盤石ではないオバマの足元
2008年の大統領選挙で、たしかにオバマと民主党は勝利した。一般的には圧勝と言っていいだろう。だが筆者は、この選挙結果にむしろアメリカの保守主義の根強さを感じた。イラク戦争の泥沼化によって、現職大統領のブッシュの支持率は史上最低に近く、選挙戦の初めから民主党には追い風が吹いていた。それにもかかわらず、接戦は9月に入るまで続いた。オバマの勝利が決定的になったのは金融危機の始まった後のことである。
連邦議会選挙でも民主党は議席を増やしたが、当選議員の3分の1くらいは保守主義の強い地盤の出身である。実際、彼らのうちからかなりの部分が、景気刺激策や金融安定化策、年次予算の決議に際して反対に回った。
このように、従来の「二つのアメリカ」、保守とリベラルの党派対決の下地はそれほど弱まってはいない。オバマも「党派政治の根強さは想像していた以上だった」と語っている。
こうしたなかで、オバマが政治的に最も頼りにしているのは、やはり世論の支持である。「一つのアメリカ」を掲げ、国内的にも国際的にも様々な亀裂が入ってしまったアメリカを修復しようとするオバマに対する国民の支持は高い。支持率も60%台を維持している。経済政策で目に見える成果を出すことができない当面の時期を、オバマはそうした自分のイメージを最大限生かすことで乗り切ろうとしている。
支持を動員し、大きなうねりにしていくために、オバマが駆使している方法は、人気テレビ番組に出る、各地で遊説する、頻繁に記者会見を行なう、あるいはネット上でビデオ演説を行うなど、ようするに選挙中にやっていたようなことだ。とくに保守的な、オバマの政策に対する反対が強い地域、例えばインディアナ州やネバダ州に出向いて遊説するなど、戦略的に展開している(これらは2012年の再選でも重要な地域でもある)。オバマが来れば地元の新聞もテレビも取り上げる。そうやって極端な保守主義を懐柔していくのである。
こうした雰囲気のなかで、民主党と共和党が互いに「お前のほうが党派的」と張り合う構図ができている。共和党が「オバマは党派政治に訴えている。共和党の言うことを聞こうとしない」と批判すれば、民主党も「共和党は相変わらず古臭い党派政治に走っている」と訴えるという具合である。互いに「自分たちこそは超党派だ」と競っているのだ。
オバマ外交は「対話重視」
核軍縮などで注目を集めるオバマ外交も、こうした国内情勢とかかわっている。経済政策で「得点」を稼ぐのが難しい状況のなか、まずは得点を稼げる外交を行うことで、国内外での基盤を作ろうとしている。オバマ外交を一言で表現すれば「対話重視」ということになる。ロシアをはじめ、イラン、キューバといった、ブッシュ時代に関係が悪化していた相手とも対話する姿勢を示す。あるいはトルコやエジプトを訪問することで、「イスラムを敵視しない」とアピールしている。こうした姿勢は広い意味で、広報文化外交(Public Diplomacy)の一環と呼ぶことができるだろう。
具体的なテーマに踏み込むのではなく、その手前の環境整備、基盤整備を行うことに主眼を置いている。ここでもオバマは、自分の世界的な人気を活用しつつ、協調路線をアピールすることで、まずは失われたアメリカへの信頼を取り戻そうとしているのである。
こうした外交路線に、オバマのマイノリティーとしての出自という個人的な背景を見ることもできるだろう。しかし、それだけではなく、実際には今のアメリカにそれ以外の選択肢はないとも言える。つまり、かつてのような単独行動主義を行うコストをアメリカはもはや払うことができないし、そんなアメリカを支持する国際世論もないからだ。
オバマは、国内政治でも国際政治でも、敵対的な勢力に歩み寄り、互いの歩み寄りで物事が好転する「好循環」を期待している。
正念場となる「国民皆保険」の実現
こうした歩みの先に、オバマは非常に大胆な改革を実現しようとしている。国民皆保険の導入、再生可能なエネルギーの開発を掲げたグリーン・ニューディール、環境問題の解決などがその内容だ。とくに、医療制度改革による国民皆保険の実現は、政権の課題の本丸になるだろう。政府に対する懐疑心は、アメリカの政治史を貫く伝統である。「大きな政府」に対して「アメリカ的ではない」と反発する感覚は、政府の援助を必要としているはずの労働者たちのなかにもあり、特定の階層、集団だけのものではない。こうした懐疑心を刺激する医療制度改革は、非常にデリケートな、まさに保守とリベラルが深刻に対立する問題なのである。
この問題を、党派的優勢をてこに強行突破しようとすれば、「超党派政治」を掲げたオバマのイメージは崩れてしまう。オバマは09年内には成立させるとしているが、険しい道のりとなるのは間違いない。国内政治的には、オバマ政権は、ここでいよいよ正念場を迎えることになる。
ただ、一方の共和党もまた、アイデンティティーの危機に瀕している。
白人や富裕層の支持者が多く、変わりつつあるアメリカの現状を反映していない党の現状に対して、経済危機を迎えた今、「小さな政府」で本当にいいのか、もう少し弱者や環境への配慮をしたほうがいいのではないか、宗教的に過激になっているのではないか、という主張も現れて、党内の亀裂が深まっている。オバマ人気もあって極端な批判はしにくい雰囲気もある。
歴史を振り返れば、実質的な二大政党制が始まった1860年ごろから1920年代までは、アメリカは共和党中心の「小さな政府」の時代だったと言える。30年代にニューディール政策を掲げたルーズベルト政権が登場してから70年代までは、民主党中心の「大きな政府」の時代だった。その後、80年代にはレーガンの保守革命があり、それ以降は共和党中心の「小さな政府」の保守的な時代が続いてきた。
オバマはもちろん、「大きな政府」とは言わずに「スマート・ガバメント(賢い政府)」を掲げている。「大きな政府でもなく、小さな政府でもなく、機能している政府」というわけだ。だが大きな歴史の流れのなかで見ると、今回の金融危機を境に、アメリカが再び「大きな政府」の時代に戻っていく可能性も見えてくる。
「チェンジ」が目指すのは「原点回帰」
オバマ政権が成功するか否かは、経済危機への対処と、イラク・アフガニスタン問題の解決にかかっている。もちろん、対外的に喫緊の課題としては、イランの大統領選や北朝鮮の核実験をめぐる対応がある。しかしオバマは、単に政策が実現すればいいと考えるのではなく、そのプロセスを重視している。それが議会での、ごり押しせず、保守派に配慮しながら少しずつ妥協を見出してゆくやり方につながっている。
アメリカが本来持っていた建国の精神を、民主主義の本当のダイナミズムを回復しよう、というのが、オバマのメッセージの本質であると筆者は考える。「チェンジ」ということばを掲げていても、それはむしろ「革命的」というよりは原点への回帰を指している。こうした原点への「チェンジ」を実現したいというのが、彼の政治家としての信念であり、それを裏切る形で政策を実現したとしても、それは将来の火種を残すことにしかならない。彼はそう考えているのである。
国民皆保険
国民のすべてが、公的な医療保険制度に加入していること。アメリカには国民皆保険制度がなく、多くの人が民間保険への加入を選ぶしかないため、約16%が保険未加入状態。
大きな政府
福祉国家政策や公共事業などを通じて、政府が積極的に経済に介入する政策。
小さな政府
政府の仕事を減らし、その役割を小さくして、財政規模を縮小することで、経済の活力をさかんにできるとする政策。