陸する直前には、窓から美しいマリンブルーの海と、白い波しぶきを立てて進む何隻もの船が見下ろせた。そののどかな海上で、今なぜ海賊が横行しているのかと考えたときに思い出す、妙な体験がある。
2000年に、首都モガディシオでまず目にしたものは、無数の弾痕が刻まれた建物の残骸(ざんがい)と、ゴーストタウンと化した町並みだった。荒廃しきった町で、唯一落ち着ける外国人用宿泊施設には、すでに2人のインド人青年がいた。彼らは船を乗っ取られた船員で、1カ月ほど人質状態が続いているという。しかし私には、海上で襲われる恐怖も、人質と自分の滞在先が同じという状況も、にわかには飲み込めなかった。
彼らは着の身着のまま連れてこられ、台所を寝床としていた。「いつになったら帰れるの?」と尋ねると、「わからない」のか「まだまだ先」なのか、首を横に振る。そのとき、「インドから電話だ」と宿のソマリ人オーナーに呼ばれ、2人は血相を変えて電話口へと走っていった。解放交渉の只中だったのだろう。
宿のオーナーは、滞在者が危険にさられないよう細やかな気遣いをしてくれる親身な人だが、海賊の人質も預かっている。この信じがたい事実から、無政府状態の内戦国では、悪があらゆる人の日常生活と同居していることを、思い知らされたのだ。
当時の海賊は、漁船や沿岸警備船くずれにすぎなかったという報告があるが、陸の身代金誘拐と同じく、海上でも武装組織による外貨獲得が行われていることは、想像しがたいことではなかった。ただ、2人のインド人は、監禁された毎日ながら、庭を散歩しベンチで話をするなど、命の危機にさらされる人質のイメージとは程遠かったことが、妙に感じられた。それは後に、ソマリアの「海賊業」では、身代金と交換可能な人質の生命は保証されているという記事を読み、納得したのだ。
独立は得たが内戦が続いた
ソマリア内戦の原因を探ると、植民地時代にまでさかのぼる。南部がイタリア領、北部がイギリス領だったが、1960年に南北が合併して独立し、ソマリ民族の単一国家が誕生した。しかし、もともとソマリ人社会は、血縁関係をもとにした6つの氏族と、その下部組織の小さな集団で構成され、民族意識よりも氏族の絆(きずな)が強い社会だった。独立後、実権を握った氏族による独裁が、他氏族の反発を招き武装闘争が続く。そして政権が倒れると、かつてアメリカやソ連(当時)からの支援で得た武器を使って、内戦はたちまち激化した。
92年には、初の国連平和執行部隊が展開されるが、多くの市民や兵士が犠牲になり、開始わずか10カ月後の93年には、アメリカ軍のヘリコプターがモガディシオに墜落。暴徒化した市民たちが、アメリカ兵の裸の遺体を見せ物にしながら市場を引きずり回すという、悪夢のような事態が起こった。結局、武力で武力を制するという策は失敗し、国連軍は撤退したのだ。
筆者が目にした廃墟の町や、戦争のトラウマを抱えて精神病院に入院する元民兵たちや、悪が当たり前のように混在した日常生活は、武力で平和を強制的に築こうとした、成れの果てであった。
本来ソマリアは、ラクダやヤギなどの畜産を主とする遊牧民の国だ。しかし内戦中の生活は、難民として海外へ逃れた人々からの送金に支えられ、ドルやユーロなどの外貨が日常的に流通していた。
ところが、2001年の9.11アメリカ同時多発テロ後、アルカイダとの関連を疑われ、送金会社の在米資産が凍結された。その後、家畜の禁輸措置や干ばつ、08年の食料価格の高騰など、破たんしていた経済にさらなる追い打ちが続いている。人口約870万人のうち、320万人が生活支援を必要とする状況だ。
国内に仕事はなく、仕方なく民兵になる者が多い。かつて遊牧民だった者や電気屋を営んでいた者や、中には教師をしていた者までが、銃を持つ。「悪いことだとわかっているけれど、金がなければ生活できないから、今は民兵の仕事をする」と彼らは話す。
海賊問題の根本解決策は?
武装した海賊が急増した背景は、ソマリア沖の豊かな水産資源が先進国の漁船に荒らされ漁業で生活できなくなったからとも、身代金を武装闘争の資金源にするためともいわれるが、根底には、海賊を生業とするしかない経済状況と、犯罪を取り締まる機能のない無政府状態がある。海上輸送の安全を確保するため、国連の安全保障理事会で、武力行使などの権限が認められた海賊対策が、08年6月2日、フランスとアメリカの主導により採決された。日本も、海上自衛隊の武器使用基準を拡大して、09年3月30日から護衛艦2隻がアデン湾で活動を開始した。
しかし、NATO(北大西洋条約機構)を含め20カ国以上の艦船による護衛と取り締まりが強化されるにつれ、逆に海賊は行動範囲を広げ、アメリカ軍やフランス軍に仲間の海賊が射殺されると報復宣言を出すなど、暴力のエスカレートが避けられない状況となっている。先にのべた1993年のモガディシオの悪夢を思い起こす。武力で武力を制する策は、この地で一度失敗していることを、忘れてはいけない。
そもそも、海上の海賊を取り締まったところで、陸には銃があふれている。とりわけ海賊の拠点といわれる南部は、武装組織が群雄割拠する状況で、銃声が毎日朝から絶えないのだ。金のために手段を問うてはいられず銃を持つ民兵や海賊予備軍が、陸には大勢いるのだから、海上の取り締まりで解決できる問題とは思えない。
艦船による護衛や取り締まりはいつまで続くのか。長期的かつ根本的に海賊問題を解決へと導くには、ソマリア国内に安定した政権を築き、経済を立て直すことだろう。時間を要するが、着手しないことには解決のゴールは見えない。